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マンガはなぜ赦されたのか-フランスにおける日本のマンガ-最終回「フランスにおけるマンガとは何であったか」

短期集中連載「マンガはなぜ赦されたのか」最終回 ■ 豊永真美 [昭和女子大現代ビジネス研究所研究員] 第8章 エピローグ フランスにおけるマンガとは何であったか

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■ フランスの日本マンガ出版社の現況

フランスのマンガ出版社をみていこう。まず、グレナはバンド・デシネとグルノーブルという基盤がある。グレナはバンド・デシネの単行本化の立役者の一人であり、パリ以外の地域の創生が大事なフランスにとって「パリ以外」に立地する企業というのは大切にしなくてはいけない企業だ。グレナはフランスにとって必要な企業だ。
メディア・パルティシパシオンの重要性は言わずもがなである。カトリックの価値観を「密やか」に支える企業としてとても重要だ。
Ki-oonもフランスにとって必要な企業だ。単なるマンガ出版社ではない。郊外から起業したということはとても重要で、成功し続けてくれないと、フランス政府としても困るのだ。

アシェット傘下のPIKAやエディティスのKUROKAWAは親会社のビジネス上の理由で、マンガの出版が止まってしまうかもしれない。しかし、それは親会社の判断ということ以上のものでもなく以下でもない。アシェットやエディティスの株主がマンガを重要だと考えれば、マンガの出版は続けられるし、重要でないと判断されればマンガの出版は止まるだろう。
アシェットはフランス最大の出版社であり、フランスのほか、アメリカでもマンガ出版を手掛けていることから、マンガを読まない株主にとって「マンガ」が経済的に重要と思ってもらっていることは、マンガにとって悪くない状況だ。まだるっこしい言い方で恐縮だが、フランスでは、「マンガを読まない人」に偏見をもたれないことが重要なのである。

そのように考えるとKAZEの基盤は極めてぜい弱だ。日本企業の支配下にあるマンガ出版社が何かフランスの道徳に合わないものを出版したら、「マンガを読まない人」は抗議するであろう。(フランスは表現の自由は担保されている国だが、日本より青少年保護には厳しい。センサーシップができていない中で、暴力的な表現やセクシャルな表現があったら、抗議を受ける可能性は高い)

同様にヴェレが率いていたTONKAM[もぜい弱な基盤だ。(ヴェレは2013年にバンド・デシネの出版社デルクールとの関係をたっている)。ヴェレは純粋に日本のマンガ好きだが、フランスの社会に「これ」といった強固な基盤があるわけではない。
夏目房之助がヴェレとの対談で、「ヴェレがマンガを芸術にしたがっている」ということに違和感を覚えると書いていたが、ヴェレがマンガを芸術に高めようとしていたのは、フランスでは「芸術」になれば存在が許されるからだ。フランスでは、映画にしろ小説にしろ、『リベラシオン』(左派向けの日刊紙)や『テレラマ』(ル・モンドグループが出しているテレビ情報週刊誌。テレビ番組を紹介するのみでなく、その週の芸術活動を紹介する、かつての『ぴあ』のような雰囲気の雑誌)で取り上げられれば芸術的であると認められる。ヴェレはマンガを『リベラシオン』や『テレラマ』で恒常的に取り上げられるようにして、身を守ろうとしていたといえる。夏目房之助は「マンガは大衆娯楽でいい」と述べていたようだが、単なる、大衆娯楽では基盤がぜい弱なのだ。

実際、フランスの国民的バンド・デシネである「アステリックス」ではマンガが批判されている。2005年に出版された「アステリックス」シリーズの「空が頭に落ちてくる」では、敵役は「NAGMA」というマンガをもじった名前であり、アメコミの質の悪いコピーとされている。一方、ウォルト・ディズニーの名前をもじった「Tadsylwine」は「NAGMA」に攻撃されているところをアステリックスに助けられる。マンガを読まない層には、マンガというのは諸手をあげて歓迎すべき文化ではないことがわかる筋書だ。

[/アニメ!アニメ!ビズ/animeanime.bizより転載記事]

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