「そもそも百香里って、ストレスで味覚障害になったっていう設定でしょう?ビールとチョコぐらいしか味がわからないって言ってるけど、本当にわかってるのかなって。そもそも味を楽しむためじゃなくて、酔っ払うために飲むのだってアル中の第一歩だし。そういうデティールが、こう、ヤバイ感じなのよ。リアルっていうか、生々しくて。きっとあのマンションの冷蔵庫空けると、缶ビールがいっぱい入ったりしてるのよ。怖い、怖いなぁ」Nの想像による補完も相当あるけれど、言いたい意味はわからないでもない。「あー、そういうヤバさ、ねぇ。作中で、百香里自身が『誰もが病んでいる』みたいなことを言ってるしね。あれはもちろん自分にも向けられた言葉なわけだけど、NNはそこに反応しているんだ」「だって他人事じゃないからね。仕事のストレスでウツっぽくなって休職中なんてシャレにならないレベルで“リアル”でしょう。しかも、絵がきれいでしょ、この映画。光が強ければ強いほど影も濃くなるっていうのと同じで、絵がきれいに描かれれば描かれるほど、百香里の心の闇が強調される感じがするのよ」「言いたい意味はわかるよ。つまり、そういう人の気持のネガティブな機微みたいなものを拾っていて、そこがリアルで“ヤバイ”と。そう言いたいんだね」珍しく意見が一致した、かと思ったら、Nは即座に否定してきた。「違うのよ。確かに、ウツっぽくなった人がどういう行動に出るかはすごくリアルなのよ。でも、そこに当てはまらないシーンがあるよの。そっちのほうが“ヤバイ”の決定打」「ええ? 当てはまらないシーンってなんだい?」「あれよ、万葉集を詠むシーン」百香里は初対面の孝雄と分かれる時に、「鳴(な)る神の 少し響(とよ)みて さし曇(くも)り 雨も降らぬか 君を留(とど)めむ」という柿本人麻呂の歌を口ずさむのだ。「ああ、万葉集の引用って、ちょっとロマンチックだよね。確かにリアルとは違う」「ええ~。どこがロマンチックよ」Nはすかさず僕のリアクションも否定してくる。「だって考えてよ、ものすごく年の離れた男の子が相手よ。そんな子に、意味ありげなことを言って気を引くなんて、イタいじゃない。リアルっぽい雰囲気があった上に、このちょっとこのイタいセリフがのってるから、ヤバいのよ」「なんで。リアリティが台無しだから?」「違うわよ。ここで百香里のキャラクターが、ある意味完成したのよ。……ものすごくアンバランスなキャラクターとして。そして……」「……そして?」
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