「進化し続ける動画机」を支えるメーカー魂-三起社 数井浩子のアニメ社会科見学 第1回  2ページ目 | アニメ!アニメ!

「進化し続ける動画机」を支えるメーカー魂-三起社 数井浩子のアニメ社会科見学 第1回 

アニメーター・演出の数井浩子さんによる新連載“アニメ社会科見学”です。数井さんがアニメ制作に身近な数々のアイテムについて突撃取材。スタートは、アニメーター必須、でも一般には知られることの少ない動画机の秘密です。

連載 数井浩子のアニメ社会科見学
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abesan ■ 「そもそもはじめは、
撮影の三起社だったんですよ」


「若いアニメーターさんからは“家具屋さん”って言われてるみたいだけど、もともと、三起社は撮影台も作っていた撮影会社なんです」

三起社の創設メンバーは、全員、東京デザイナー学院第一期生。昼間は金属加工の仕事をしながら、夜間、アニメ専門学校に通っていた。三起社現社長の野崎さん、吉田さん、江越さんの3名は、卒業後にまずはアニメ撮影の仕事に入ったという。

もともとカメラ部品の金属加工をしていたこともあって、アニメの撮影で足りないものを自分たちでつくりはじめた。「アニメーション制作総合用品の三起社」のはじまりである。

当時、三起社は『男どあほう甲子園』を撮影していた時期で、世間では1970年大阪万博で盛り上がっていた時期。テレビアニメも黎明期。手探りで制作をしていた。そのころ、撮影台を製造していたのは、セイキ、東野、三起社の3社だが、途中で三起社だけになった。アニメ業界のベテランスタッフのなかには「三起社?撮影台の会社だよね?」と言う人もいるくらいで、「アニメ制作スタジオの撮影台といえば三起社」といわれていた。

たとえば、通常の倍、2mPAN(カメラを横に移動すること)ができるという特殊撮影台がある。これは、スタジオコスモスとACC谷原スタジオで使われていた撮影台である。この特殊台の長い主軸を製作するときには、一階と二階の天井を外して作ったという。

現在、実際に見ることができる撮影台としては、杉並アニメミュージアムに展示されているものがある。もともとトランス・アーツにあった撮影台だ。

「デジタルになっちゃったから、カメラも撮影台も作ってないんだけどね」と言う石井さんの話を聞きながら、応接テーブルの上に載っている大きなカメラが気になった。

「ときどきフィルム撮影もあるからね。そのカメラも使えるよ。NCミッチェル、シリアル番号64番」とにっこり笑う石井さん。モノつくりが大好きな人たちが動画机を支えているのである。今日から動画机に足を向けて寝られないと思うのだった。

動画机・三起社編 /第2回へ続く

■ 数井浩子 (かずい・ひろこ)
アニメーター・演出。アニメ歴30年。短大時代から仕事を始め,『忍たま乱太郎』『らんま1/2』『ケロロ軍曹』をはじめ、200作品以上のアニメのデザイン・作画・演出・脚本に携わる。自らデザインしたアニメキャラは、“子どもにも大人にもウケる萌えキャラ”と評判になりラッピングバスとして渋谷や練馬を運行。また、長年アニメを現場で制作するかたわら、42歳から認知心理学を東大大学院にて研究しつつ、文化庁若手アニメーター育成プロジェクト「アニメミライ」においては評価・選定委員として現場の後進のために活動中。教育学修士。

abesan
《animeanime》
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