「でもさ、ハル子はさすがにひどくないか? だってナオ太に気があるふりをして近づいたのは、ハル子が好きで追いかけている男(?)であるアトムスクを助け出すためでしょ。それにノせられたナオ太は、ちょっとかわいそうだよなぁ」「そうやって考えると、『初恋』と似てるわね。あれも、ヒロインが主人公に特別な態度をとって、それで主人公は勘違いしちゃうんだけど、実は本命は主人公のお父さんだったという仕掛けだし」「確かにね、ハル子もナオ太に迫ったり、抱きしめてあげたりはしてるんだよね。ただ、恋愛ってより多く好きになったほうの“負け”なんだよね。譲歩せざるを得ないのは、多く好きになったほうだから。それだけに、その純情を利用したハル子は理不尽だなと思うんだよな~」ところがNは笑っている。「まあ、ナオ太くんからしたらそうかもしれないけど、しょうがないじゃない(笑)。それがいやなら人なんて好きにならないことよ。でもナオ太くんは、それでちゃんと傷ついて、世の中には自分の気持ちだけではどうしようもないことがあるってことを知った。特に、他人の心なんてどうにもならない。その傷の痛みがあるから、ちょっとだけ大人になったわけで、『フリクリ』は、初恋ものとしては、かなりスタンダードな内容だと思うのよ。ナオ太くんも、傷つくのを恐れて、カッコつけてるよりはずっとマシだったと思うわよ」 「じゃあNとしては、ハル子の行動はアリ?」「アリな人。だってハル子って、メーテルと峰不二子を足して二で割ったようなキャラクターじゃない(笑)。だったら、あれぐらいのことは普通だと思うわ。むしろ初恋の相手が、ハル子みたいなタイプでいっきに経験値あがってよかったじゃない」いやー、最初からそんなスパルタいらないんですけど。身の丈にあった幸せさえあればいいんですけど。などと思ったが、とりあえずそのあたりは黙って僕は続けた。「確かに『999』だと鉄郎はメーテルに振り回されないからね。それに別れるときも、むしろ“青春の幻影”とかいって雰囲気で煙に巻いて、この別れは必然だっていうムードで進行する。だから『振られた!』っていう傷は受けない」「だからメーテルは恋愛対象っていうより、移行対象なのよ。だからハル子ほど、思い通りにならない他人って感じがしない。でも恋は、お母さんやその分身とじゃなくて、他人とするものでしょ。そう考えると、なに考えているかわからないハル子とナオ太の間にあったのは、それが終わった後でしか自覚できない、まさに初恋だなぁと思うの」Nの力説に、僕もハル子の立ち位置は認めざるを得なかった。
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