劇場版『機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』はまっすぐな映画だ。幕が上がると、この映画自身が語らんとするラストまで一直線に進んでいく。そのストレートな語り口は、全50話からなるTVシリーズとずいぶん対照的だ。 TVシリーズの『ガンダム00』は、どこか視聴者を宙づりにするような側面があった。 『00』は「人と人はわかりあえる可能性がある、という希望を新人類(イノベイター)への革新というSFの枠組みで語る」という、アーサー・C・クラークの小説に通じるようなたくらみを持った作品だ。だが、そのたくらみはなかなか明らかにならない。現実の写し絵のような政治・軍事の情勢に目配せしたかと思えば、エキセントリックな悪役の活躍を描き、サブキャラクターのメロドラマで物語を牽引する。物語のラストも、「人と人は分かり合える」可能性は示しつつも、軸足はイノベイターが切り開く未来像にはなく、戦乱の時期を経た人類はどのような未来を作っていくのか考え続けなくてはならない、という方向でまとめられていた。視聴者はここで意図的に理想と現実の間に宙づりにされている。むしろこの宙づり感覚こそTVの『00』らしさであり、作品が目指した“リアル”であったと思う。