マフィア梶田がフリーライターになるまでの軌跡…エヴァと杉田智和との出会いが人生を変えた | アニメ!アニメ!

マフィア梶田がフリーライターになるまでの軌跡…エヴァと杉田智和との出会いが人生を変えた

インタビュー 俳優・タレント


そのハード過ぎる外見とは裏腹に、ゲームやアニメに対する圧倒的な造詣の深さと愛で、多くのゲーム・アニメファンから絶大な支持を得ているフリーライターのマフィア梶田氏(@mafia_kajita)。ゲームライターとして様々な記事を執筆する傍ら、ラジオ「アニゲラ!ディドゥーーン!!!」のパーソナリティとしても活躍しており、最近は各メーカーの公式番組やイベントにも多数出演しているほか、映画「シン・ゴジラ」では石原さとみさん演じるカヨコ・アン・パタースンのSP役を演じました。

そんなマフィア梶田氏の活躍は、フリーライターという職業では言い表せない領域にまで突入。さらには「マフィア梶田教」なる謎のガヂャ宗教や、プライズ向けぬいぐるみ「マッフィーくん」まで誕生しており、ますますマフィア梶田という人物がいったい何者なのか分からなくなってきました。

そこでインサイドでは、マフィア梶田氏がフリーライターになるまでの軌跡に迫るインタビューを企画。ライターとはどういう仕事なのか、好きを仕事にするという事はどういう事なのか、どのような想いで日々を過ごしているのか、そして過去にどの様な出来事と出会いがあったのか――。それらを時間の許す限り伺ってきましたので、ゲームやアニメファン、そして将来ライターを含めた“好き”を仕事にしようと思っている方々へ向け、この記事をお届けします。

企画・編集・文:栗本浩大@koudai5511

◆究極の二択と「エヴァ」との出会い



――そもそもの話になるんですが、最近の梶田さんはどういった肩書きになるんでしょうか。

マフィア梶田:自分の肩書きってよく聞かれるんですが、明確に言い表せる肩書きがなくてですね……。ラジオやら動画やら役者やら、色々とやってはいるものの、始まりはライターなので、必要がある時はフリーライターと名乗っています。ひたすら“自由”に何でもやるという意味を込めて“フリー”ライターです。

――では“フリーライター”というお仕事について話を伺って行きたいんですが、まずは学生時代の話からスタートしようと思います。現在29歳との事ですが、世代的にはスーパーファミコンとプレイステーションの間ぐらいになるのでしょうか。

マフィア梶田:それなんですけど、中学卒業まで上海に住んでいたこともあってゲームを手に入れるのが凄く遅くて……世代のモノはほとんどリアルタイムじゃ通っていないんですよ。親もゲームに厳しかったですし、なかなか買ってくれなかったんです。しかも、初めて家にやってきたゲーム機が3DOというね……。

――まさかの3DO!日本では1994年に松下電器産業(現パナソニック)が販売したゲーム機ですね。同時期だとセガサターン、プレイステーション、ニンテンドウ64、ネオジオCDがあったわけですが……。

マフィア梶田:俺が買ったわけじゃないんですよ(笑)。親に「どうしてもゲームがほしい」とお願いしたら、「松下電器に務めている知人いわく、次のハード戦争で勝つのはこいつらしい」と言いながら買ってきまして。箱を開けて「え、なにこれ!?」ってなりましたね(笑)。当時は“ハード戦争”なんて言葉すら知りませんでしたし、3DOという名前も聞いたことすらなかったので。「そ、そうなんだ」と。

とはいえ俺にとっては念願のゲーム機だったわけです。ところがまぁ、遊べるソフトがない。そもそも玉石混淆で……いや、ほとんど石でしたけど……。全体的に見れば、『Dの食卓』を筆頭に名作もいくつかあったわけですよ。それなのに、俺の親父は尽く奇妙なゲームばかり買ってきやがって。不気味な洋館で死神みたいなのを撃つFPSとか、『マカロニほうれん荘』のゲームとか。そんな中で唯一メジャーだったのが、『スーパーストリートファイターIIX』でした。そんな環境だったもんですから、その世代のゲーマーが触れていて当たり前な『ドラクエ』や『FF』という通るべきモノを通っていない。

――ずいぶんマニアックな方面からのスタートですね。その後はどのようなゲーム体験をされたんですか?

マフィア梶田:それから数年後、ようやくプレステを買ってもらいました。なので、初めて触ったFFが『7』で、ドラクエも『7』。これ言うとゲーマーの先輩方からバカにされることもあったんで、いまだに劣等感があります。悔しいから、いくつかのタイトルは遡ってプレイしましたね。ちなみに携帯ゲーム機だと、なぜかゲームボーイはすんなり買ってもらえました。『ポケットモンスター赤』を筆頭に、『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』『星のカービィ』『スーパーマリオランド』なんかが思い出深いです。

ただ、この頃はまだ“自分がオタクである”という自覚はありませんでした。ゲームは周囲のクラスメイトもみんなやっていましたし、衛星放送のアニメなんかも貴重な日本語のコンテンツなので熱心に観ていたんですけれども……それは海外住まいで娯楽に飢えている自分からすれば、至極当たり前のことでした。


撮影場所:会員制飲食店「84」

――私も中学時代はあまりゲームを買ってもらえず、その反動で高校時代はかなりガッツリとゲームで遊んでいました。梶田さんはいかがですか?

マフィア梶田:高校はミッション系の厳しいところでした。エリート揃いの進学クラスと誰でも入れる普通クラスが混在していて、生徒はガリ勉かクソ馬鹿の2種類。もちろん俺はクソ馬鹿の方で、入試の成績なんか全教科合わせて90点とかでしたよ。

しかも校舎が山奥にあって。俺は男子寮に入っていました。授業は1日8時間、その後に自習という名の監視付き強制学習が2時間。娯楽は漫画や小説などを持ち込めたものの、少年院のような場所でしたよ。ゲームは携帯ゲーム機のみ許されていたのですが、俺が遊びたいタイトルはコンソールに集中していたので辛かったです。だから「週刊ファミ通」を毎週買って、色々なゲームの記事を読むことで気を紛らわせていました。

――厳しいですね……。そのような環境から、どういった経緯でライターを志すことになったのでしょうか。

マフィア梶田:勉強はからっきしだった俺ですが、読書家だった親父の影響で本は好きだったんです。学校でも数少ない娯楽として毎日小説を読んでいたおかげで、自然と文法が身に付きまして。作文だけは昔から得意でした。そんな中で、ファミ通に載っていたバンタンゲームアカデミーの広告が目に止まったんです。そこでゲームライターという職業の存在を初めて知り、「そういえば俺が読んでいるファミ通の記事も、誰かが書いているんだよな」と意識するようになったのがきっかけです。

――ある意味、過酷な環境に置かれていたからこそ見出だせた目標だと。

マフィア梶田:そうとも言えるかもしれませんが……当時はがんじがらめに縛られた学校生活が本当に苦痛で、閉塞したコミュニティの中でくだらない規則を押し付けてくる周囲の人間が、とにかく憎くてしょうがなかった。しばらくはそれでも我慢して大人しく過ごしていたのですが、2年生になった頃から限界を迎えまして。気に入らないものは暴力で遠ざけるという最悪の方向に進んでしまい、学校では数少ない友人も無くして完全に孤立していました。周りからは、突然人が変わったように見えていたと思います。

今思うと視野が狭くて本当に恥ずかしいことですが、すっかり捨て鉢になってしまって。この先も社会に適応できずに苦しむくらいなら、徹底的に暴れまくってやろう、ヤクザにでもなってやろうかと思っていたところに差し込んだ光明がゲームライターでした。今となれば冗談のように聞こえるでしょうが、その時点では本気で自分の進路を裏社会で生きるか、ゲームライターを目指すかという2択に絞っていたんですよ。自分で言うことじゃないかもしれませんが、“こうしよう”と決めたらすぐ行動に移してしまうところがあるので……ヤクザどころか、中国の知人を通じて大陸系マフィアと顔合わせするという話まで進んでいました。本当に危ういところだったと思います。

――なんという2択。選択肢によってその後の人生が180度変りますね。

マフィア梶田:それからまた色々と考えたうえで、裏社会への道はとりあえず保留して、“まともになる”最後のチャンスだと思ってゲームライターを志す決心をしたんです。

――その道を選んで本当に良かったと思います。ところで、ライターの道を決意されてからは少し落ち着いたんでしょうか。

マフィア梶田:いや……その後、大きな問題を起こしてしまい、結局は2年生の終わり頃に転校する形になりました。学校とは一切の繋がりを断ちたかったので、自分から「いっそ退学にしてくれ」と話したのですが、学校側が退学者を出すという汚点を避けたかったのか転校という形で処理したようです。

……あ、でも、そんな酷いもんだった学校生活でもひとつだけ良かったことがあります。まだ本格的に荒れて孤立する前の話で、自分がこっそり寮に持ち込んでいたノートパソコンでDVDの上映会をやったことがあったんですよ。

みんな暇を持て余していたので、なんでもいいやという気持ちで近くの部屋の奴がコレクションしていたアニメのDVDを借りてきたんです。それが……。

――まさか……

マフィア梶田:『新世紀エヴァンゲリオン』だったんです。

――うわ(笑)、なんとも運命的な出会い。

マフィア梶田:これがもう、人生観が変わるレベルで面白かった。海外に住んでいた頃からアニメは娯楽の一つとして当たり前に観ていましたが、エヴァの衝撃はそれまでまったく味わったことのないものでした。日々を流されるままに生きてきた自分にとって、もっとも濃厚な人生経験とまで呼べるものだったように思えます。最初は2,3人で観ていたのですが、気付いたら狭い部屋がギュウギュウになるくらい人が集まってきて、皆が真剣な眼差しでノートパソコンの小さなモニタに見入っている。とても異常で、なんとも心地よい空間でした。

そこで気が付いたんです。幼い頃からゲームやアニメに触れているし、当たり前すぎて無趣味だと思っていたのは勘違いで、自分はきっと“オタク”の素質があるんだと。思えば、あれがオタクとしての立脚点でした。何者でもなく、ただ現実に退屈しながら過ごしていた自分の身を置く場所が見つかったというか。俺は現実ではなく、虚構に生きるべき人間なんだと確信しました。

……しかし、“オタクであること”が心の支えとなった一方で、それがますます「現実なんぞどうでもいい」という偏った思考を助長した面もあり。本当にお恥ずかしいのですが、前述したような荒んだ学校生活へと繋がってしまいます。ゲームライターという職業に興味を持つようになったのも、その後ですね。


店内には多数のゲーム関連グッズが

――そして、転校して新たな学校生活が始まるわけですが。

マフィア梶田:転校先は週に2日ぐらいしか行かなくていい通信制だったんです。それ以前とは比べ物にならないくらい、気楽でした。自由にできる時間がタップリあったので、毎日ほぼ引きこもり状態。オタクとして成長するために、とある匿名画像掲示板に入り浸り、そこで濃ゆいオタクたちが語り合っている情報を徹底的に吸収していったんです。自分がオタクとしてのスタートダッシュに出遅れていることは自覚していましたし、通るべきモノを通らず、知っているべきことを知らないということが許せなかった。そんな中で、その掲示板は良いこと悪いこと古いこと新しいこと全部ひっくるめて教えてくれる、先生のような存在だったんです。

住民の年齢層も高めで、そんな中に10代の自分が紛れ込んでいた。特有の閉鎖的な文化があり、そこで自分が歓迎されない存在であるということは理解していましたし、自らスレを立てたり書き込んだりすることはあまりしませんでしたね。ゲーム・アニメ・漫画・小説・映画などジャンルを問わず様々なエンタメの情報が混沌と絡み合っているのが魅力的で、スレが短時間で消えるからどんどん新しいスレが立ち、レスのやりとりも非常に早い。時間制限付きのチャットルームが混在しているかのようなイメージでディープなオタクの世界を学ぶには最適だったと言えます。そこで知ったアニメやゲームは極力すぐに調べ、入手できるようなら実際にチェックしてハイペースでオタクとしての経験値を積んでいきました。

その後、ライターとしてデビューしてからの話になるのですが、ひょんなことからその掲示板のイベントに出演することになりまして。住民から“同類”として認知される機会があったのですが、最近は「あいつ変わっちまったよ」「俺らを踏み台にして行っちまったよ」とか書き込まれているわけですよ(笑)。

――皆さん知ってるんですね(笑)。

マフィア梶田:もうライフワークみたいなもんなんで、今でも毎日チェックしてるんですよ。たまに俺のスレが立ったりして「どうせあいつ今はもうココ見てないだろ」とか言われているのを、苦笑いしながら眺めています。そもそも昔からROM専なんで、掲示板で「やっほー!俺だよ!」と自己主張したことなんか1度も無いんですよね。存在が感じられなくて当たり前なんで、離れちゃったと思われてもしょうがないかなぁと。まぁ、ベタベタした関係性を好む人達でもないので、これはこれでいいのではないでしょうか。

向こうからすればそんなの知ったことじゃないでしょうし、そもそも住民もすっかり入れ替わっているかもしれませんが、俺自身は立派に(?)育ててもらったことに対して多大な恩義を感じています。どう思われようと、彼らへの感謝は一生忘れないつもりですね。

……ちょっと話がそれちゃいましたが、残りの高校生活はそんな風にオタクとしての修行に費やしていました。傍から見ればただのネット中毒で引きこもりなので、両親や祖父母には相当心配かけたと思いますが(笑)。そして、専門学校へ入学するわけです。
《INSIDE/inside-games.jp》
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