高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第4回 コンポジットの快楽―「響け!ユーフォニアム」と「バケモノの子」 2ページ目 | アニメ!アニメ!

高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第4回 コンポジットの快楽―「響け!ユーフォニアム」と「バケモノの子」

高瀬司の月一連載です。様々なアニメを取り上げて、バッサバッサ論評します。今回は「響け!ユーフォニアム」と「バケモノの子」に見えるコンポジットについて。

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『バケモノの子』(のみならず、少なくとも『時をかける少女』以降の細田守監督作)においては、細田が背景美術に対して厳しくオーダーを出していた事実は、以前よりスタッフインタビューが示してきた。
いまや一般に背景美術は、元来のポスターカラーではなく、ペンタブレットを用いてデジタル上で描かれることが主流だが、細田は『バケモノの子』においてもアナログ制作へのこだわりを見せる。
とはいえ当然のことながら、それは3DCGに懐疑的だからというわけではない(『サマーウォーズ』の「OZ」を思い出そう)。『バケモノの子』に限っても、冒頭の炎のキャラクターやラストのクジラといった一見して明らかな活用を除いても、モブキャラクターのほとんどは手描きキャラと同一画面上で融合しやすいセルルックな3DCGで組まれていたし、背景美術の制作工程においても、渋谷と対になるバケモノ界の都市・渋天街のベースは、美術設定である上條安里が細田との入念な打ち合わせのもと、3Dモデリングソフト・SketchUpを用いてこれ以上なく稠密に構築していた。
ここで言う「これ以上なく」とは文字どおりに受け取ってもらってよい。それは3Dレイアウトシステムという域を超え、街や建物内のデザインのみならず、プロップや色味、画角まで背景としてそのまま使用できるクオリティにまで作りこまれており、細田からの美術監督へのオーダーは、形状も色味も、雲のかたちも、壁の汚れも、美術設定そのままのものをアナログで再現してほしいというものだった【注4】。

こうした一見倒錯的とも思えるスタイルから見えてくるのは、細田作品に満ちた「アニメは絵である」という美学である。
それは単に、画材としてアナログで描かれるということだけにとどまらない。コンポジットのフェイズで色調を大きくコントロールできるにもかかわらず、美術スタッフに厳密な指示を出し、リテイクを重ねてまで完成イメージに沿った絵を描かせる態度からは、背景美術という作品を((コンポジットによる強い介入のない))そのままのかたちでスクリーン上に息づかせたいという、トラディショナルな欲望を見出だせるからだ。

もはや『バケモノの子』と『響け!ユーフォニアム』との対比は明確だろう。
比喩的なパラフレーズが許されるならば、細田作品が絵画の延長線上でアニメが絵であること(絵で映画を作ること)を強調するならば、『響け!ユーフォニアム』は映画の延長線上でアニメはカメラで撮られた映像であると語りかけてくる。

現代におけるコンポジットの前景化は、3DCGのそれと並び、日本のアニメの新たな景色を切り開きはじめている。『響け!ユーフォニアム』が夢見させてくれたものすら、その一例でしかない。
『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』の美術集(星海社、2015年11月)所収の、筆者が担当した美術監督・衛藤功二とufotable代表・近藤光の対談で、本作よりufotableの社内に入ったという衛藤は、(ufotableが得意とする)3DCG・撮影と連携しながら背景美術を作り出していく工程を示すとともに、これからのアニメ表現にキャッチアップするため3DCGソフトの操作法を学習している最中だと語った(実際、描きおろしのカバーイラストは、ベースとなる3DCGから衛藤が作成している)。

『バケモノの子』や『響け!ユーフォニアム』、ufotableらが示すこうした変化の胎動は、近い将来において、2D・3DCG、撮影、美術が同一セクションとして統合される可能性すら示唆するものだろう。
表現の面においても、ビジネスの面においても、一つの大きな歴史的転換点を迎えつつある現代日本アニメのなかで、コンポジットへの注視は、失われつつあるものではなく、その未来の快楽の様態を写し撮りはじめている。


■ 注釈
注1:ノスタルジアと関わるガジェットの例として挙がるのが、本書の縦軸となる映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(1985・1989・1990年)に登場する実在したマイナー車・デロリアンであった。この車自体がタイムマシンという視点の装置であるとともに、それがタイムスリップし消え去ったあとに残される、車の轍に沿った二本の炎が、夕日のような効果を生んでいるのだと分析はつづけられていく。

注2:補足的な例としては、デジタル作画に対してアナログ作画が温かみがあると言われると同時に、最新ゲームの美麗な映像に対して旧世代的なドット絵は温かみがあると言われるような、失われたものへの郷愁が支えるノスタルジーが思い当たる。

注3:念のため言い添えておけば、京都アニメーションにおけるコンポジットの挑戦は、『氷菓』(2011年)以降のここ数年は言うに及ばず、ちょうど10年前の『AIR』(2005年)の時点から強く試みられていたことだろう。わかりやすい例で言えば、「SUMMER編」(平安時代のエピソードと言ったほうが通じやすいだろうか)の前編にあたる第8話(絵コンテ・演出:山本寛)において、(第9話の後編ではまったく使われていないにもかかわらず)全面展開されたグロー効果。近年のキャラクターイラストレーションにおいては頻繁に用いられる手法なため、ライトノベル原作アニメを中心にいまや珍しい映像効果ではないが、こうしたコンポジットが可能にするルックの探求が、その後の『涼宮ハルヒの憂鬱』で展開される映像を直接的に準備しただろうことが見て取れる。

注4:詳細は『ユリイカ 総特集*細田守』2015年9月臨時増刊号(青土社)で筆者が担当した一つである、スタジオジブリ出身の美術監督3人(大森崇×高松洋平×西川洋一)へのインタビュー記事「絵描きたちの創世記」を参照されたい。
《高瀬司》
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