「あ、これこれ」電子書籍版を携帯で開いて見せたNは「ここが好きだったのよ」と僕にその部分を見せてくれた。“本当なら、あなたと一緒に行きたかった。これは、わたしの偽らざる気持ちです。でも、早季は、わたしたちとは違う。前にも言いましたが、あなたは、とても強い人です。けっして、肉体的にという意味じゃないし、気が強いとか、意思が強いとかいうんでもない。むしろ、涙もろいし、すぐにめげてしまう。わたしは、そんなあなたも好きでした。”「終わってしまった初恋をもう一度告白する。これがとても切ないのよ。この熱烈な告白がある以上、やっぱりこの手紙はラブレターだと思うのよ」確かにそういわれればそうなのだが、僕にはひとつ気になったことがあった。「『ほしのこえ』も『新世界より』も、別れというか、ほぼ恋人みたいな状態の二人が離ればなれになってるじゃない」「うん」「アニメとか映像作品では、そういう時のほうが、ラブレターという小道具が生きるんだろうか? たとえばラブレターから始まる恋物語ってぱっと思い付く? 特に文面が出てくるラブレターで始まる恋愛」突然話題を振ったのでNはうろたえた。「え? どうだろう。実写映画だと『変しい、変しい、私の変人』って書くの作品がなかったかしら」「えーと、それは『青い山脈』かな。あれも恋愛が始まるかというと、ちょっと違う感じだったような。……なんか直感的な話になっちゃうけど、物語の中のラブレターって、離ればなれになってしまった二人の間で交わされる、言ってしまえば、別れのラブレターのほうが印象に残るってるような気がするんだよね」「ああ、そうかもね~。3行ラブレターも結構、もう会えない人への手紙多かった。なんでだろう」「ありきたりな意見だけど、やっぱり会えないという断念が、愛の深さを強調するからじゃないかな~」「とすると」、Nは何か思い付いたような顔をした。「いくらラブレターが出てくるアニメを見ても、相手を口説く役には立たないってことになるわね。別れるときには役に立つかもしれないけれど、真理亜みたいにあまりに熱烈すぎると、感動されるか、ストーカー扱いされるかは紙一重ね」「真理亜の手紙は、感動的だって言っていたじゃないか」「あれぐらい好きな相手からもらえればね。でも、残念ながら現実にそんなことはあまりないでしょう? 別れの手紙も相手の返事をもらうってことは考えていないわけだから、『ほしのこえ』と同じモノローグのバリエーションっていうことかもしれないわね」モノローグにならざるを得ない言葉。もしかすると、手紙である以上、そこがラブレターの本質であり、終着点なのかもしれない。なかなかおもしろい結論だ、とNに声をかけようと思ったらもうNはいなかった。用意した言葉だけが宙に浮いて、僕といっしょにそこにたたずんでいた。「アニメの門チャンネル」 第13回/http://ch.nicovideo.jp/channel/animenomon 2013年9月6日21時半~放映
庵野秀明監督はなぜ「シン・エヴァ」で“絵コンテ”をきらなかったのか?【藤津亮太のアニメの門V 第69回】 2021.4.2 Fri 18:15 アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第69回目は、庵…