(対談収録:2008年5月)アニメ・マンガ評論は生き延びることが出来るのか?3日米評論家対談 藤津亮太×エド・チャベス PART-2 「マンガ・アニメ評論はどこに向う?」- 後編 --------------------------------------------------------------------------------■ アニメファンと評論 アニメアニメ (以下AA) エドさんの肩書きは、ジャーナリスト?エディター?それともライター?エド・チャベス(以下エド) ファンです。本や雑誌に書いてはいますけど、自分の本質はファンです。どんなときもファンの視点で語りたい。肩書きはいろいろ変わりますけれどファンですね。 藤津亮太 (以下藤津)ああ、そうですか。逆に僕は30歳過ぎてこの仕事を始めたので、今のファンの代表者であるという感覚はまったくないですね。だいたい僕の好きな作品はヒットしないし(苦笑)。するとエドさんは、アメリカのマンガファンの民意みたいなものを代表しているという感覚はあるんですか?エド民意を代表していると言われると困ってしまいます。アニメの最初の世代の人たちは、今の若いファンたちに怒っていて、状況が変わってきているのを憂いています。私は彼らより少し若くて、そこまでじゃないけど同じものを見たり、経験しているので気持ちは分かる。ただ、私は同じ世代のアメリカ人からものを学んだのではなくて、日本の批評家の文章を読んで書き方を学んだ気がします。それを読んでいる時も、育ててあげようかという気持ちがあるとは思いますが、日本の批評家は作品に対して甘いというか、私には物足りないと思いました。日本はアニメの歴史が長いので作品を大事に育てようとしなくても文化は育っているはずなのに、なぜか批評は優しい。一方、アメリカは、歴史が短くて本当であれば業界をもっと大事に育てなくてはならないのに、ファンたちは作品にすごく厳しい。どうしてこういうことになっているか自分では分からないのですが。藤津 たぶん厳しくしてもアニメの業界は別に育ったりしないと僕は思いますよ。なぜかというと、皮肉じゃなくて、彼らが反省するのは売れなかった時ですよ。 どんなに厳しいことを言われても、売れている作品はちゃんとその方向で続くわけですから。例えば『機動戦士ガンダムSEED』とかは、世間ですごく叩かれていますし、それほどバランスのよい作品でもない。だけどDVDは売れているわけです。つまり、厳しい言葉を言っても作品は変わらない。本当に育てたければ自分が応援したい作品のDVDを買うしかないと思います。売れなかった作品の作り手が、好意的な評論を読んで心が慰められることが、もしかしたらあるかもしれないけど(笑) それがそうした作品を次に生むかというとそうでもないわけで。あと、有能な人は失敗したら自分の失敗を分かっているので、人に厳しく言われるまでもないですよね。そういう人は次に対策を打つはずですから。一方、無能な人は失敗に気がつかないので、厳しく言われても気がつかない(笑)。 厳しい批評というのが、どこまで業界のためになるだろうという気持ちがあるんです。むしろ自分が心をすっきりさせたいだけで書いているんではないかと。どこがダメかを証明していくプロセスは楽しいし、そういう楽しさがあるのは否定しないから、そういう原稿を書きたい人は全然書いて良いとは思っているんです。でも、僕はそれが業界のためになるかというとかなり怪しいと疑っています。突き詰めていくと、僕の中に、アニメというのが、触れることのできない他人事である、という感覚があるからだと思います。アニメ産業が発展しようと、崩壊しようと、僕にできるのは作品を見ることだけなので。 エド 作品をライセンスで購入する国と生産している国という違いがあるのでしょうね。どうやって作品を生み出すかと、その作品を選び出すかという違いがある。原産国はいろいろ沢山ものを作っている。でも輸入する側はセレクトして何を輸入するか決めなくてはいけないところもあるのではないでしょうか。藤津 それはあるでしょうね。大枠のコンテクストが言葉にならない状態で共有されている日本と、そうではないアメリカの違いですね。■ アメリカで10年間続くエヴァンゲリオン論争 AA日本だとネットの掲示板でアニメに厳しいことを言う人が非常に多いのですが、アメリカのフォーラムはどうなんでしょうか?エド すごく盛り上がっていて議論がいっぱいあります。2ちゃんねるのような意地悪な言葉が飛び交っています。アメリカではエヴァンゲリオンが人気なのですが、もう10年間も論争をし続けています。アメリカのエヴァのファンの間では、エヴァンゲリオンの評価は二極分化していて、大好きな人と大嫌いな人で真ん中がいない。「シンジ駄目!大嫌い」とか。藤津そのあたりは日米でもまったく差がないんですね(笑)。シンジがキライという人の感覚もわかるし、中間層がいないというのも納得です。それはそれで『エヴァンゲリオン』という作品のマジックが有効に機能しているような気がしますね(笑)。AA今聞いていて思ったのですが、日本のアニメってお約束が非常に多いじゃないですか。例えばエヴァにしても、コードギアスにしてもロボットものと学園ものが合体している。日本では普通なんですが、よく考えたら変じゃないですか。アメリカ人には、こうしたお約束をどのように説明しているのですか??エドエヴァには学園ものや、ロボットものや、いろいろな要素が一杯入って来すぎていて、やはりアメリカでは観ている方を混乱させています。ロボットアニメが好きな人はどちらかというと、エヴァが好きではない。物語が多過ぎるからです。コードギアスのような作品が好きな人は美少年が好きでロボットアニメが好きでないという棲み分けができています。コードギアスは正式にアメリカでリリースされるのはこの春からですが、アメリカでは女性ファンばかりで、男性ファンはあまりいないことになるでしょうね。コードギアスについていえば、ロボットは全部背景で美少年を見たいという需要があるのではないでしょうか。藤津 日本では逆にロボットがなければ、女の子ファンだけになっちゃったのでロボットを足したことで男性ファンが上乗せされているんですよね。お話自体は結構ハードな内容なので、イベントの参加者を見ると女性が6、男性が4ぐらいの割合の印象です。日本だと割りと男性ファンもいるんですよね。そこのあたりは作り手が狙ったところだと思うんです。ロボットは背景に過ぎないんですけど、その背景をロボットにすれば男性ファンはちゃんと反応してくれるはずだと、プロデューサー的なセンスが発揮されているんですよねエドそれは分かります。私もロボットが出ているのでコードギアスを観たので(笑)。 ライトなファンは気にしないですけど、コアなファンは学園ものとロボットものの融合とか、ジャンルの融合に対して現在は混乱しており、理解があるとは思えません。アニメの歴史がアメリカでは短いので、やっとそれぞれのジャンルのお約束になれてきたところなので、そこまで理解は進んでいないのではないでしょうか。AA これから先、日本でアニメの評論は確立するのか、アメリカでアニメやマンガの評論は発展していくかはどう考えますか?藤津 僕はお話を聞いているとアメリカの方が長文の文化が発達しているので成立するのかなぁという気がしています。日本だと評論を載せる媒体そのものが少ないので。活字の世界が斜陽な時に、そんな売れないものの時代がくるのかなという点で楽観はしていないので、日本は横ばいかなと思います。やはり商業的ニーズがないところには確立しようがないので。だから僕は今後も隙間を見つけて商売していこうかなと思うのですが(笑)日本だと評論を介さなくてもファンはおおむねアニメ・シーンの全体像が見渡せるんですね。だけど、アメリカのファンは解説を通すことで全体を見渡して、それでその作品のポジションをつかむわけで。その役割は大きいと思うので、そういう意味ではアメリカの方がニーズはあるのかなと、お話をして思いました。 エド 明らかに、アメリカのアニメ市場は悪くなって来ています。だから批評も今後どうなるかの見通しは明るくないし、自分自身もどうなることか。あまりにアニメ産業自体が崩壊しているので、これからそうしたニーズが拡大するかどうかは判りません。 はっきりとは言いにくいのですが、もし状況がうまくいったとしたら批評の役割はすごく大きくなっていくだろうと思います。今アメリカではアニメ雑誌は2、3冊しかありませんが、批評を通してコンテクストを知り、理解を深めて行く場所はもっと必要になってくるはずです。
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