映画評 『借りぐらしのアリエッティ』 | アニメ!アニメ!

映画評 『借りぐらしのアリエッティ』

レビュー 実写

文;氷川竜介(アニメ評論家)

 「身近でありふれた世界や日常生活にこそ驚きが潜んでいる」 高畑勲と宮崎駿はこの考えを『パンダコパンダ』や『アルプスの少女ハイジ』などの実作で明確化し、日本のアニメの方向性に大きな変革をもたらした。スタジオジブリの最新作『借りぐらしのアリエッティ』(原作:メアリー・ノートン/企画・脚本:宮崎駿/監督:米林宏昌)もまた、床下に潜んで暮らす小人と心臓を病んだ少年との交流を通じ、日常を違った角度で切り取って見せる直系の作品である。
 この映画を見終えた観客は、自分の身の回りにあるキッチンや食卓、床下や軒下などが何かワクワクした違ったものに変わって見えてくるはずだ。誇張と省略を多用して現実離れしたファンタジー世界を描くことが得意なアニメが、なぜ現実を別ものに見せる「異化効果」を示すことができるのだろうか。それは映像に入念なコントロールをほどこすことで、複数の《視点》を獲得することが可能だからである。

 通常の人間と身長およそ10センチ程度の小人と、それぞれが所属する「ふたつの世界」の違いは視点の問題だということが、慎重に描かれぬいている。主人公が父親と初めて「借り」(「狩り」に相当する生活必需品の借用)に出かけるとき、観客は彼女と同じ視点で約20倍サイズの民家の中を探検する。この「20倍サイズ」はウルトラマンとミニチュアセットの比率に相当し、食器棚がビルのような激しい高さをもつものとして逆倍率でそびえたつことになる。初めて到達したときのキッチンの広大さの表現は壮絶なもので、CG的な正確重視の空間ではなく、「見た目」を重視したレイアウトによるアニメ的空間による視点の変化が最大の注目ポイントだ。
 小人の主観シーンでは物理法則にも入念な検証がなされている。特に音響は圧巻で、音は空気圧を増し、背景ノイズでさえもが身体に染みてくるようだ。角砂糖ひとつ落ちたときの残響で醸し出される緊張感はただごとではなく、画の描く拡がりと緊密に連携している。水などの液体も強い粘性を帯びて描かれ、人間の動きもスローに見えるなど、物理的なパラメーターが変わったアニメートが「下手な作画」に見えず、意図が正確に伝わるのは技量がすぐれているからだ。

 注意深く観察すれば、大小どちらの視点なのか、その手がかりが発見できるはずだ。ただ、その分だけ本来出逢うべきでなかった2つの世界に属する者が交わり、感情が錯綜していくはずのドラマが、いまひとつ盛り上がりきらなかったようにも思える。物語的にも両者は交流してはいけない「掟」にしばられているが、いったん衝突から融和に転じた2つの世界と2者の感情が、ふたたび引き裂かれてこそドラマになるはずだ。確かに段取り的にはそういう展開になっているはずだが、妙にさめた感じが漂うのが残念だった。さらに人間サイドの行動が押しつけがましく感じられたり、お話の都合で悪者を必要とするような構造があるように思えるのも、視点の意図が際立ちすぎた結果ではないか。
 そうしたことが気になるのも、このフィルムが「世間がジブリアニメに期待するもの」を徹底しているからで、ぜいたくな話かもしれない。緻密なレイアウト、実感のこもったアニメート、美麗きわまりない背景美術など、高密度なアニメ技法を幻惑感あふれる音響ともども体験できる、必見の劇場アニメであることは間違いないことなのだから。

『借りぐらしのアリエッティ』 公式サイト
/http://www.karigurashi.jp/
《animeanime》
【注目の記事】[PR]

特集