ハルヒを通して見る 日本アニメの海外受容のメカニズム | アニメ!アニメ!

ハルヒを通して見る 日本アニメの海外受容のメカニズム

レビュー 書評

 この7月に発売された三原龍太郎による『ハルヒinUSA 日本アニメ国際化の研究』(NTT出版)は、大ヒットアニメ『涼宮ハルヒ』シリーズをテーマにしている。タイトルと題材だけを見ると、本書は『涼宮ハルヒ』シリーズの作品に対する研究本、あるいは海外における日本アニメ事情と受け取られるかもしれない。
 しかし、本書のページをめくり始めると直ぐに、それが大きな間違いであることに気づく。『ハルヒinUSA』は、日本アニメが海外に輸出される時に、その作品に何が起きているのか、その現象が引き起こされる文化的な背景は何かがテーマとなっているからだ。
 本書で三原は、海外にアニメが伝わる際の変容について目を向ける。日本ポップカルチャーの海外伝播において重要であるにも関わらず、これまで見過ごされて来た領域だ。

 著者がこうしたテーマを掘り下げるにあたり、『涼宮ハルヒ』を取り上げたのは的確だ。選択の理由は同作が、国境を超えた話題作ということだけではない。三原によればアニメは、「世界観」、「キャラクター」、「設定」により構成される。映像であるアニメはその一部に過ぎず、実際の作品は小説やマンガ、ゲームなど(メディアミックスと呼ばれる領域と重なる)、さらに同人世界を巻き込んだ要素から成り立つ。
 『涼宮ハルヒ』は異なるメディアの各作品が相互依存関係にあり、総体として「ハルヒ」という世界を構成する。三原の関心は、この多様なパーツで構成される世界観がいかに海外に移植されているかに向けられている。つまり、『涼宮ハルヒ』という作品自体でなく、『涼宮ハルヒ』の作品の構造がどの様に海外に運ばれたかを明らかにする。

 そして、私たちは最終的に本書の中で、米国で受け取られている多くの日本アニメが、自分たちが受け取っているそれとは実は異なったものであることに気づかされる。『涼宮ハルヒ』は、日本と全く同じように米国で受け取られているわけでない。
 三原によれば、『涼宮ハルヒ』シリーズを構築する様々な商品は、現地の産業基盤の脆弱さゆえ正規ルートでは25%しか届けられてない。一方で、その欠けた部分は非公式、多くは非合法に(例えばファンサブと呼ばれる海賊版など)、インターネットの場を中心に補完されたとする。さらに重要なのは、その補完されたものですら全体の50%に過ぎず、日本の『涼宮ハルヒ』のファンの間にある共通の世界観の25%は全く米国に伝わっていないのだ。
 さらにこのファンによる補完という作業を通じて、三原は米国には日本と異なるアニメへのアプローチする構造が築かれていることを明らかにする。それは「日本のアニメは日本人にしか分からない」、「優れたアニメは世界共通」といった単純な理解に疑問を投げかける。

 日本アニメと海外との関係を扱った本は、これまでにも少なくない。しかし、その多くはアートや思想的なものに傾斜するか、もしく通史的に扱うものが多かった。そうしたなかで三原の研究は、日本のアニメと海外文化を考える際に新たな視点を与える。今後さらにこの領域の問題を考える際に、大きな示唆を与える一冊になることは間違いない。本書は、そうした研究の基礎を打ち立てる意欲作である。
 一方で、本書を読みながら75%しか伝わっていない『涼宮ハルヒ』は、本来の有り様から脱換されているにも関わらず、なぜ海外の多くのファンに受入れられるのかという疑問も持った。そして、日本と海外との間で、作品に対する誤解があったとしても、その間にはしばしば同じファンとしての連帯感が生まれる。異なる受容をされてさえ、説得力を持つ作品の力、三原の研究の延長線上には、さらなる研究領域が生まれることを感じさせる。
[数土直志]

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