映画評 『時をかける少女』 | アニメ!アニメ!

映画評 『時をかける少女』

アニメ版『時をかける少女』(2006年/細田守監督)で力いっぱい突っ走る主人公を好演した仲里依紗――彼女を主役に同じ原作を実写化するという、ある種のアクロバティックさを感じさせる企画である。

レビュー 実写
文;氷川竜介(アニメ評論家)

 アニメ版『時をかける少女』(2006年/細田守監督)で力いっぱい突っ走る主人公を好演した仲里依紗――彼女を主役に同じ原作を実写化するという、ある種のアクロバティックさを感じさせる企画である。
 2010年のこの谷口正晃監督版は、物語設定としては原田知世主演の大林宣彦監督版(1983年)を引き継ぎ、ひたむきでアクティブだけどドジっ子の主人公は、アニメ版を継承している。そして今回の少女は、限られた何日かの時間を繰りかえすのではなく、はるか36年前への片道切符的な時間旅行を体験することになる。そこではやはり淡く切ない出逢いと恋心が描かれることになる……。

 「よりによって1974年へタイム・リープか」というのが、現実世界の1974年では高校生だった筆者がまず思ったことだ。具体的な時制が示されたことが驚きであった。記憶の中では、この時代にはきわめて大きな節目が刻み込まれている。1973年10月の第四次中東戦争を受けて原油価格が高騰し、いわゆる「オイルショック」が起きる。太平洋戦争敗戦から復興して四半世紀余り、日本の高度経済成長も限界をむかえ、公害などの歪みを生んでいた。劇中の1974年2月ごろは、繁栄から暗転した世相が決定的になってたころだ。SF作家・小松左京の書いた「日本沈没」がベストセラーとなり、73年末に公開された同題の特撮映画が大ヒット。同時期にノンフィクションの体裁で刊行された「ノストラダムスの大予言」とあわせ、一挙に「終末ブーム」が加速していた時期でもある。
 それゆえに、この1973~1974年につくられたアニメ・特撮作品にはダークな雰囲気をたたえたものが多い。1974年10月放送スタートのTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』における滅亡寸前の地球という逆境の設定も、例外ではない。ただし、「SFビジュアルの新時代」という次のムーブメントを生み出そうとする気概が、そこにはっきりと焼きついていた。つまり暗い闇の中に、次の時代の光明が宿り始めるという時期でもあったわけだ。
 こうした時代背景を念頭におくと、主人公・芳山あかりがタイム・リープした先で巡りあう大学生・涼太の趣味が「SF」であることや、「映画の自主制作」を通じて地球滅亡の意味を自分なりにとらえなおそうとしている姿勢に、格別の意図があるように思えてくる。その深読みの発想自体が、現実と響きあうSF的なトライアルではないのかとも……。そう考えてみると、「時を越えることで輝くラブストーリー」という『時かけの真髄』も、今回はフィクションの枠を越えた格別の切なさをたたえているようである。そうしたフィクション世界と現実の越境のためにも、アニメ版の主役が実写として飛び出てくる仕掛けが必要だったのだろうか。

 筒井康隆のSF小説『時をかける少女』を原作に、時代ごとのクリエイターたちが思春期への思い入れたっぷりに映像リメイクを繰り替えしてきた。そのあまりの反復ぶりは、この作品自体に「時をかけるパワー」が宿っていることを暗示してきた。数あるSF作品の中でも本作独特のメタなパワーは、谷口正晃監督版の「具体的な時制を示し、現実世界と時かけ世界を橋渡しする」という仕掛けを得て決定的になり、次なるステージに移行し始めたように感じられる。
 原作初出から43年という積みかさねた「時」がそれを可能にしたと思うにつれ、「時かけ現象」の壮大さに感じ入るばかりである。これを受けた新たな世代の「次の一手」が、さらに楽しみではないか。

『時をかける少女』公式サイト /http://tokikake.jp/ 
《animeanime》
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