「この世界の片隅に」片渕須直監督インタビュー この世界にすずさんの実在感を求めて 2ページ目 | アニメ!アニメ!

「この世界の片隅に」片渕須直監督インタビュー この世界にすずさんの実在感を求めて

映画『この世界の片隅に』が現在劇場上映中だ。『マイマイ新子の千年の魔法』(2009年)などで知られる片渕須直監督の7年ぶりとなるこの新作は、こうの史代の同名マンガを原作に、第二次世界大戦中の広島は軍港の街・呉市を舞台で生きる主人公すずたちの日常を、……

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  • (C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
■すずさんが本当にいるように思いたい

――つづいていくつか技術的なお話もうかがわせてください。『この世界の片隅に』の背景美術は、これ以上ないほど綿密な調査と時代考証のもとに成立していると思いますが、そうした制作スタイルを採ることの表現上のメリットというのはどういったところにあるのでしょうか。

片渕
アニメーションって基本的に全部誰かが考えて描かなきゃいけないものなので、実写と違って画面のなかに意図せぬ偶然が入りこみづらいんですね。でも現実をモデルにすれば、描き手がどう思おうと本物がこうなってるんだからと、自分たちの想像のおよばない何かまで入りこんでくることになる。それともう一つ、すずさんが絵空事の世界に生きてるんじゃなくて、ちゃんと実在した街を歩いていて、その場所でこんなことしてたんだなっていうような感触がほしかったんです。実際、すずさんが背中をもたれかけてた大正屋呉服店はいまも同じ場所にあって。そこに行けばすずさんのようにもたれかかることができる。もちろんすずさんが本当にそこにもたれかかったわけではないですけど、それによって彼女が実在しているかのような感触を持てるようになるんじゃないかなと。

――それは作品のリアリティを高めるためということでしょうか?

片渕
リアリティというよりすずさんのナチュラルさ、現実に存在しているんだという実在感ですね。すずさんが物語のなかの存在というのを逸脱して、現実のほうにはみ出てきてくれないかなと思いながら作っていて。それを補強する手段の一つがあの背景なんです。


――実在感を出すための工夫というのはほかにもあったのでしょうか。

片渕
作画の面でも、いままで日本のアニメーションがやってきた作画技法にとらわれないようにしましたね。普通のアニメだったらポーズを変えるごとに絵が止まるところを、一度動き出したらずっと動きつづけるようにするとか、普通に生きてる人だったらしてしまうような何気ない仕草や身じろぎもあえて作画するとか。中割りも普通よりかなり細かく入れてて、アニメ的な記号化された演技にはならないようにしています。そのほうが、すずさんがナチュラルに見えるかなと。
だから、背景も作画も声も、全部すずさんって存在を現実の側に浮き彫りにするためのアプローチなんですよ。もっと平たく言うと、僕はすずさんが本当にいるように思いたいんですね(笑)。これまでの作品も、日常生活の機微を描く価値のあるものとして作ってきましたけど、『この世界の片隅に』ではさらに、それを営む人、すずさんという日常の機微そのもののような人が、ナチュラルに実在してるように見えるってことも、同じくらい価値のあることなんだと思って作りました。

■カメラが存在しない世界

――もう一点、画作りで印象的だったのは、すべてのショットがパンフォーカスで捉えられていた点でした。ロングショットはもちろんのこと、人物のアップまでそうなっていて。近年のTVアニメは基本的に、レンズ感を意識したルックが基調になっていますが、それらとは大きく異なるアプローチだと思います。

片渕
そうですね。ただ、こうのさんのマンガの絵がそういう細工を求めてないような気がしたんですよ。作品のなかに、カメラが存在してない感じがして。
人間の眼が普通にものを見るときって、実際には手前のほうはピントがボケてるんだけれども、意識しないじゃないですか。でもカメラで撮ると手前や奥がボケて写る。たとえばフェルメールって17世紀の画家がいますけど、彼の絵は手前の物体のピントがボケてるんですね。それはカメラ・オブスキュラを使って、実際の風景を画布に投影しながら描いてたんじゃないかって言われてて。つまりピントというのは、カメラが存在するからそう認識されるものであって、こうのさんのマンガにはカメラという意識がないように思うんです。

――それはFIXショットが多いこととも通じているのでしょうか?

片渕
カメラワークも『マイマイ新子』のときよりだいぶ減らしてますね。『マイマイ新子』では主人公の新子がちょっと動くと、カメラもついていってたんだけど、今回はPANするくらいだったらはじめからカットを割ってるんです。というか、途中でそういうふうに切り替えたんです。はじめは『マイマイ新子』のときと同じようなつもりで絵コンテを描いてたんだけれども、画面ができはじめてくると、ちょっと違う感じがして。そのとき、カメラが存在してないっていうことなのかなって思ったんです。


――俯瞰が多いのも特徴的です。

片渕
もともと原作にも俯瞰が多いんですが、それはこうのさんが映画的にカメラで映像を撮ってるというよりも情景をそのまま描いているという意識があるから、結果的にそういうふうなアングルになっているのかなと思いますね。

――つまりルックやアングルに関してはすべて、こうのさんの原作の印象から導かれたものであると。

片渕
そういうことですね。

――ありがとうございます。最後に、これから作品を観るファンへ向けてメッセージをいただけるでしょうか。

片渕
すずさんたちが生きた、いまから71年前の時代については、戦争中ってこういうものなんだなっていう思いこみが、予断というかたちでできあがってしまってる気がするんですね。でもこの作品のなかでは、そういうものとは違う当時の人たちの姿を描いたつもりです。世界は一時こんな姿を取っていたけれども、そんな世界のなかにも僕らと同じような人たちがいて、日常生活を営んでいた。いままで描かれてた、型にはまった戦争ものとは違う新しい目で、すずさんを、この時代の生活の機微を感じてもらえたらうれしいですね。

《高瀬司》
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