高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第3回 3DCGアニメ「RWBY」が照らす映像の原則 | アニメ!アニメ!

高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第3回 3DCGアニメ「RWBY」が照らす映像の原則

連載・コラム

■ 高瀬司(たかせ・つかさ)
サブカルチャー批評ZINE『Merca』主宰。商業媒体では『ユリイカ』(青土社)や各種アニメ・マンガ媒体への寄稿、「Drawing with Wacom」(Wacom)などイラストレーター、デジタルアーティストによるLive Painting企画でのインタビュー・動画ディレクションなど。
Merca公式ブログ: http://animerca.blog117.fc2.com/

マンガ研究者の泉信行は、ゼロ年代半ばから後半にかけて「視線の力学」(ベクトル/アングルの分析)というかたちで、作者の作為的操作(視線誘導)とは異なる(前提となる)、読者の慣習から紐解くメディア論的表現論を展開した【注1】。そこで焦点化されるのは、書籍としてのマンガの「書字方向」と「綴じ方向」である【注2】。

日本のマンガは書字方向としては縦書きであるため、右から左へと行移りし、右開き(右綴じ)の書物となっている。泉はこの流れに沿ったキャラクターの(右から左への)横移動を「順流」、逆を「逆流」と呼び、両者が読者に対照的な効果を与えるという原則を見出した。
具体例を挙げれば、たとえばアクションマンガでは主人公は右側から左側の敵を攻撃するといった、順流に則ったバトルが自然な描写となる。

これに近しい議論は、アニメ演出の場においても見受けられるだろう。最も有名なのは、アニメ監督である富野由悠季が『映像の原則――ビギナーからプロまでのコンテ主義』(キネマ旬報社、2002年/改訂版2011年)で展開した上手(かみて)・下手(しもて)の議論である。
舞台演出における上手・下手の役割をベースにしたもので、簡単に整理すれば、客席から向かって右側(上手)が上位、同じく左側(下手)が下位となり、主人公は右側から左側へ進むのが自然な流れになるという。
また同様に、アニメ監督の高畑勲が絵巻物をマンガ・アニメの源流(異時同図法で描かれた絵巻物は、キャラクター表現のみならず、「繰り展げ」て読まれることで時間が流れもすれば、パンやズーム、移動撮影やオーバーラップ、切り返しやマンガ的コマ割りなどに類する多様な映像的演出で彩られもする等々)として読み解く『十二世紀のアニメーション』(徳間書店、1999年)においても、人物が右から左へ「行く」、左から右へ「来る」(右側で見迎える)とされるなど、向きや位置に意味が与えられている(同書、15・59頁)。

なるほど、縦書きの書字方向を持つ文化を基盤にし、歴史的にマンガの映像化を担いつづけてきたうえ、そのコマ割りをベースに映像を組み立てることも多い日本のアニメをめぐっては、古今東西の映像文化のなかでも特に、右から左が順流となりやすいメディアである可能性を想定できるのかもしれない。

とはいえ、富野が「映像における左右の一般的印象は、我々の心臓が左側にあることから決まっている〔…〕左からくるものに対して心臓をかばおうとします」(『映像の原則 改訂版』、55頁)と、人類に共通する原則であるかのように記述しているのに反し――そして泉が視線力学を「他のメディアとは本質を異にする「漫画の文法」の基礎」(『マンガルカ vol.1.1』、60頁)と語るように、マンガにおいてはメディア的特性によって一般化可能と思われるのに対し――映像における「上手(右)から下手(左)へと吹く風」をめぐっては、海外のメソッドに反例も見つかる、あくまで日本のアニメに傾向性として認められるていどのローカルな法則性に過ぎないことは注意すべきだろう。

その点において、アメリカ発のセルルック3DCGオリジナルアニメ『RWBY』の演出は示唆的であった。『Dead Fantasy』シリーズ(『FINAL FANTASY』シリーズと『Dead or Alive』シリーズのキャラクターによるアクションバトルムービー)などで知られる故Monty Oum監督のもと、Rooster Teeth Productionsの制作で2013年からWeb配信がはじまった本シリーズは、そのクオリティと人気の高さから、第1期全16話をまとめた『RWBY Volume 1』の日本語吹き替え版が制作されるとともに、2015年12月9日のパッケージの販売に先駆け11月より先行イベント上映(劇場公開)が行われている。

セルルック3DCGという世界的には特異なアプローチや日本のアニメからの影響の公言などが話題に上りやすいが、視聴した感触としてはむしろ、日本のアニメとは異質なアメリカ的なスタイル(物語構造、アクション、ユーモア)をベースに、そこへ日本的なキャラクター表現や意匠を盛り込むことで独自の手触りを構築した作品という印象を受ける。

そしてそこで目についたのが、アクションシーンにおけるキャラクターたちの立ち位置である。中盤の山場である「エメラルド・フォレスト」でのバトルにおいて、主人公たちが(ラストを除き)左側から右側にいるモンスターへ攻撃をつづけるのだ。
これは強いて富野演出の原則に当てはめれば、弱い者が強い者に立ち向かっていると見なせるのかもしれないが、シーンの流れから見ればそれでは疑問の残るもので、やはり日本のマンガ・アニメの慣例に照らすと意外性のある位置関係で推移している。

とはいえ、これを例に西洋の映像では横書きという書字方向から左から右が順流になると言い出しては、同じ過ちを繰り返してしまうだろう。ここで思い浮かぶのは、格闘ゲームのプレイ画面との類比である。
先に紹介したように、『RWBY Volume 1』の監督であるMonty Oumは本作以前に、日本の3D対戦型格闘ゲーム『Dead or Alive』の、言うなれば二次創作的映像を制作してきた。そして一般に、対戦型ゲームにおいては左側が1P用キャラクターのポジションになっているわけだ。そうした補助線を踏まえるに、アニメ『RWBY』に対する日本のコンテンツとの関わりには、アニメだけでなくゲームからの影響もより強調されるべきものに見える(同様のことはたとえば細田守監督作品に対しても言えるだろう)。

この問題は今後公開が期待されるMonty Oumの遺作『RWBY volume 2』まで踏まえたうえで検討したいが、さしあたっていま示唆しておきたいのは、アニメ演出におけるキャラクターの位置や向きのディレクションの多彩さである。特にアニメは、物理的な制約の多い実写映画などと比べると、画面内の位置や向きに意味を担わせるディレクションを成立させやすい。
つまり――書字方向や伝統芸能における上手下手理論は、方向性をめぐる特定の映像感覚の文化的妥当性を補強するものではあるだろうが、それらを越え出るかたちで具体的に――個々の作品に渦巻いているのは、それぞれの作家が統御する固有の磁場である。

その法則に根拠があるかどうかとは別の次元で、画面内の移動や位置関係をあるルールに則り演出することは、映像に一貫性を与え、作風を強固にする。
日本のアニメのような見かけを持ちながら、日本人とは異なる文化的バックボーンを持つアーティストがディレクションする『RWBY』はむしろ、似ているがゆえに両者におけるルールの差異=日本アニメの別の可能性を照らし出す作品として刺激的に輝く。

■注釈
【注1】:同人批評『漫画をめくる冒険――読み方から見え方まで』(上下巻、ピアノ・ファイア・パブリッシング、2008-2009年)に詳しい。一刻も早い商業出版が待たれる。なお、延長線上の議論は『マンガルカ vol.1』(アニメルカ製作委員会、2011年)にもまとめられている。
【注2】:書籍ではないマンガ、Webコミックスに関しても別途、泉による論考が存在するがここでは触れない。興味のある方は『マンガルカ vol.2』(アニメルカ製作委員会、2013年)を参照のこと。
《高瀬司》
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