藤津亮太の恋するアニメ 第4回 人ならぬものとの恋(後編)  『マルドゥック・スクランブル』 | アニメ!アニメ!

藤津亮太の恋するアニメ 第4回 人ならぬものとの恋(後編)  『マルドゥック・スクランブル』

藤津亮太の恋するアニメ 第4回。テーマは”人ならぬものとの恋”、前回の『美女と野獣』から一転NとSは『マルドゥック・スクランブル』で恋愛を語りだす。

連載 藤津亮太のテレビとアニメの時代
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藤津亮太の恋するアニメ 第4回 人ならぬものとの恋(後編)  

『マルドゥック・スクランブル』

作・藤津亮太


先輩が言っていた。
「つきあい始めてしばらくして女の子の家にいくだろう。さりげなくCDラックを見る。これまで彼女の口から聞いていたアーティストたちが並んでいる。でも、その中に1~2枚、彼女の口から聞いたことのないアーティストがまざっている。ほかのアーティストとも傾向が全然違う。違和感しか感じない」
そこで先輩は一呼吸おいた。
「……それは前彼の幽霊みたいなもんだ。本体は消えても、そこにある。そして女の子のCDラックにはたいがい1枚や2枚は、そんな“前彼の幽霊”が静かに眠っているんだ」

この“前彼の幽霊”の話を聞いたのはもう数年前だが、すっかり忘れていた。それを突然思い出したのは、以前「SFってよくわからない」と言っていたNが突然、ウフコックなんて名前を挙げたからだ。
ウフコックはSF小説『マルドゥック・スクランブル』に登場するキャラクターだ。この『マルドゥック・スクランブル』は全3巻の三部構成で、この構成のまま3本のアニメ映画になっている。

「ウフコック、『マルドゥック・スクランブル』読んでいるんだ?」
「え? 読んでいたらおかしい? アニメのほうもちゃんと見たわよ」
ちょっと怒ったようなNの口調に押されて僕は、なんで『マルドゥック・スクランブル』読んでいるのか聞きそびれてしまった。

マルドゥック・スクランブル』のウフコックは、封印された科学技術で作られた金色の毛並みを持つネズミだ。人語を操り、亜空間に貯蔵してある物質を使って様々な兵器や道具に変化(ターン)することができる。
主人公バロットは、ショーギャンブラーのシェルに殺されかけ、やはり封印された科学技術によって蘇ることになった。ウフコックは年長者のようにバロットを支え、励ましながら、ともにシェルの犯罪を追うことになる。そしてその戦いを通じ、二人はお互いをかけがえのない存在と思うようになる。

「『美女と野獣』の野獣は、王子になった瞬間に単なる薄っぺらな二枚目になっちゃったでしょう。あれは、物語の主役はかっこいいもの、という子供っぽい発想に従っているだけなのよ。でもウフコックは、なんでも変身できるにもかかわらずずっとネズミのままなのよ。そしてそれによって、逆にウフコックの優しさや知性が際だつわけ」
僕は、急に雄弁になったNの話にとりあえず耳を傾けていた。

「人間は姿形ではない。心だ」というメッセージを発しているはずの『美女と野獣』がその王子様の姿でメッセージを裏切っているのと比べると、ウフコックはネズミでありつづけることで、逆にそこに姿形にとらわれない一つの魂があるように感じられるのよ」
「ふむ。まあ、アニメ版の完結編『排気』では、ついにウフコックはネズミの姿にすらならなかったものね」
「そう。『排気』のウフコックはバロットの手袋にターンしたまま。ただ声がきこえてくるだけ。それが魂と魂が寄り添い合っているようで、よかったのよ」

Nがちょっとうっとりしたような声を出したので、僕はちょっと意地悪な気持ちになった。
「つまり、姿を描かないことで究極の恋人の姿を描き出しているのがウフコックと。でもそのプラトニック礼賛さって、ちょっと少女マンガっぽくないかな?」
Nが眉を寄せた。
「人間には体がある。魂はあるかないかもわからないあやふやなものだけれど、体は確固たる存在だから、触って確認することができる。人と人との結びつきは他人の認識から始まるとするなら、人が人に触れるというのはすごく大事だと思うんだよ。でもウフコックはネズミで、触れるという意味ではバロットと対等じゃない。そこをネグって描かれる二人の心の交流って、ちょっとロマンチックに過ぎなくない? そう考えると『美女と野獣』ばかりがNG判定されることもないかなーと」

そして僕は最後に付け加えた。
「だってあの姿のままだったら……愛し合ってもセックスもできない」

Nはちょっと首をかしげていたが、口を開いた。
「つまりSとしては、女の子の首を絞めて『キモチワルイ』と言われるのが、正しい愛の始まりだといいたいわけね」
「ま、極端なことをいうなら、そうなるかな」
「なんていえばいいかしらねー。世の中には、事情があってセックスできなくなっているけど、ちゃんと夫婦をやってる人だっているわけよね。それを考えた時に、人が人に触れることの大切さとセックスを直結して考えるのは、Sっぽい単純な発想じゃないかしら。むしろ、ふれ合いの中のバリエーションとしてセックスがあると考えるほうが自然じゃない? ほら老夫婦のセックス問題で、実際にするかどうかじゃなくて、抱き合っているだけでいいんだ、という話があるじゃない。そう考えると『マルドゥック・スクランブル』にもそういうラブシーンがあるのよ」
「どこ?」
「『燃焼』で、瀕死の状態から回復したウフコックが寝る前のバロットと一緒にいるシーン。ウフコックがバロットの指と戯れていたと思うんだけれど。Sはネズミと人間では触れあうにしても対等じゃないというけれど、あのシーンはそんなことはないと思ったけど。
あの前に、ウフコックが治療中のガラスケースにいて、触れられないシーンがあるから、すごく意識的に演出されてると思うんだけどね。それがあるからこそ『排気』で姿を見せないという演出があると思うの。そういう意味ではロマンチックに裏付けはあるのよ。そういう意味では人ならぬものの恋も、人と同じなのよ」
「つまり『圧縮』『燃焼』『排気』の三部作は、「出会い」「肉体の接触」「魂のつながり」の三部作でもあると。なるほど」

Nの意見に納得した僕だったけど、つい混ぜっ返したくなってしまった。
「じゃあ、Nの接触の理屈でいうと『イクシオンサーガDT』は、どんな風に読めるのかな?」
言い終わるや否や、Nの平手が僕のほほを打った。痛い。これもまた「肉体の接触」。
僕はほほを抑えながら「Nって『イクシオンサーガDT』を見てるんだ」と思い、去っていくNを見送っていた。

藤津亮太の「アニメの門チャンネル」
/ ttp://ch.nicovideo.jp/channel/animenomon
毎月第1金曜日22時からの無料配信中
2013年1月11日22時~第5回放映予定

藤津亮太[アニメ評論家]
単著に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』(NTT出版)。「渋谷アニメランド」(NHKラジオ第一 土曜22:15~)パーソナリティ。
藤津亮太の「只今徐行運転中」
/http://blog.livedoor.jp/personap21/
《animeanime》
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