「カバネリ」と「ゴッドイーター」にみるアニメの情報量の違いとは? 藤津亮太のアニメの門V 第10回  | アニメ!アニメ!

「カバネリ」と「ゴッドイーター」にみるアニメの情報量の違いとは? 藤津亮太のアニメの門V 第10回 

連載・コラム

凝った仕上がりを施された『甲鉄城のカバネリ』のキャラクターが話題だ。
メイクアップアニメーターとクレジットされたスタッフの仕事ということで、そこに注目した新聞記事(参考:http://www.sankei.com/premium/news/160504/prm1605040024-n1.html)も登場した。メイクアップアニメーターは、髪の毛のハイライトや、瞼のアイシャドウなどを加えて、キャラクターの顔の最終的なデティールアップを担当しているという。

『カバネリ』のこのアプローチを見て、思い出したのは『ゴッドイーター』だ。表面的には2作のアプローチは決して似ているわけではない。だが、作り手の意識はさておき、視聴者として見ると、この2つは「キャラクターの情報量のコントロール」という深いところで共通点があるように思う。
そもそもアニメのキャラクターとは、基本的に実線で区切られ、色面で塗り分けられた存在だ。それは制作工程がデジタル化されても大きくは変わっていない。そのため、アップになるとどうしても情報量が減る。そこはアップになればなっただけ情報量が増える実写と大きく異なる点だ。

従来の作品でもアップが寂しければ、影のつけかた、まつげや瞳のの描き込みなどで、必要に応じて顔の情報量を増やすことはないわけではなかった。だが、それはあくまでスペシャルな描き方であった(先行するスペシャルな描き方を後半の話数で模倣することは当然ある)し、作画監督などアニメーターがエンピツで描き込んだり、指定できる範囲だった。
こうした顔の情報量の少なさに対して、ここ20年の間に背景の写実性は向上し、情報密度もかなりの高さまで上げられるようになっている。つまりアニメだと、ロングよりアップになった時のほうが情報量が減ってしまうのだ。

もともとアニメやマンガでは、キャラクターよりも背景のほうが写実度が高い。特に現状、アニメがいわゆる“劇画の系譜を継ぐキャラクター”を選択することがないことを勘案すると、作品世界をリアリティをもって実感してもらう時、背景とキャラクターの情報量には差が生まれがちなのだ。だから、それをどうコントロールし、マッチさせるかは、画面作りの際の大きなポイントとなる。
もちろん『かぐや姫の物語』のように引き算で画面を作る方法はある。そして、そこではまず「描かれているものは絵である」という点が共有され、絵の描線の持つニュアンスがリアリティを喚起し、作品を支える。だがこれは現状のアニメビジネスにおいては非常に特殊な例だ。
多くの作品は「描かれているものがおおむね実在のもの」というフォトリアルな表現を前提としてリアリティーをコントロールしなくてはいけない。そこではキャラクターの情報量は大きな意味を持つ。

『カバネリ』のメイクアップアニメーターの仕事は、そこだけ取り上げると、ビジュアルを、キャラクター原案である美樹本晴彦のイラストに近づけるための作業に見える。もちろんそれはそれとしてそういう目的もあるのだろう。
だがむしろ大事なのは、アップという重要で同時に情報量が一番減りがちなカットの時に、背景に負けないだけの情報量を盛りこむ点にあるのではないか。当然ながら情報量の多いキャラクターのアップは、アイキャッチ能力が格段に高くなる。

そんな『カバネリ』の戦略に対し、『ゴッドイーター』のアプローチはまた少し違う。
『ゴッドイーター』は、キャラクターにあたる照明を3方向と想定して影をつけている。まずひとつはメインの照明による影。次が、そのメインの光が環境光としてまわった逆方向からの照り返し。それからシルエットを際立たせる頭部のやや後方よりのトップライト。
このような照明の設計を反映して、通常なら影だけで終わるサイドの輪郭に、メインの光がわずかに回りこんでいるところを描き込むのが本作の特徴だ。頭のあたりの輪郭線も、きわめて細いが、後方からくる光による白い線がシルエットを際立たせている。

『ゴッドイーター』はその影付けが、環境光を反映しているため、背景とうまくマッチし、キャラクターがその空間に存在している印象が強くなっることで、実在感が増している。(放送時に3DCGと誤解した視聴者が少なからずいたのは、細い輪郭線とこの色が生む実在感のせいだったと思われる)。
つまり『ゴッドイーター』は、キャラクターに光(と影)の情報量をこれまで以上に載せることで、リアリスティックな背景との融合を目指すアプローチだったと考えることができる。
背景の情報量に対し、キャラクター・サイドの情報量をどうコントロールすればよいか。そこに対してそれぞれのアプローチを示しているのが『甲鉄城のカバネリ』と『ゴッドイーター』と見ることができるのだ。

これを考えたとき、1980年代後半のアニメに見られる、細かな描き込みやこってりとした影付けなども、単なる絵柄の流行というだけでない意味合いをもって再検討できるのではないかと思う。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ
ゼロ年代アニメ時評』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。
《藤津亮太》
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