ザクとうふからガールズコレクションまで 相模屋食料の地方発ヒットの裏側 | アニメ!アニメ!

ザクとうふからガールズコレクションまで 相模屋食料の地方発ヒットの裏側

 14年8月30日、第25回神戸コレクションが開催。日本最大級のファッションショーと呼ばれるこのイベントで、ランウェイを歩くモデルが手にしていたのは豆腐だった。

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 14年8月30日、第25回神戸コレクションが開催。日本最大級のファッションショーと呼ばれるこのイベントで、ランウェイを歩くモデルが手にしていたのは豆腐だった。ショーで豆腐の新商品をデビューさせる――。前代未聞のチャレンジを行ったのは、群馬県に本社工場を持つ相模屋食料株式会社。26年度には売上178億円を記録した、業界最大手の豆腐メーカーだ。

 その後、「マスカルポーネのようなナチュラルとうふ」は、翌月7日の東京ランウェイにも登場し、会場の女性から喝采を浴びた。新開発のUSS製法による豆乳クリームを使用したことで、15年にはものづくり日本大賞を受賞している。

 製品を開発したのは、相模屋食料で代表取締役社長を務める鳥越淳司氏。社長自らが企画し、開発からプロモーションまでを手掛けたというこの製品は、一体どのような経緯から生まれたのか? そこには豆腐の新たなジャンルを作りたいという、鳥越氏の思いがあった。

■勝負に出て、自分の夢をかなえる
 鳥越氏が相模屋食料に入社したのは02年のこと。以前は雪印乳業(現雪印メグミルク)で営業職に就いており、その中で鳥越氏は00年、集団食中毒事件を経験することになる。各方面へと謝罪に向かう中、鳥越氏が痛感したのは製品に対する知識不足だった。雪印乳業では製販分離が徹底されていたため、営業職の人間が工場に入ることは無かったという。

 同じような経験を繰り返したくない。そんな思いから、鳥越氏は入社してすぐに工場に入り、豆腐の製造に携わることになる。夜中の1時に作業を開始し、大豆から豆乳を絞り、その味をみて、豆腐をよせて。その頃、義父にあたる江原寛一社長(現会長)から聞かされたのが、建設予定の第三工場についての話だった。


 江原氏は当時、日本最大規模となる豆腐工場を計画していた。必要とする予算は41億円。当時、会社の売り上げが32億円だった頃、それはあまりに身の丈に合わない話だった。社内で誰もが反対する中、唯一賛成したのが鳥越氏だったという。

「例えば、中古の機械を入れて、当時の需要に規模を合わせれば、10億円程度の予算で新しい工場ができたかもしれません。でも、それは今までの延長線上でしかないわけです。もっと勝負に出て、誰もが作ったことのない工場を建てて、自分たちのつくりたいお豆腐をつくる。それが、当時私たちが一番やりたいことだったんです」

 豆腐づくりに携わる中で、鳥越氏にはずっと悔しい思いをしていたことがある。それは、出来立てのおいしさを、そのまま提供できないこと。その日の作りを調整するために味見をすると、アツアツの豆腐は本当に美味しかった。それをパックに手で詰めるため、人肌で触れられるように冷やして出荷する。完成した豆腐からは、本来の美味しさが失われていた。

 そこで思いついたのが、出来立ての豆腐を熱いままパッケージに入れ、それを急激に冷やすこと。試しにつくった豆腐は、これまでの製品より確かに美味しかった。とはいえ、高温な状態のままの豆腐は、従来のように人の手ではパック詰めできない。産業機械のメーカーや展示会を回る中で、鳥越氏がたどり着いたのがロボットだった。

 高温多湿で水を多く使う豆腐工場は、ロボットにとって決して相性の良い環境ではない。さらに、出来立ての豆腐を熱いままパックに詰めるには、かなりのスピードでラインを動かすことになる。ラインの作業速度が上がれば、豆腐の生産量はあがるが、それだけの原料や生産力も必要だった。これらを一つ一つ解決するには、実際かなりの苦労があったという。


 また、大量の豆腐を作る一方で、その売り先については当初決まっていなかったという。しかし、たまたま縁のあった日本生活協同組合連合会(生協)の担当者が工場を訪れ、その価値が高く評価された。これまでに経験のない大規模な工場のこと、品質管理については手が届かないところもあったが、ノウハウについてかなりアドバイスを得ることができたという。

 こうして、05年に第三工場が稼働し、これを機に相模屋食料の売り上げは急激な成長を遂げていく。当時41億程度だった売り上げは、以降9年間で5倍以上に伸びていった。その中心に立って指揮を取った鳥越氏は、07年に社長に就任している。

■社長、なんか凄いことになっていますよ
 第三工場の立ち上げに成功した一方で、相模屋食料では今までと変わらない体質で、豆腐の製造が続いていた。スーパーの要望に応じて新商品を開発。業界的にもそれが慣例だったという。

 そんな会社に転機が訪れたのが10年のことだった。当時はモチモチとした食感が流行っていたこともあり、相模屋食料でもこれに合わせて、何か新商品を開発できないかと話が持ち上がる。食感の改良と言えば、定番なのがデンプンと寒天。さっそくデンプンを入れた厚揚げをつくってみると、それが抜群に旨かった。

 こうして発売された「焼いておいしい絹厚揚げ」は、年間30億円を売り上げる、業界でも異例のヒット商品となる。とはいえ、豆腐は大豆と水だけでつくるのが常識だったため、デンプン入りの豆腐は邪道だと、同業者から叩かれることもあったようだ。

「でも、そんなことはお客様には全く関係ありませんよね。もちろん、最低限のマナーはありますが、業界の慣習だからと批判されても、やりたいことは貫く。その頃からですかね、お豆腐で何かイノベーションができないかと考えるようになったのは」


 そんな鳥越氏だからこそ開発できた製品がある。12年に発売された「ザクとうふ」。子供の頃からガンダムが好きで、ただ自分の夢を叶えるためにつくった製品だった。そこには、豆腐業界を活性化したいという狙いもない。プラモデルを作って、それをどうですかと見てもらうような気分だったという。

 そのため、ザクとうふの開発は社長業の空いた時間を使い、鳥越氏一人の手で進められた。豆腐は機体のカラーに合わせて枝豆風味に仕上げ、それをザクの頭部を模るパッケージに入れる。モノアイ(単眼)に貼るシールについても、造形的に美しい半月形になるよう、何度もメーカーにリテイクさせた。

「別に隠していたわけじゃないので、社内の人間も開発のことは知っていましたけど、みんな微笑ましい目で見ていましたね。当時の営業部長に『シールは貼るのではなく、同封した方が喜ぶんじゃないですか?』と言われたこともありましたけど、全然わかってねぇなって(笑)。そんな感じで自分の世界に入って、一人でちまちま作っていました」

 12年3月に秋葉原で行った記者発表会も、アニメに登場するキャラの声優に会いたいという、ほとんどその一心から開いたものだったという。握手をしてもらい、「見せてもらおうか!相模屋のザクとうふの性能とやらを」と決め台詞を言ってもらい、ホクホク顔で降壇した鳥越氏に、同席していた社員が声をかけた。「社長、なんか凄いことになっていますよ」。

 そこで見せられたのが、スマホに表示されたツイッターだった。画面上ではザクとうふのことが呟かれており、それがほんの数秒のうちに次々と更新されていく。その日の夕方にはYahoo!ニュースのトピックスにも掲載された。

 プロモーション活動を一切行わなかったにも関わらず、ザクとうふは売れに売れた。今まで豆腐売り場に近づいたこともない、30代から40代の男性が初めて足を運んだ話もあったという。

「お豆腐というのは老若男女、誰もが食べられるのが前提でした。でも、ザクとうふのようにターゲットを絞っても、商品として成立することに、その時はじめて気づきましたね」(つづく)

【地方発ヒット商品の裏側】ガールズコレクションで大人気の豆腐!…相模屋食料(1)

《丸田鉄平/H14》
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