“アニメ平成史”を総括、キーワードは「デジタル化」ほか4つ【藤津亮太のアニメの門 第41回】 | アニメ!アニメ!

“アニメ平成史”を総括、キーワードは「デジタル化」ほか4つ【藤津亮太のアニメの門 第41回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第41回目は、「アニメ」における平成の間に起きた変化を、「パッケージビジネスの興亡」「デジタル化」「1クールの標準化」「国際的評価の定着」の4つのキーワードから紐解く。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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来年4月でいよいよ平成が終わる。アニメ産業の本格的スタートを、1958年に公開された日本初の長編カラーアニメーション『白蛇伝』とするなら、アニメが本格的に産業化して今年で60年。その半分を平成が占めていることになる。

そんな平成の間に、アニメを取り巻く状況も、アニメ自体も大きく変わった。平成の間に起きた「変化」とはなんだったのだろうか。
キーワードは4つある。それは「パッケージビジネスの興亡」「デジタル化」「1クールの標準化」「国際的評価の定着」だ。

パッケージビジネスの興亡。ひとことでいうとこの30年は、パッケージソフトを販売・購入するというビジネスモデルが隆盛し、縮小していく過程そのものだった。

アニメのパッケージビジネスは、家庭用ビデオ機器が普及した1980年代前半に始まり、平成の始まった1989年ごろは、ハイターゲット向けのマニアックな企画はOVAというスタイルでリリースされるケースが多かった。

このパッケージの売上により資金回収を行うビジネスモデルがTVに応用されて、1990年代後半からは「深夜アニメ枠」が増加することになる。
そういう意味で「深夜アニメ枠」は「ファーストウィンドウが地上波TVのOVA」なのだ(さらにいうとイベント上映される作品は、ファーストウィンドウが映画館のOVAである)。
そして、深夜アニメは分数ベースで、TVアニメの半分以上を占めるまでに至った。

パッケージの売上がピークを迎えたのは2000年代半ば。そこを境に、パッケージソフトの売上は縮小していく。
音楽産業を見ると、映像産業よりもひと足早く、パッケージ(CD)離れが進行していたことからも予想された通り、この縮小は早晩避けられない事態だった。
ただし直接的には、2000年代半ばに登場した動画共有サイトに違法動画がアップされたことの影響も無視できない。

パッケージビジネスは現在もじわじわと減り続けている。コレクターズアイテム的なものとして一定のニーズは残るだろうが、ここから右肩上がりになることはない。
一方、国内の配信ビジネスは伸びつつあるが、パッケージビジネスの代替になれるほどにはまだ大きくない。
「平成の次」のアニメビジネスは、まず「地上波放送」「劇場上映」「パッケージ」「配信」という各チャネルをベストミックスして、利益を最大化できる仕組みをどう作るか、という取り組みから始まることになる。

一方、制作面での変化は「デジタル化」の進行と言い表すことができる。
まず1990年代末から2000年代にかけて一気に進行したのが、仕上げと撮影のデジタル化だ。
コンピューター上での作業になったため、セルとフィルムは使われなくなった。

現在は、キャラクターを描いたレイヤーが「セル」と、そのほかの業界ではコンポジットと呼ばれる作業が「撮影」と呼ばれるのは、アナログ時代の名残といえる。
メリット、デメリットはそれぞれあるが、デジタル化により、セル絵の具の色数に縛られない色彩設計が可能になり、撮影で使えるテクニックもフィルム時代よりはるかに細かく複雑になった。

一方、3DCGの普及は大きく2段階にわかれており、まず2000年前後からロボットや乗り物などのメカ描写に使われるケースが増えた。
他方、キャラクターを3DCGで描くケースはその時点ではあまり普及していなかった。これが、2010年前後になると、セルルック3DCGでキャラクターを描く例が登場し始め、数年を経てぐっと普及することになる。

この時、手描きの苦手なモブシーンや、ダンスシーンといった部分から導入が始まった。
現在は表現レベルの向上に加え、制作本数の増加とアニメーターのレベルのばらつきの増加(作画監督の負担の増大)といった事情も加わって、3DCG作品はじわじわと増加傾向にある。

だが平成の間だけで「デジタル化」が完結したわけではない。
「平成の次」には、絵コンテ作業と作画のデジタル化がどこまで普及するかが大きなトピックになる。
絵コンテからフィルムアップまでが、デジタルで一気通貫した時に、アニメ制作はまた次のステップに入ると考えられる。

そして「1クールの標準化」である。
アニメはもともとスポンサーの商品セールスの関係もあり、1年間(4クール)が基本で考えられていた。
現在もマーチャンダイズ系(子どもに玩具やカードなどを買ってもらうタイプの作品)は4クールが基本である。それが次第に2クールが増え、2000年代半ば以降の深夜枠では1クールが基本になった。

これはパッケージビジネス故に、OVA作品数が多いほうがリスクヘッジができることが大きな理由としてある。
また1クール作品で『涼宮ハルヒの憂鬱』という大ヒット作が出たことで、放送期間の短い1クール作品でもファンにちゃんと認知をしてもらえるということが証明されたことも後押しとなった。

かくして1クールアニメが量産されるようになり「1クールの中で最適化していかに物語るか」の技術も急激に洗練されることになった。
この語りの密度感は、プラットフォームが地上波TVから配信になっても、十分そのニーズに応えられるものだ。
もちろんこれには「マンガ原作を扱うには短すぎる場合がある」「新人スタッフをお試しで登用できるエピソードが減った」などのデメリットとの裏腹でもあるが、先述の通り、配信メディアとの相性もよい1クール作品は、今後もTVアニメの標準的なスタイルでありつづけるだろう。

最後の「国際的評価の定着」は改めて強調することもないだろう。
先鞭をつけたのは『AKIRA』(1988)で、これが平成に入る直前の出来事だ。そこに続いたのが『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)。いずれも欧米のカルチャーシーンに大きな影響を与え、日本製アニメーションが「ANIME」と呼ばれる礎を築いた。
1997年に全米で公開され大ヒットした『Pokemon: The First Movie』(『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』)のインパクトも大きかった。

一方、『魔女の宅急便』以降、1990年代にヒット作を連発してブランドを確立したスタジオジブリは、2002年に『千と千尋の神隠し』で第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞、第75回アカデミー賞のアニメ映画賞をW受賞している。
最近の映画祭では、2017年にアヌシー国際アニメーション映画祭の長編部門で『夜明け告げるルーのうた』がクリスタル賞(グランプリ)を、『この世界の片隅に』が審査員賞(準グランプリ)とワンツーフィニッシュを決めている。

映画だけではなく、ビデオの普及とともに日本製TVアニメも海外でもじわじわと認知を広めてきた。
2000年代なかばに盛り上がったパッケージビジネスは下火になってしまったが、現在は、アジアや北米の配信ビジネスが日本製アニメを積極的に購入している状況だという。
これは「日本製アニメ=ANIME」が、映像配信のラインナップを組む時に欠かせない一ジャンルを形成している(それぐらいにはマニアックなファンがいる)ということでもある。
昨今、空前の制作本数をカウントしているのは、こうした海外の配信ビジネスへの番組販売による売上が好調という背景もある。

以上、駆け足で「平成の間に起きたこと」を振り返った。では現在のアニメはどんな状況にあるのか。
次回は「アニメ産業レポート2018」を紐解きながら、その点を確認する。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。
《藤津亮太》
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