「傷だらけの悪魔」澄川ボルボックス先生インタビュー いじめについて考えるきっかけになって欲しい | アニメ!アニメ!

「傷だらけの悪魔」澄川ボルボックス先生インタビュー いじめについて考えるきっかけになって欲しい

comicoで大人気の作品であり、さらには映画化され、現在公開中の『傷だらけの悪魔』。作者の澄川ボルボックス氏に、作品について、映画について、そして「いじめを描くということ」について伺った。

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漫画・ノベルアプリcomicoで連載中の漫画『傷だらけの悪魔』。東京から地方の高校に転校した主人公の葛西舞が出会ったのは、かつて中学校でみんなにいじめられていた玖村詩乃。中学ではいじめの傍観者だった舞は、高校で詩乃からいじめの復讐を受けることになってしまう……。

comicoで大人気の作品であり、さらには映画化され、現在公開中の『傷だらけの悪魔』。作者の澄川ボルボックス氏に、作品について、映画について、そして「いじめを描くということ」について伺った。いじめを無くすことはできるのか考えながら読んでほしい作品だ。
[取材・構成:大曲智子]

『傷だらけの悪魔』
http://www.comico.jp/articleList.nhn?titleNo=1300

■実体験を作品へと昇華

――学校でのいじめをテーマに漫画を描こうと思ったきっかけを教えてください。

澄川ボルボックス(以下、澄川)
もともとはcomicoのコンテストに合わせて考えた作品だったんです。最初、ギャグ漫画で応募しようとしていたんですが、ギャグでは埋もれてしまう可能性があると思い、インパクトがある作品がいいだろうと考えて、自分に描ける題材を探し始めました。そんな中、以前いじめの現場を目撃したことを思い出し、いじめをテーマに描いてみようと思ったんです。

――いじめの現場を目撃して、どのように感じましたか。

澄川
閉鎖的な環境だったので、加害者にみんな逆らえなかったんです。すごく腹が立つなぁと思っていました。

――それを漫画にしてしまおうと。

澄川
職業病の一種でしょうね(笑)。当時は直接言えなかったけれど、そこで浮かんだ疑問を漫画にして発散しちゃえと。舞台を学校にしたのは、いじめの問題を若い人に考えてほしいなと考えたからです。

――いじめに加担していた子がいじめられる側になってしまう、いじめられていた子がいじめ返すという構図はどのような発想からだったんですか。

澄川
いじめは道徳的な問題で、「悪いことだ」と描かないといけない。ですが、そういう漫画ならすでにたくさん優れた作品がありますから。今までにないものをと考えた結果、いじめに加担していた人がいじめ返されて、また立ち向かっていくという構図になったのです。いじめられる側、いじめる側両方の視点に立ってみて欲しいと思います。

――いじめの描写に関しては、実体験そのままなのでしょうか。それとも誇張しているところも?

澄川
私が体験したのは大人のいじめなので暴力など物理的なものはありませんでした。いじめを漫画にするにあたって、心理的ないじめというのは絵的にインパクトがない。そういう理由で誇張しているところもあります。ですが、この作品はいじめの表現がゆるい方だと思います。それは意図しているところで、あまりひどくなり過ぎないようにと考えながら描いています。実際に起きているいじめは、もっとひどいだろうと。

――SNSを使ったいじめというのは今っぽいですよね。

澄川
当時の担当さんから「現代っぽいいじめを入れてみては」と言われて考えてみました。私の学生時代はSNSがまだ盛んではなかったのでSNSでのいじめは当初は予定していませんでした。調べて聞いたことをそのまま描くわけにもいかないので、あくまでも漫画としてどう見せられるか工夫しています。

――読者からはどんな反応がありますか。

澄川
comicoは読者が作品に感想コメントを書き込めるのですが、最初の頃は否定的な意見も書かれました。それでも多くの人が付いて来てくれたので、このままで大丈夫なんだなって感じましたね。それよりも読者のみなさんは、作家が想定しているよりもずっと漫画を読んで考えてくれているように感じますね。「私だったらこうするのにどうしてこの子はこうするの」とか書いてあったり。そういう意見は楽しく拝読しています。「この子はこういうきっかけがあったからこういう行動をおこしたんだ」とか、キャラクター同士の思いが交錯していることまで考えながら読んでくれる人がいて、驚かされますね。世界観に入り込んでいる人が多いなと思います。

――先の展開はどこまで決めているんでしょう?

澄川
終わりまでだいたいのあらすじは決まっています。それを一つずつ消化していっている感じですね。読者の方の反応を見て展開を変えることはないのですが、わかりづらいと言われたら補足を加えて、読む人のストレスを解消するようにしています。担当さんの意見は素直に聞きますよ。

――客観的に描かれる一方で、読者の目を惹きつける、娯楽性とのバランスも重要だと思うのですが、そのあたりどのように考えていますか。

澄川
私自身があまりキャラクターに入れ込んでいないんです。どのキャラも私ではない。俯瞰して見ていて、どの子にも肩入れしないようにしているんです。ただ、「ゲス顔が出ると反応がいい」と言われているので、それは私の漫画の持ち味として必要なのかなと思っている部分ですね(笑)。

――キャラクターに思い入れはないんですか?(笑)

澄川
そうですね。でも映画の舞ちゃんを見たときはやっぱり「うちの子かわいそう」って泣いてしまいましたけどね(笑)。内覧試写を観せていただいたときは、5分に1回は泣いてました。やっぱり愛情はあるんだなと思います。

abesan■漫画も映画も伝えたいメッセージは同じ

――その映画ですが、映画化のお話を聞いたときは嬉しかったのではないですか。

澄川
すごく反応が薄かったと思います(笑)。「あ、わかりました」みたいな。書籍化が決まった時も「了解しました」って感じだったので。こういう性格なのですが、後から実感がわいてきましたね。撮影現場を見学させていただいたのですが、「本当に撮ってる!」ってなりました。

――完成したものをご覧になっていかがでしたか。どぎつい表現もありつつポップになっていましたが。

澄川
ポップな表現になっているところはびっくりしました(笑)。でも、観ていくとすごく原作を意識してくださっているのがわかりました。打ち上げでお話しした時に山岸(聖太)監督が、「いじめを楽しいエンターテインメントとして捉えている(人たち)」として描いたとおっしゃっていて。私も同じように考えて描いているところがあったので、そこをわかってくださったことが何より嬉しかったです。映画は私のものではなく監督さんや演者さん、スタッフさんたちのものだと思っています。私が映画化にあたってお願いしたことは「いじめについて考えるきっかけになる作品にしてほしい」ということでした。観る人によって印象に残る場所は違うと思うのですが、いじめについて考えてくれればいいなと思います。

――澄川さんについてもお聞かせください。漫画家になった経緯というのは?

澄川
漫画を描くのが好きで雑誌に投稿していたんです。担当さんがついたこともあったのですが、就職活動の時期が来て私は就職することを選びました。漫画家になることはいったん諦めたのですが、就職後も休日に漫画を描いて投稿していたんです。そんな中でcomicoのコンテストで特別賞をいただき、『傷だらけの悪魔』でデビューしました。

――漫画を作る工程の中で、一番好きな瞬間はどこですか。ネームを考える、描く、読者の反応を見るなど。

澄川
読者の方から反応をいただくときは嬉しいですね。読者コメント内であれこれ考えてくれているのを見るとすごく嬉しいなって思います。考えながら読んで欲しいと思っているので。

――comicoは読者の反応がすぐ返ってくるのは特長の一つですね。comicoは昨年リニューアルされましたが、いち作家としてどうご覧になられましたか?

澄川
読者が作品にお金を払うという仕組みが導入されることによって、戸惑いを覚えた方も多いとは思いますが、創作活動を支える仕組みがより整備されていっていると私は思います。作品に対してお金を払うという行為は、「面白い!」と読者に思ってもらえたという確かな手応えが湧くもので、作品作りの参考になりますし、読者層や傾向の研究にもつながります。今後、comicoのサービスや作品の質は変わっていき、よりよい作品が生まれるだろうと思います。収益化していくということは、作品の質を向上させていかなければならない、ということでもありますので。私たち作家も気を引き締めて作っていかないといけないですね。

――最後に、『傷だらけの悪魔』を毎話楽しみにしているファンの方、そして映画を機に知った方に、メッセージをお願いします。

澄川
記憶に残る作品作りがしたいと思っています。さらっと読める作品ではなく、記憶に残る、思い返してもらえる作品。そのためあえてちょっと重たいセリフを入れたりもしていますが、読んだ方の記憶に残れば嬉しいなと思います。
《大曲智子》
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