「銀魂」の一番の核を正面から描いた『劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ』:藤津亮太 | アニメ!アニメ!

「銀魂」の一番の核を正面から描いた『劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ』:藤津亮太

7月6日に劇場公開となった『劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ』。アニメ評論家・藤津亮太さんは、本作をどうみたのだろうか?藤津亮太さんが『劇場版銀魂』を斬る!

コラム・レビュー
注目記事
『劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ』
  • 『劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ』
藤津亮太[アニメ評論家]  

ネタバレなしで『劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ』のレビューを、という依頼だが、仕掛が多い本作、何を書いてもネタバレになってしまいそうだ。

物語は “いろいろあった”(←ここ大事) 挙げ句、銀時が、荒廃した未来の江戸に放り出されるところから(本格的に)始まる。どうして5年の間に世界はここまで荒廃してしまったのか。呆然とする銀時の前に現われたのが、未来の新八と神楽。どうやら3人でやっていた万事屋は今は解散状態らしい。じゃあ、この時代の銀時は!?

前半は、誰が銀時をこの時代に呼んだのか、どうしてこの時代は荒廃したのか、という謎を中心に進行し、そこにおなじみのメンバーが次々と絡んでくる。このあたり同窓会的で実に楽しいが、ネタバレしそうなので詳細は割愛。
ただ荒廃した未来ゆえ、各キャラクターが置かれた状況は厳しい。ギャグシーンはあれど、同じかそれ以上にキャラクターたちが涙を流すシーンが描かれる。その涙は、他人を思ってなのが『銀魂』らしいのだが、ファンであれば、○○で○○○○を囲むシーンなんて、絶対もらい泣きしてしまうのでは!?

そして、後半は、前半の謎の解決を受けて、すべての元凶を断ち切るために銀時が奮闘するアクション編。感情を凝縮していく前半とは対照的な、ほとばしるようなアクションシーンが、ギャグとキャラクター点描を織り交ぜながら展開していく。そういえば、今回出ないんじゃないかなーと思っていた、あの人もちゃんと出てたよ!

というわけで泣いて笑ってのエンターテインメントとして実に魅力的な出来映えの本作だが、鑑賞後にタイトルを見るとまた趣深い。
たとえば「完結篇」。これは単にアニメラストエピソードというだけでなく、そこには『銀魂』という作品の一番核の部分を正面から描いてしまった作品というニュアンスを感じる。

では『銀魂』の核とは何か。それは文字通り、銀時の魂のこと。銀時はなんのために戦うのか、銀時のそんな魂のあり方を描くため、映画は徹底して、銀時の行動を追いかける。
そして、そんな魂のあり方は「永遠なれ」というサブタイトルに繋がる。この映画が描く「永遠」とは実は「現在」のことだ。何かあればはかなくも消えてしまうかもしれない「みんなが幸福な現在」。それが失われそうになれば、その時は己のすべてをかけてそれを守る。そうやって人は「現在」を永遠にしていくのだ。つまり本作は『銀魂』がこれまで描いてきたことを1本の映画の中に凝縮した作品なのだ。

『劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ』
/http://www.gintama-movie.com
《animeanime》
【注目の記事】[PR]

編集部おすすめのニュース

特集