(対談収録:2008年5月)アニメ・マンガ評論は生き延びることが出来るのか?日米評論家対談 藤津亮太×エド・チャベス PART-1 「なぜ評論をするのか」 後編■ クリエイターに関心のあるファンは少ない?! 藤津亮太(以下藤津)マンガとアニメの原稿を書かれていると言われましたが、マンガは原則、作者は一人ということになっているので、作家論として解説や評論といった話をしやすいところがあると思うんです。けれど、アニメはそういうとっかかりが非常に難しいと思うのですが、その辺はどうですか?意識されますか?エド・チャベス(以下エド) 「Anime on DVD」とか、「Anime News Network」という情報サイトは、すごく細かくアニメをレビューをしていて、誰が何をしているかとか詳しく書いているんです。けれど、ほとんどのファンはそんな沢山情報はいらないと思っています。日本のクリエイターに対する興味はだんだん失われています。最初、濃いファンがいっぱいいた時は、クリエイターに対する興味を持っていたけど、現在は、よく知られているのは押井守や今敏、宮崎駿といった数人の監督と数人のキャラクターデザイナー、数人の声優ぐらいです。あとはサンライズやマッドハウス、ガイナックスなどのアニメスタジオを知っている人はいますが、そうした人は減っていますね。アメリカでアニメの人気が広まるにつれてクリエイターに対する興味が薄まっている気がします。私自身はサンライズの特徴とかぴえろの特徴とかは興味がありますが、ファンの間ではクリエイターに対する興味がなくなって来ているので、あまりそれを含めないで書くようにしています。逆に日本の状況はどうなんでしょうか? 藤津日本はすごく二極分化していますよね。スタッフに興味を持つファンと、キャラクターがすごく好きな10代のファンと分かれています。日本にはアニメ誌が幾つかあるのですけど、アニメ誌といっても総合アニメ誌と思いきやそうではない。あれは10代の子たちが好きなアニメを特集する雑誌なのですね。だからアニメの中でもごく一部だけが大きく取り上げられている。決して一般的に開かれている雑誌というわけではない。最近は専門学校生や美大生あたりをターゲットにしたメイキングを特集する雑誌もありますが、部数や市場でいうと、アニメ誌よりはかなり小さい。だいたい日本のアニメファンは10万人から30万人くらいだと言われているんですけど、この数字は、マンガが売れている部数を比較として考えるとすごく少ない。ひと桁少ないんです。だから文章を書く時は、漠然と書くんじゃなくて、この原稿を読む人はキャラクターを入り口にして作品に接しているのか、そうではないのか、そのあたりを意識して書きます。エドそうした書け分けをする時には、何を基準に判断をするのですか。メディア別ですか?藤津 そうですね。「Newtype」(*9)で連載している「アニメの門」(*10)こそ、わりあい好き勝手に書いていますが、同誌でも、そうではない記事を書くときは、スタッフの名前やどんな仕事をしているかについてあまり詳しくない10代を想定して書きます。最近はあまり担当していませんが、ある作品担当としてその作品特集の原稿を書くときは特にそうですね。自分が元編集者だったので、媒体のなかで自分の書く原稿がどういう役割をこ担っているかすごく気になるんです。エドよくわかります。自分も編集者だったことがあるので、バランスを取れなければいけないというのはよく判ります。藤津逆に『グレートメカニック.DX』(双葉社)(*11)という20代後半から30代のメカニックの好きな人たちのアニメ系の雑誌もあるんですけれど、そっちに書くときは、同級生に書くような感覚です。「’80年代のごみみたいなロボットアニメもちゃんと覚えているでしょ」って(笑)。エド そうですね。私もヤンキーマンガについて書く時は、自分がそれを読んでいた時と同じくらいの年になった気持ちになって書きます。■ 評論家の役割とは? 藤津 いままで話したようなことなどを前提に、僕がずっと悩んでいるのは「集団作業であるアニメを作家論で語って良いのかどうか?」 もちろん語れないことはないです。ごく一部の監督は確かに非常に個性が強くて、しかも取材した結果、彼が作品のどの部分をどうコントロールしているのかが明らかに分かっているので、作家論として語れるなと思うのです。でも、そうでない作品の時にはどうすればいいのか。プロデューサーの意向なのか、脚本家のアイディアなのかわからない状態のものを一人の監督の作家性の一部として語ることはできるのか。まあ、そういうことをまったく気にしていない原稿を目にすることもしばしばある(苦笑)ので、自分の考えすぎかな、とも思うんですが、現状では、編集者から作家論を書いてくださいと依頼されない限りは、僕は原稿の中に作り手の名前をできるだけいれないようにしているんです。エドすごく気持ちは分かるし、アニメはいろんな人がかかわっていることも理解しています。それでも、私は書く時はやっぱり監督が全てを仕切っているという前提で書いてしまうことが多いんですね。マンガは作家と編集者だけなのでわかりやすいですね。今、DCコミックスで編集者をやっていているのですが、その時にクリエイターに対して物語をこうした方がいいよとか、ここを変えたらとかアドバイスをしています。けれど、それは物語を読者にどう伝えるかについてのサジェスチョンで、物語の本質を変えるものではないのです。私はやっぱり作品はクリエイターのものであると考えている。それでも藤津さんが言われるように、作品にはいろいろな要素が入っていると言うことは念頭に置かなくてはいけない。それはその通りだと思います。藤津 作家の高橋源一郎(*12)が、評論の仕事ってインテリアコーディネーターみたいなものだって言っているんです。ある家具があったとして、それを部屋のどこに置くと落ち着くか、置き場所を決めてあげる人だと。要するにあるコンテクストの中に、ここにハマるよということをやるのが評論家の仕事だと。その時に恣意的に監督だっていうだけで強引に置き場所を決めるとものすごく珍妙なものになってしまうかもしれない。その時に、別の切り口で置き場所を決めると嵌まるかもしれないし、それが新しいコンテクストの提示になるかもしれない。そういう意味で、先ほどのエドさんがおっしゃっていた、コンテクストを書きたいというのはすごく納得がいきます。評論家ってそいうところが仕事の基本だよねと思います。エド確かにコンテクストは重要です。評論で作品の事情について読者に提供するのは重要ですし、その評論を読む人が誰かを考えることも重要です。私はその2つが特に重要だと思っています。藤津 自分の書いた原稿の知識でまた別のものの見方を持ってくれると僕は嬉しいなと思いますね。■ 大衆芸術に評論は必要なのか? アニメアニメ(以下AA) これまでは割と状況的な話をしていただいたのですが、そういうことを踏まえてアニメとかマンガというポピュラーアート、大衆芸術に対する評論はそもそも必要なのかどうか。これについてはどう思いますか?藤津僕は「あったほうが楽しいはずだけど、実際の商業的ニーズはあまりない」という見方です。ただアニメに関する雑誌や書籍を作る編集者からのニーズはゼロではない。「本を作る時に、ここに客観的に固めの文章があるといいな」という場合があるんですね。それはその本の売り上げを伸ばすのに役に立つんじゃなくて、ある意味、刺身のツマみたいなものです。いわばニッチ産業ですね。エド ポピュラーカルチャーに批評が必要だとか必要じゃないとは、いろいろな見方があるので、はっきり言うのは難しいと思います。でも、エンターテインメントをすごく楽しいとか大事に思う人がいる限りは、その人たちに言葉を届けたいと思います。雑誌である「オタクUSA」にも、すごく葛藤があります。私たちにはもっとまじめに批評をすべきだという意見もあるし、もっと楽しいことをたくさん書くべきというのもあります。ハイアートか、ロウアートかという問題は雑誌の編集部の中にあります。藤津「作品を好きな人がいるのならその人のために」というのはすごく分かります。僕自身、理想を言えば自分の原稿を読んで、もう一度見直したら再発見してくれると嬉しいなと思うんです。「最初見た時には普通に面白かっただけなんだけれど、もう一度観たらそうか別のところが面白かったんだ」とか、「つまらないものは、つまらないのは変わらないにしてもとりあえず分かった」とか。別に嫌いな人を変えようとは思っていないので、少し違った見方ができてもらえると、一粒で二度おいしいという感じで楽しめるんじゃないかなと原稿を書いている時は思うんです。エドいろんな意見を共有するって大事ですよね。ジェイソン・トンプソン(*13)というマンガの批評家がアメリカにいるんですけど、彼も同じ雑誌で書いていているのですが私と意見が違っていて、面白いですね。本を作るというのは皆でいろんな意見を言い合うのがすごく大事だと思います。*9 角川書店が毎月発行するアニメ雑誌。グラビア特集などで若いアニメファンに人気が高い。*10 「Newtype」で藤津亮太氏が連載するコラム。アニメ作品やアニメを巡る状況に深く切り込み注目されている。*11 ロボットアニメのメカニック特集などに定評がある雑誌。現在は季刊で発売されている。*12 小説家。様々アンサブカルチャーを作品に引用することでも有名。代表作『ゴーストバスターズ』など。*13 アメリカのマンガ評論家。米国で発売され全てのマンガをまとめたガイドブック「Manga: TheComplete Guide」で知られている。
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