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2008.12.20
0藤津亮太のテレビとアニメの時代 ][ 第2回 '60年代の「第0次ブーム」 ]
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第2回 '70年を語る前に'60年代の「第0次ブーム」について(1)

藤津亮太

 今回はまず前回の補足から始めよう。
 前回、'70年に前後して「アニメ」という言葉が、次第に浮上しきたのではないかという推察を記した。その話題の過程で、必然的に「アニメ」という言葉の極初期の使用例に触れ、Wikipediaに、雑誌『小型映画』1965年7月号で「アニメ」の使用例があるという事例を紹介した。
 その部分の記述について、アニメ史研究家の津堅信之氏から次のような指摘をもらった。
 津堅氏によると、'62年より雑誌「映画評論」で連載されていた「動画映画の系譜」の第1回に既に「アニメ」という使用例が見られるという。筆者は、アニメ評論の大御所である森卓也。'65年の「小型映画」の記述よりも3年も前で、印刷された「アニメ」の使用例としては、現時点で確認できる範囲で、もっとも古いものの可能性がある。さらに「ここ数年来の動画の隆盛、アニメという言葉の普及たるや、年期の入った我々自身、眼をみはるものがある」と使われていることから、アニメという言葉はそれなりにポピュラーなものとして使われているとも読める。
 '62年は『鉄腕アトム』放送('63)よりも前。津堅氏は、ここで森が「アニメ」と呼んでいるのは、日本製商業アニメーションではもちろんなく、当時テレビで放映されていたアメリカ製アニメを含みつつ、広くアニメーション全般を指しているように読めると解説をつけてくれている。
 予想よりも古い時期に「アニメ」という言葉があることから考えるに、70年代というのは、「アニメーション」の略称としてあった「アニメ」が、現在のような「日本製商業アニメーションの代名詞」の意味へと次第に変質していく時期ととらえることができる

 話題が'60年代まで遡ってしまったので、予定を少し変更して少し古い話題から話を始めることにする。
 まず『TBS50年史』をひもとくことにする。第2章の「テレビ・ネットワークを形成し急成長」より、アニメ関連の部分を一部抜粋しながら、'60年代のTVアニメ事情を概観したいと思う。

 「マンガ映画つまりアニメーション映画は、テレビ開局当時の米国製作品が最初のものであった。TBSでは55年に『スーパーマン』、57年に『マイティ・マウス』『ヘッケルとジャッケル』、59年には『ポパイ』を登場させるなど、アメリカの人気アニメを放映して人気を集めていた」
 だが『鉄腕アトム』のヒットが状況を変える。
「TCJ(日本テレビジョン)は、63年9月から『鉄人28号』をフジテレビで開始したが、11月にTBSはこのTCJ制作の『エイトマン』の放送を開始した。(略)『エイトマン』は木曜午後6時台の大人気番組となり、アニメは確実に若年層を獲得する目玉商品として注目されることになった。
 TBSは64年に手塚治虫原作の『ビッグX』(東京ムービー)、65年に『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』とヒットアニメを連発して、テレビ局のアニメ攻勢の先頭に立つことになった。国産アニメは20%前後と視聴率も高く、それに対して外国アニメはいいところで『トムとジェリー』『ポパイ』が14%~15%であり、10%を割る作品も多かった。」
 国産アニメが次第に米国製アニメを駆逐していく様子がわかる。そして以下の記述を読む限り、TV局にとってアニメのデメリットとそれをフォローする手段も大きくは現在と違わないことがわかる。
「テレビのカラー化にともない、アニメもカラー時代に入ることになったが、テレビアニメは制作費と人件費とそして制作時間がかかることから、マーチャンダイズ(商品化権)と海外番組販売が重要な収入源として不可欠であった。その点でマーチャンダイズを念頭に置いたTBSは、オリジナル企画の『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』のヒットで利益を上げ、他局に先んじて有利な立場をとることができた」
 そして『鉄腕アトム』スタートから2年で、アニメ人気は次のステージに入ることになる。
「他局は午後6時台、午後7時台はアニメ戦争の観を呈したが、SFアニメの類似作品が氾濫するようになり、そこからの脱皮が望まれた。そんな状況で登場したのが、TBSの『オバケのQ太郎』であった」
「◆『オバケのQ太郎』
 藤子不二雄の原作マンガをテレビ化したこのユーモラスな作品は、30%を超す平均視聴率を獲得する大ヒット作となり、ギャグアニメという新しい柱を樹立することに成功した。マーチャンダイズでも2,000種類以上の商品化というブームを起こし、鉄腕アトム以来最大の利益をもたらした。これ以降、漫画雑誌の世界と同様テレビアニメも、スポーツもの、戦争もの、忍者ものなど多彩な発展、競争の場となり、その中でフジテレビが一頭地を抜くことになるが、この時期は、テレビアニメ界でもTBSは“民放の雄”であった。」

 '70年に至る前史としては見通しがいい記述だったので長々と引用してしまった。
 このTBSの記述を、「TVアニメーション週放映本数の推移」(資料作成:リスト制作委員会)のデータで確認すると次のようになる。
 62年から65年にかけて右肩上がりで放送本数が増え、その時期に「SFヒーローアニメ全盛期」とあり、65年からの67年まで続く高原状態には「第一次怪獣ブーム/生活ギャグアニメ妖怪アニメ流行」とコメントがつけられている。この時期の放送本数のピークは、67年秋の15本になる。
 この後、'68年と'69年はアニメの放送本数がぐっと下がるが'70年には、再び15本に持ち直し、'73年までは14~17本の範囲で安定的に推移する。

(2) に続く

[筆者の紹介]
藤津亮太 (ふじつ・りょうた) 
1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/

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第2回 '70年を語る前に'60年代の「第0次ブーム」について(2)

藤津亮太

 前回、アニメ誌に掲載されたアニメブームの記述がいかにアバウトなものだったかについて触れたが、アニメブームについて考えるのに、まず悩ましいのが、この『鉄腕アトム』から始まるTVアニメ黎明期の熱気の時期をどう捉えればいいのか、ということだ。
 たとえば、冒頭で紹介した津堅(こちらは著者として挙げるので敬称を略させてもらう)は『アニメーション学入門』(平凡新書)で、アニメブームを「新たな様式や作風をもつ作品が現れることでアニメ界の潮流に大きな影響をもたらし、作品が量産されると同時に観客層を著しく広げることができた現象」と定義。「第一次ブーム(一九六〇年代)」として、「テレビアニメ『鉄腕アトム』放送開始(一九六三)をきっかけとして、画期的な省力化システムによってテレビアニメが続々と制作された時期。特に、宇宙SFものが大流行した」と記している。

 今回60年代の情勢を振り返ってきた本連載としては、津堅の定義を念頭に入れつつも、この時期をむしろ「第0次ブーム」として考えることを提案したい。
 「第0次アニメブーム」と考えるのは、後のブームと一線を画したいからである。
 本連載では、'70年代半ばから'80年代半ばのアニメブーム(津堅の記述では第2次ブーム)、さらには'90年代に入ってからのアニメ本数の増大(津堅の記述では第3次ブーム)には共通点があると考えている。
 まず、どちらもブームの中心はティーンを含む若者層であること。'60年代のブームはそれより幼い子供層が中心だった。
 また'70年代以降は、「アニメ」は単なる「アニメーションの略語」ではなく、若者文化の一つのジャンル名として地位を得ている。今回、冒頭で記した通り'60年代の「アニメ」の使われ方にはそのようなニュアンスは薄い。
 このようなことを考えると、'60年代のTVアニメ人気を、単純にアニメブームと同じ言葉で呼んで後のブームに接続してしまうのは、実体を反映しなさすぎるように思う。
 もし名前を付けるならば、アニメブーム以降の視点から、「アニメブーム以前のブームを振り返った」という視点を込めて「第0次アニメブーム」と呼んだほうが収まりがよいのではないだろうか。
 津堅と本連載で、このような差が出るのは、'80年前後のブームのとらえ方の差であろう。同じ時期をブームととらえつつも、津堅よりも本連載は、'80年前後のブームを特別なものと考え、そこを「アニメブーム」の基準としている。
 そのような観点から、以下が本連載で考える「第0次アニメブーム」の大まかな説明となる。

◆第0次アニメブーム
'63年の『鉄腕アトム』放送開始に端を発し、'65年の『オバケのQ太郎』でピークに達したブーム。前半はSFヒーローもの、後半は生活アニメ・妖怪アニメが人気を集めた。

 なお、このブームの終焉は本数が減った'68年春と考えたい。

 話が一足飛びに'80年前後まで進んでしまったが、時間を戻そう。'68年に減った放送本数が元の水準に戻るのが'70年春。この時の国産の30分枠アニメの放送本数は12本だ。

■日本テレビ 『赤き血のイレブン』『タイガーマスク』『巨人の星』
■TBS 『ばくはつ五郎』
■フジテレビ 『ハクション大魔王』『サザエさん』『アタックNo.1』『ムーミン』『昆虫物語みなしごハッチ』『あしたのジョー』
■NETテレビ 『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』

 また日本テレビでは『やったぜハックの大冒険』を、NETテレビでは『チキチキマシン猛レース』をそれぞれ30分枠として19時台に放送している。
 こうして並べてみると、現在に通じる各局の「個性」というものが、既に'70年の段階ではっきりと見てとれておもしろい。特にTBSのアニメの少なさとフジテレビの力の入れ具合は対照的だ。
 次回はそのあたりに触れられればと思う。

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