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2009.11.25
0斉藤守彦の特殊映像ラボラトリー ][ ゴジラVSシリーズの栄光 ]
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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第14回 「特撮映画マーケティング・ヒストリー」 
                      ゴジラVSシリーズの栄光(後編)-

斉藤 守彦

【「−VSモスラ」から「−VSメカゴジラ」へ。】

 1993年正月。「ゴジラVSモスラ」は大ヒットとなり、「日本沈没」の持っていた東宝正月映画配収(20億円)を破る22.2億円を記録した。
 当時の宣伝部長は「−VSモスラ」が大ヒットした理由として、次の5点であると発言した。1=関連会社10社からなるゴジラ委員会による連携プレイ、2=「−VSキングギドラ」本編後づけ、「ドラえもん」上映時の特報から始まり、5月クランクインの時の製作ニュース、7月30日「モスラの日」イベント、9月の東京国際映画祭、11月3日「ゴジラの日」イベントと、途切れることなく続いたパブリシティ展開、3=コニカ、ナムコ、東芝など多彩な企業とのタイアップ、4=テレビ東京での「冒険!ゴジランド」放映とスタッフ・キャストによるキャンペーン、5=ゴジラとドラえもんとの連動宣伝展開。自社プロパー作品、しかも1年の始まりである正月興行での大ヒットによって、東宝内外は大いに活気づき、早くも製作が決定したゴジラVSシリーズの新作「ゴジラVSメカゴジラ」もヒットが確実視されていた。

【この戦いで、すべてが終わる。】

 その「ゴジラVSメカゴジラ」は、「−VSモスラ」同様、大河原孝夫監督と川北紘一特技監督のコンビにより、93年4月20日より特撮班がクランクイン、引き続き5月より本編班が撮影を開始することとなった。「−VSキングギドラ」「−VSモスラ」の大ヒットによって、東宝はこの時点でゴジラVSシリーズを完全にファミリー番組と認識し、子供達を主眼においた宣伝展開を心がけた。だが60年代末から70年代にかけてのゴジラ映画、いわゆる「東宝チャンピオンまつり」時代に作成されたポスターとは違い、宣伝材料においてはむしろ大作感が前面に打ち出された。チャンピオンまつり時代に散見された、いかにも子供向きな(惹句の類にルビがふられている。あるいはすべてひらがなで、さも子供に話しかけるように「今度のゴジラは●●●だよ!」などと書かれている)デザインのものとは一線を画し、VSシリーズにおいては初期のティーザー・ポスターが生頼範義画伯によるイメージ・イラストで、これが映画完成から公開に向けてはスチル写真をコラージュした本ポスターへと変わっていったが、いずれの場合も前述したように大作感が打ち出されていた。
 例えば「ゴジラVSメカゴジラ」のティーザー・ポスターでは、「この戦いで、すべてが終わる。」とのコピーが、当初構想されていた3体合体によるメカゴジラのイラストで彩られており、極めてシャープな印象を残す。またコピー中に「すべてが終わる。」とあえて銘打たれているのは、トライスター製作によるハリウッド・ゴジラがこの時期始動することが想定されていたからだ。「ゴジラVSメカゴジラ」の製作発表は5月26日、東宝スタジオにて行われ、この時新しいキャラクターであるベビーゴジラが披露された。

【世紀末覇王誕生】
 「女性層に受けたモスラに対して、男の子に向けてメカ特撮の面白さを見せたい」という川北紘一特技監督の意気込みを反映し、また「ゴジラ生誕40周年記念作品」の冠に相応しい興行を展開すべく、「ゴジラVSメカゴジラ」の宣伝タイアップは、前作同様の規模で行われた。パートナー企業の社名を列記すると、日立家電、WOWOW、西友、日本旅行、コニカ、日鉄ライフ、東京ガス、毎日放送(関西支社)、トヨタ自販(関西支社)、ミニミニ(中部支社)といった面々。既にレギュラーとなった企業の名も散見されるあたりは、ゴジラVSシリーズのタイアップが一定の成果を上げている証拠と言えよう。
 スタッフ、キャストによる地方キャンペーンは、名古屋、大阪、福井、熊本、福岡、札幌、青森、仙台、広島の10都市。なお同時期にスーパーファミコン「超ゴジラ」の発売、小学館連合による12都市14会場一斉試写会では、1回の上映で1万人に本編を見せ込み、さらに5000枚以上の割引券を配布するという力の入れようだった。
 これらのタイアップ、プロモーションは、公開に向けて作品の知名度を上げ、消費者の鑑賞意欲を刺激した。「ゴジラVSメカゴジラ」の公開27日前の前売り券発売枚数は「−VSキングギドラ」の同時期前売り数対比177%、「−VSモスラ」対比110%となる4万1100枚(全国96館計)となった。特にローカルでの前売りが好調なところから、当時の宣伝部長は「配収目標は『ゴジラVSモスラ』を超える30億円」と、大いに気勢を上げたのであった。

【「三枝くん、やるんだ!」】 

 さて初日を迎えた「ゴジラVSメカゴジラ」は、どのような成績を上げたのか。当時筆者が書いた記事は、例によって東宝の発行するプレスリリースに基づいているが、それによると「全国主要25館での初日・2日目成績は、配収22.2億円をあげた『ゴジラVSモスラ』対比で人員108%、興収108%と大盛況。
 一方ローカルでも人員・興収とも前作を大幅に上回る上映館が続出しており、ローカルも強いゴジラの興行が立証された。主要館とローカル館の比率は31対69とローカルが主要館よりも圧倒的に強い理想的な全国区型の興行形態」とのこと。オープニング興収ベスト3は、以下の3劇場。

 1=梅田劇場(1万1420名、1603万1000円)
 2=京都宝塚(8065名、993万6000円)
 3=日劇東宝(7172名、973万7000円)

 確かにオープニングの段階では「ゴジラVSモスラ」を上回ってはいたものの、女性客が多かった「−VSモスラ」に対して、男性客主体の興行を想定した「−VSメカゴジラ」の場合、その持続性に難がある。映画興行の常識として、女性客が多いほうがロングラン興行は有利となり(女性のほうが男性よりもクチコミが効くからだ、ということらしい)、例えオープニングで大きな成績を上げようとも、正月以降の興行では客足が大きくダウンする可能性もある。「−VSモスラ」のように、邦画系での上映を終了しても洋画系の劇場で続映(ムーブオーバー)され、長期に渡って多くの観客を集めるケースを、興行の世界では「腰が強い」というフレーズで言い表している。
 しかるにゴジラ映画の“腰”は、対戦怪獣の持つ固定客や作品のフォルムが大きく影響し、結果的に「ゴジラVSメカゴジラ」は、前作より1週間長い8週間の興行であったにもかかわらず、配給収入は18.7億円と、「−VSモスラ」を3.5億円ほど下回る結果と相成った。とはいえこの成績は、同年に公開された「平成狸合戦ぽんぽこ」の26.3億円に次ぐ、邦画ナンバー2の配収であり、シリーズとしてはハイ・アベレージであることに変わりはなかった。

(2) 媒体価値50億余円の、大型タイアップ。
(3) 「ゴジラ死す?」

[筆者の紹介]
斉藤 守彦

1961年生れ。静岡県浜松市出身。
映画業界紙記者、編集長の経験の後、映画ジャーナリスト、アナリストとして独立。「INVITATION」誌で「映画経済スタジアム」を連載するほか、多数のメディアで執筆。データを基にした映画業界分析に定評がある。「宇宙船」「スターログ日本版」等の雑誌に寄稿するなど、特撮映画は特に得意な分野としている。

"特殊映像ラボラトリー 第14回 ゴジラVSシリーズの栄光(後編)-1-" »
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0斉藤守彦の特殊映像ラボラトリー ][ ゴジラVSシリーズの栄光 ]
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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第14回 「特撮映画マーケティング・ヒストリー」 
                     ゴジラVSシリーズの栄光(後編)-2-

斉藤 守彦

【破壊神降臨。】

 予定より遅れることが決定的になったハリウッド・ゴジラのため、東宝は「−VSメカゴジラ」以降もシリーズの続投を決定。しかしキングギドラ、モスラ、メカゴジラ、ラドンなどの人気怪獣たちはすべてこれまでのVSシリーズに登場させてしまったため、新たな対戦相手を設定する必要に迫られた。そこで生み出されたのが、スペースゴジラである。
 ゴジラVSシリーズの新作「ゴジラVSスペースゴジラ」は、例年よりやや遅めの6月27日に特撮班が、7月21日より本編班がクランクインした。当時の東宝はゴジラVSシリーズで蓄積した新たな特撮技術を用い、プロパー作品でのヒット・シリーズを開拓する道を模索していた。ところが1994年7月に公開された「ヤマトタケル」は、配収8億円と苦戦。公開時期にTVアニメやコミックなどと連動するメディアミックス展開も行われたが客足の伸びには繋がらず、当初の3部作構想も断念することとなってしまった。

 「ゴジラVSスペースゴジラ」の製作発表は1994年7月7日に東宝スタジオで開催されたが、なんとその翌日、8日午後6時半から東宝本社にてハリウッド・ゴジラの監督が、「−VSスペースゴジラ」と同時期に公開される「スピード」のヤン・デ・ボンに決定したとの記者会見が行われた。
 ゴジラ関連の記者会見が2日続いたのは「−VSスペースゴジラ」の記者会見に記者たちを集めておいて、その隙にハリウッド・ゴジラの会見で配布するヤン・デ・ボン監督の写真を、「スピード」を配給するフォックス宣伝部まで取りに行ったそうだ。そこまで厳重に秘匿したヤン・デ・ボンのゴジラ監督就任も、ほどなくしてローランド・エメリッヒに変更されるのだが・・・。
 
【媒体価値50億余円の、大型タイアップ。】

 公開を前にした「ゴジラVSスペースゴジラ」の宣伝展開は、例年通りタイアップ、プロモーション、パブリシティの3本柱を中心に、大々的に展開された。
 まずタイアップは、JOMO、西友、コニカ、NEC、バンダイ、舞子後楽園スキー場(関東地区)、ミニミニ(中部地区)、ユーストア(中部地区)、東京ガス(神奈川県)、ベスト電器(九州地区)、メガネの愛眼(九州地区)、コープ九州(九州地区)、日本食品デリック(九州地区)、カメラのドイ(九州地区)、スペースワールド(九州地区)、そうご電器(北海道地区)と、支社扱いのローカル企業にまで、例年以上にきめ細やかなタイインを行っていることが分かる。これらのタイアップは、「−VSスペースゴジラ」やゴジラたちのキャラクターを企業の広告やスポットに使用する代償として、「−VSスペースゴジラ」の公開告知や前売り券扱いなどを行う手法だが、これらを有料広告として媒体価値を換算した場合、実に50億2600万円に相当する、との記述がある。現在のハリウッド映画の宣伝費(その大半は広告出稿やTVスポットに費やされる)が、大作クラスで10億円前後であることを考えると、15年前のこのタイアップがいかに大規模なものかが分かろうというものだ。

 パブリシティ展開では、前作に続いて小学館連合との連動企画で、全国1万人試写会を11都市11会場で一斉に開催。また主題歌「エコーズ・オブ・ラヴ」CDのPOPボードに割引券を入れ、全国200店舗のレコード店で5万枚配布するといった試みも実施された。
 さらに11月3日「ゴジラの日」では“怪獣文化勲章”を41回目の誕生日を迎えたゴジラに授与。スタッフ、キャストによる、これも恒例の地方キャンペーンは秋田、山形、名古屋、新潟、静岡、鹿児島、札幌、熊本、福岡、大分、大阪の11都市。

 例年と異なり、新怪獣スペースゴジラの認知度を上げる必要があったために、これほど大規模な宣伝展開が行われたのだろう。「ゴジラVSスペースゴジラ」には、スペースゴジラ以外にもモゲラ、リトルゴジラ、フェアリーモスラといった怪獣キャラクターが登場するが、正直リトルゴジラの外観には、当時戸惑いを覚えてしまった。ゴジラVSシリーズについて、東宝はファミリー番組と捉えており、その興行の成功には何よりもファミリー、特に子供たちの動員が必須だと考えていることは、これまでにも述べた。
 しかし宣伝材料などでは、あからさまに子供向けな表現をせず、むしろ大作感を前面に出したとも書いた。ところがリトルゴジラときたら、あたかも子供たちの人気者になることを狙ったかのような、そのフォルム。大きな目玉にずんぐりむっくりの体型。その表情はいかにも漫画チックで、とうてい破壊神ゴジラの血を引いているようには見えない。違和感がある。聞けば川北特技監督が、ことの他お気に入りだという。「これって・・・いいんですかねえ?」。当時宣伝部に在籍していたベテラン社員に語りかけると「色んな議論があったんだよ。でも、オレはプッシュした。なんたってオレたちは、ミニラを成功させたじゃないか!!って言ったんだ」。
 ・・・耳を疑った。
 「ミニラを成功させた」って・・・あれは「成功」と捉えられているのだろうか?

 ファンとしては、ミニラこそ悪役のプライドを失い、ゴジラが教育パパ(ママ?)へと堕落した時代の、負の象徴。諸悪の根源(そこまで言うか)。ところが、ゴジラ映画を永年売り続けてきた立場になると、子供に向かってミニラのキャラクターをメディアに露出。「成功させた」とは雑誌などでミニラを取りあげた記事が多数掲載されたことを指すのだろう。このあたりは送り手と受け手、ファンと宣伝マンの認識の違いだろうとは思うが、そのあまりな認識の違いの激しさに、しばし呆然としたことを覚えている。

【「ゴジラを操ろうだなんて、人間の思い上がりです」】

 さて初日を迎えた「ゴジラVSスペースゴジラ」だが、これまた当時筆者の書いた記事を読むと、オープニング2日間の興行成績は、「全国主要26館で、前作『ゴジラVSメカゴジラ』対比(配収19億円)対比人員103%、興収106%」で、「観客層は小学生と父親というファミリー層を中心に、ゴジラ・ファンはもちろんのこと若いカップル、中高年(家族三代)も目立つ幅広いもの。男女比は8VS2」となっている。初日・2日目における興収上位3館は次の通り。さすがに映画の舞台となった“怪獣銀座”福岡が強い。

 1=梅田劇場(1万2672名、1788万7000円)
 2=福岡宝塚(9134名、1032万5000円)
 3=京都宝塚(8150名、990万8000円)

 例によってオープニング時の発表では「配収20億円を十二分に望める絶好調な興行」と、景気の良いフレーズがプレスリリースに踊るが、実際には配収16.5億円と、「−VSメカゴジラ」から2億円以上ダウンしたのは、シリーズとしての宿命なのかもしれない。
 その「−VSスペースゴジラ」の最後に、これまた恒例と化した次回作の後付け特報が上映された。「急告」の文字に続いて、これには昭和29年版「ゴジラ」の山根博士がカラーで(!)登場し、「あれが・・最後の一匹とは思えない・・」とつぶやく、かの名シーンが使われており、日劇東宝初日の観客は当然のごとく騒然。「ゴジラ、ついに死す?」とのコピー。「ゴジラ7」との仮タイトルは、やがて「ゴジラVSデストロイア」と正式に決定した。

(3) 「ゴジラ死す?」
(1) 「−VSモスラ」から「−VSメカゴジラ」へ。

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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第14回 「特撮映画マーケティング・ヒストリー」 
                     ゴジラVSシリーズの栄光(後編)-3-

斉藤 守彦

【「ゴジラ死す?」】

 そういえばゴジラって、死んでなかったんだなあ・・・少なくとも、はっきりと死ぬ描写があったのは、昭和29年版の「ゴジラ」だけだ。当時の筆者は「ゴジラ死す?」とのコピーを目撃しても、さしたる感慨はなかった。どうやらハリウッド・ゴジラ公開(当初は1996年夏と予定されていた)に際して、東宝は一旦シリーズを終了させるらしい。
 そのフィナーレたる「ゴジラVSデストロイア」の、一番の見どころはゴジラが死ぬプロセスを描くようだ。対戦怪獣であるデストロイアとは、あのオキシジェン・デストロイヤーから生まれた怪獣らしい。色んな情報が聞こえてきた。ゴジラVSシリーズの最終作「ゴジラVSデストロイア」は、3月11日の「ドラえもん」新作公開日より、特報上映をスタート。東宝としては宣伝部のある旧社屋のフロアに「ゴジラが死ぬまで、あと●日」との大型パネルを置いて、カウントダウンを開始。大いに期待感を煽るのだった。

 「ゴジラVSデストロイア」には、大河原孝夫監督、川北紘一特技監督、脚本に大森一樹と、シリーズ最高のヒットとなった「ゴジラVSモスラ」のメインスタッフが再度結集したが、宣伝面においても「−VSモスラ」のヒットに貢献した宣伝プロデューサーが手がけるという、まさにこの映画のヒットは、東宝グループをあげて挑む一大ミッションだ。当時を回想して思い出すのは、公開に向けてのカウントダウンで期待感を煽っておきながら、肝心の本編を見せないという宣伝戦略をとったことである。当時「−VSデストロイア」の宣伝プロデューサーは、「一度やってみたかったんですよ、見せない宣伝!!」と豪語。恒例であった東京国際映画祭でのお披露目もなし。通常のマスコミ試写も開催せず、公開前の試写会はタイアップ試写会1回のみという“隠して売る”方法が用いられた。
 こうした手法は、どんな作品でも行えるものではない。実績と充分な知名度を持つシリーズ作品でなければ、いくら内容を隠しても「それが何か?」とのリアクションでは、メディアの興味を惹くことは出来ないからだ。その点「−VSデストロイア」は、内容的にも話題の面からも充分であった。また例年のゴジラ映画では、作品の内容と面白さを伝える試写戦略もさることながら、タイアップ、プロモーションの類も万全の成果を上げていることから、例え試写を行わず内容面でのパブリシティ露出が少なくなっても、それらをカバーする要素もまた盤石の構えであったのだ。

【「ゴジラVSデストロイア」の宣伝展開】

 作品内容ではなく話題性を売ることを中心に据えた「ゴジラVSデストロイア」の宣伝展開は、1995年11月1日に開通した東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」とのタイアップからスタートした。この「ゆりかもめ」開通のテープカットをゴジラが行い、13のテレビ番組でこの様子が放映され、またこれ以降「−VSデストロイア」は東京都港湾局が推進する副都心活性化プロジェクトと連動。12月23日から「超ゴジラ伝説in有明スタジアム」を開催(主催東宝・TBS、共催東京都)。さらには11月3日の「ゴジラの日」には42回目の誕生日を祝い全国24箇所でイベントを開催、銀座ヤマハホールで昭和29年版「ゴジラ」を上映した。
 また主軸である「カウントダウン作戦」は、劇場のスタンディで「ゴジラ最後の日」を告知すると共に、新聞広告、TVスポット、「笑っていいとも!」「ズームイン!朝」などのTV番組内でもカウントダウンを行うなど、広範囲な告知を行った。

 前述通り、試写会は12月3日の「『ゴジラVSデストロイア』ファイナル試写会」のみで、都内は日劇東宝、渋谷宝塚、上野東宝(小学館連合試写会)の3会場で開催。他の都市は各地区のTV局とのタイアップ試写会で、この日の試写だけで全国51会場1万名が鑑賞した。なおこの日は正午より、日比谷シャンテねむの広場に設置される「ゴジラの銅像」の除幕式が行われた(現在でもこの銅像は盗難に遭うこともなく健在)。
 タイアップはバンダイ、セガ、NEC、ウベハウス、コニカ、タビックスジャパン、森永製菓、舞子後楽園スキー場、ミニミニと、VSシリーズを支えてきた企業がズラリ並ぶ。
 こうした話題性優先の宣伝が功を奏し、「ゴジラVSデストロイア」の劇場前売りは、初日10日前の段階で、主要11館計2万3498枚を発売。これは「−VSスペースゴジラ」の同時期前売り対比112.3%、「−VSメカゴジラ」対比107.7%というもので、またプレイガイドでの前売りも「−VSスペースゴジラ」対比114.1%、チケットセゾンは同作品対比126.2%と好調な売れ行きを見せていた。
 
【さらば、ゴジラ・・・】

 1995年12月9日、いよいよ公開された「ゴジラVSデストロイア」は、期待通りのスタートを切った。オープニングの勢いは、当時筆者が書いた記事によると「配収22.2億円をあげた東宝正月映画の新記録『ゴジラVSモスラ』を上回り、復活ゴジラ・シリーズ最高、そして正月作品として公開された日本映画としては最高(従来は東映『里見八犬伝』の23.2億円)の記録を超える可能性が大きく、東宝では『30億円に迫る驚異的な勢い、堂々たるスタート』とのコメントを発表した」とある。確かにそう表現してもおかしくはない、圧倒的なスタートであった。初日、2日目の興収上位ベスト3劇場は次の通り。

 1=梅田劇場(1万5450名、2152万5400円)
 2=日劇東宝(8549名、1132万8000円)
 3=京都宝塚(8963名、1044万300円)

 また「ゴジラVSデストロイア」は、6都市8館において、元日から5日までの5日間で、計6万7519名、興収8782万2950円をあげ、前作「ゴジラVSスペースゴジラ」対比人員122.6%、興収125.2%と2割以上のアップを果たした。最終的には配給収入20億円と、「日本沈没」とイーヴン、残念ながら「ゴジラVSモスラ」の22.2億円を上回ることも「里見八犬伝」の23.2億円を超えて、日本映画正月作品トップとなることは出来なかった。
 だがしかし、その後ハリウッド製「ゴジラ」を経過して、所謂“ミレニアム・シリーズ”・・「ゴジラ2000〈ミレニアム〉」から「ゴジラ/ファイナル・ウォーズ」までの6作品の興行成績を見るや、国産の特撮映画,怪獣映画としては最高の成績であったことが、改めてうかがえるというものだ。
 ファンにとっても作り手たちにとっても、怪獣映画にとっても、良き時代であった。

(2) 媒体価値50億余円の、大型タイアップ。
(1) 「−VSモスラ」から「−VSメカゴジラ」へ。

"特殊映像ラボラトリー 第14回 ゴジラVSシリーズの栄光(後編)-3-" »
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2009.10.26
0斉藤守彦の特殊映像ラボラトリー ][ ゴジラVSシリーズの栄光 ]
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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第13回 「特撮映画マーケティング・ヒストリー」 
                      ゴジラVSシリーズの栄光(前編)-1-

斉藤 守彦

【最初に復活「ゴジラ」ありき。】

 田中友幸プロデューサーたちが、その復活までに心血を注いだ「ゴジラ」は1983年12月15日より、全国東宝系にて一斉公開された。この年の正月は、アメリカ映画「グレムリン」「ゴーストバスターズ」、そしてこの「ゴジラ」と、3本の“G”作品が同時期に公開されることとなり、マスコミはこれを「3G対決」と名付け、大いに期待感を煽ったものだった。
 結果的に「グレムリン」は配給収入31億8200万円、「ゴーストバスターズ」40億9900万円に対して、日本代表の“G”「ゴジラ」の配収は17億円と、2本のアメリカ映画に大きく差をつけられる結果となったが、東宝としてはこれは満足すべき成績だったようである。というのも、過去3年間の東宝の正月番組はといえば、1981年に山口百恵の引退作品「古都」が配収10億3800万円、82年に、たのきんトリオの「グッドラックLOVE」とビートたけしの「すっかり…その気で!」を公開し、配収10億3000万円、翌83年正月も、たのきんトリオの「ウィーン物語/ジェミニ・YとS」「三等高校生」で配収10億6600万円と、総じて配収10億円ペースは維持しているものの、それまでの東宝正月映画の記録である「日本沈没」(1973年12月公開)の19億5200万円(「グァム島珍道中」との番組配収)を超えることが出来ないでいた。
 それを考えれば「ゴジラ」の17億円は上々の成績であり、「日本沈没」こそ超えることは出来なかったが、自社プロパー作品の大作としては、堂々たる正月興行であったと評価できるだろう。

 なお本文中「興行収入」「配給収入」と、映画の収入を表す2つの単位が登場するが、前者は映画館のボックスオフィスに集積される、つまり入場料金のトータル額であり、後者はそのうち配給会社の取り分を意味する。
 この2つを混同した表記を時折見かけるが、両者の間には2倍近い差がある。また1999年までは配収が、2000年以降は興収での発表となっているが(このことが混乱を招く大元でもある)「ゴジラVSビオランテ」から「ゴジラVSデストロイア」までの、いわゆる“VSシリーズ”に関しては、作品単位の最終的な収入を表す単位は配収で統一している。だが作品の興行概況などを示す時は、興収が単位として使用されるので、そのあたりは留意されたい。
 
【「勝ったほうが、人類最悪の敵になる」】 

 その復活「ゴジラ」のヒットから、実に5年の歳月が流れていた。
 「ゴジラVSビオランテ」の製作発表は、クランクイン記者懇談会との形式をとり、1989年8月22日に成城学園前の東宝スタジオにて開催。今は亡き特撮用大プールにミニチュア・ヘリコプター2基を飛ばし、火薬なども使ってゴジラ対自衛隊の模擬撮影がマスコミに披露された。
 筆者もこの懇談会に出席し、生まれて初めて見る特撮映画の撮影風景に、大いに胸をときめかせたのであった。またこの時点では「総製作費15億円、特撮は8月中旬、本編は9月上旬にクランクイン、アップは11月上旬、完成は11月下旬を予定している」とのこと。正月作品にしては、公開ギリギリの完成であるあたりからも、映画化決定までに時間がかかったことがうかがえる。

 「ゴジラVSビオランテ」は1989年12月16日から、全国216館にて公開された。90年代最初の正月興行は「ゴジラVSビオランテ」以外に、ティム・バートン監督の「バットマン」、前作が「ゴジラ」と同時期に公開された「ゴーストバスターズ2」、そしてスピルバーグ製作によるヒット・シリーズ第2弾「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」と、外国映画勢に注目作がズラリそろった。中でもサマーシーズンに公開され、アメリカでは記録的な大ヒットになっていた「バットマン」が本命視されていたが、フタを開ければ「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」が配収55億3000万円と「バットマン」の19億800万円、「ゴーストバスターズ2」の17億5000万円を大きく上回り、興行関係者に少なからぬショックを与えた。
 一方「ゴジラVSビオランテ」は配収10億4000万円と、当時の東宝正月番組としては及第点といったところだが、ゴジラ・シリーズの場合、80年代初頭から登場したビデオ・マーケットでの大きな稼働が見込まれるため、それを見越した総合的な収入となれば、充分にリクープすると判断できるだろう。

 公開スタート時、筆者が書いた記事によると「ゴジラVSビオランテ」のスタートは「配収15億円も射程距離内」との見出しで、「土曜、日曜の成績は、前作『ゴジラ』(配収17億円)対比人員78%、興収79%と13億円台は確実のヒットとなった」とあり、客層は「60%以上が親子連れと、前作よりもファミリー向けになっており、男女比は7対3。観客の満足度も92%と高く、これから始まる冬休み、正月にかけてファミリー層の集中力はより高まると考えられるところから、配収15億円も射程距離に入ったと言えるだろう」と結んでいる。
 とはいえこうした記事は、各社宣伝部の宣伝プロデューサーが書いた、オープニング景況用のプレスリリースをベースに書くため、これらの内容やデータは記者の取材ではなく、すべて東宝サイドの“大本営発表”である。配給会社としては業界紙の紙面にこうした記事を露出することで、興行者へのデモンストレーションとしていたこともあり、そのため実際よりも高い見込み(というか、目標)数値を掲載する傾向が、きわめて強かった。なおオープニング2日間の劇場別興収ベスト3は次の3館。

  1=梅田劇場 (9775名、1305万7550円)
  2=京都宝塚 (6536名、764万5800円)
  3=日劇東宝 (5043名、730万1000円)

【「ゴジラVSビオランテ」の宣伝展開】

 ゴジラ復活に至る経緯が、そのまま話題性に繋がり、抜群のパブリシティ効果をあげた「ゴジラ」だが、それから5年という歳月が流れていることから、さすがに同じ手は使えず。 しかし広告や宣伝材料には、ゴジラとビオランテの対決の様子をシャープに捉えたカットに「超ゴジラ。」という一発コピーが大作感を与え、前作同様、大人向けのイメージを強く打ち出している。前述したように、オープニング時の客層がファミリー中心となったことは、ある種の見込み違いが起こったわけだが、これは次回作での課題であろう。

 タイアップは三菱電機、ソニー、アイエムエス、ファーストキッチン、新キャタピラ三菱の5社と、その後の新作での展開に比べれば、慎ましやかとさえ言える。TVプロモーションとしては、日本テレビ、読売テレビなど10局で「ゴジラ」(昭和25年版)「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」など旧作を30回に渡ってオンエア。こういうことが出来るのが、長い歴史を持つシリーズ作品の強みだ。
 さらにはTV50番組、雑誌180誌でのパブリシティ露出、14万枚の割引券配布、三田村邦彦、田中好子ら出演者とゴジラによる、巨人軍ファン感謝デーでの始球式、日劇東宝、梅田劇場での完成披露試写会、大阪・ツイン21屋上、名古屋栄北公園に全長15メートルのメガホーム・ゴジラ展示、「デーモン木暮のオールナイト・ニッポン」で「ザ・ゴジラ・スペシャル」を実施。川北特技監督、大森監督、小高恵美、ゴジラがゲスト出演するなど、各メディアにおいて、日夜賑やかに「ゴジラVSビオランテ」の話題が取りあげられた。

(2)「ゴジラVSキングギドラ」の戦略
(3)日本映画年間トップの配収記録樹立!!

[筆者の紹介]
斉藤守彦

1961年生れ。静岡県浜松市出身。
映画業界紙記者、編集長の経験の後、映画ジャーナリスト、アナリストとして独立。「INVITATION」誌で「映画経済スタジアム」を連載するほか、多数のメディアで執筆。データを基にした映画業界分析に定評がある。「宇宙船」「スターログ日本版」等の雑誌に寄稿するなど、特撮映画は特に得意な分野としている。

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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第13回 「特撮映画マーケティング・ヒストリー」 
                     ゴジラVSシリーズの栄光(前編)-2-

斉藤 守彦


【「お前だけには、絶対負けない!」】

 企画期間こそ長かったものの、いかにも唐突に登場した感がぬぐえない「ゴジラVSビオランテ」は配収10億4000万円と、その年の日本映画では8番目のヒットとなったが、翌年の東宝の正月番組は「山田ババアに花束を」「スキ!」の2本立て。「−ビオランテ」公開中にゴジラ・シリーズが続行されるとのアナウンスはなされなかった。
 しかしその1年後、「山田ババア−」が公開される前日に行われた東宝のラインアップ発表にて、1992年正月番組は、「−ビオランテ」に続く大森一樹監督=川北紘一特技監督による「ゴジラVSキングギドラ」であると発表された。「−ビオランテ」公開後、東宝としても社内外を交えて、シリーズ続行のための検討を続けていたのである。その回答とも言えるのが、「−ビオランテ」上映中に行われたアンケートで人気ナンバーワンに選ばれた名怪獣キングギドラの復活だ。
 そして大森監督の発案によるゴジラザウルスの登場とゴジラ誕生の謎が明らかにされるなど、ファミリーを対象としたエンタテインメントのための基軸が次々と採用され、内容面でもゴジラとキングギドラの最後の対戦の場に、当時落成したばかりの新宿副都心の新しいランドマークである東京都庁周辺が大型サイズのミニチュアで再現されたり、「いつ子供たちが映画を見始めても、ゴジラが画面に登場している」などの演出上の工夫がなされることになった。

【シリーズ宣伝の基盤を作った
 「ゴジラVSキングギドラ」の戦略】

 
 「ゴジラVSキングギドラ」のプロモーション及び宣伝展開を見ていくと、後のシリーズではレギュラー的な位置づけとなった数々の施策が、この作品で初めて採用されていることが分かる。
 まず「−VSビオランテ」のクランクインが8月、映画の完成が11月下旬と、公開ギリギリだったことを反省し、「ゴジラVSキングギドラ」では、5月に特撮班が先行する形でクランクイン。続いて本編班も撮影を開始。公開3か月前にあたる9月には作品が完成することで、この年9月29日から開催される第4回東京国際映画祭への出品が可能となった。
 このTIFFでのゴジラ新作上映は、これ以後年中行事と化して行き、当時映画祭のメイン会場であった渋谷Bunkamuraオーチャードホールでの新作披露とスタッフ、キャストの舞台挨拶及びメディア取材はパブリシティ的に大きな役割を果たすこととなった。VSシリーズにおいては、「ゴジラVSキングギドラ」以降「ゴジラVSデストロイア」を除いて、すべてこのTIFFでのお披露目が行われている。

 作品の完成が早いということは、公開までじっくりと試写会を重ねて作品内容の浸透を図れる良さがある。その一方で、当時東宝宣伝部に所属していたベテラン宣伝マンから、こんな話を聞いたことがある。「特撮映画を宣伝するのに一番苦労するのが、スチル写真の問題なんですよ」と。
 つまり本編と特撮、2班体制で制作される東宝の特撮映画は、両班の撮影が終了し、仕上げ(現在で言うポストプロダクション)作業を経なければ、最終的な映像が完成しない。実写映画であれば、撮影現場でスチルカメラマンが撮った写真を場面スチルとして使用するのだが、特撮映画にはそれが出来ないのだ。「だから、昔の特撮映画のスチル写真を見ると、本編とは違う無茶苦茶な合成がしてあったり(笑)、怪獣の吐く光線が雑にイラスト処理されてあったり。いわばああいうのは苦肉の策。スチル写真がないと、雑誌や新聞に場面写真を掲載出来ないから。
 その点このスケジュールで映画が完成していれば、あらゆる場面が宣伝に使える」。実際に雑誌を編集する立場になると、他の雑誌にはない場面写真を少しでも掲載したいという欲望が強くなり、宣伝部にあるスチル写真を片っ端から漁ることも珍しくはない。その要求に答えてくれるあたりは、確かにありがたい限りだ。
 
【「やったぜ!!エミー!」】

 宣伝部による「ゴジラVSキングギドラ」のプロモーション及びパブリシティ展開は、東宝スタジオからゴジラの縫いぐるみが盗まれた事件が「ゴジラ失踪事件」と大々的に報道された、その事実が改めてゴジラの知名度と注目度の高さを証明する結果となった。
 当時筆者の書いた記事によると、「ゴジラVSキングギドラ」のタイアップは、コニカの「ゴジラ・ローラーメジャー付またはゴジラバトルカード(6種)付フィルム2本セット」を12月末まで30万ケース限定発売。ポスター6000枚、チラシ1万5000枚、割引券100万枚配布を中心に、東芝乾電池、全家研、小学館英語スクール、IMSなどによる大々的な割引券配布が行われ、その数実に700万枚に登ったという。

 一方新作公開前のお祭り気分を盛り上げるための旧作上映は関東14館、関西12館、九州8館、中部12館、北海道3館の計50館で「ゴジラ」(昭和29年版)などシリーズ作品が、レイトまたはモーニング上映され、TVでも復活「ゴジラ」「ゴジラVSビオランテ」など旧作が、TBSをはじめ全国18局で50回オンエアされ、そのすべてに「ゴジラVSキングギドラ」の公開告知がつけられた。
 その他イベント展開では、原宿竹下通りにゴジラ・グッズ専門店「タカラ・ゴジラショップ」開店、渋谷西武2箇所にサイボット・ゴジラとゴジラ頭部を展示など、主要都市にて大々的に実施された。
 こうした露出が功を奏し、12月14日から全国241館での拡大公開となった「ゴジラVSキングギドラ」は、初日から全国でヒットを記録した。オープニング時の興行成績は、主要24館対比、復活「ゴジラ」(配収17億円)対比人員102%、興収103%。「ゴジラVSビオランテ」(配収10億4000万円)対比人員147%、興収149%、9大都市とローカルの比率は43対57と地方も強い全国区型。また観客の中心はファミリーであり、男女比は7対3と男性中心。オープニング2日間での、興収ベスト3は次の3劇場。

  1=梅田劇場  (1万3148名、1697万9000円)
  2=京都宝塚 (8967名、1020万7000円)
  3=日劇東宝 (6089名、862万7000円)

 ファンの間で大きな話題を呼んだのが、映画終了後につけられた次回作「ゴジラVSモスラ」の公開決定を告知するフィルムで、これは「−VSキングギドラ」の前売りが良好なところから、早期にシリーズ続行を決定。この特報は初日数日前に、徹夜作業で作られたものだという。
 「ゴジラVSキングギドラ」の最終的な配給収入は、「ゴジラVSビオランテ」を4億円上回る14億5000万円で、いわゆる初日発表のリリースでは「これまでの東宝の正月興行記録である『日本沈没』の配収20億円を18年ぶりに打ち破ることは確実」とされていたが、残念ながらそれは実現しなかった。

(3)日本映画年間トップの配収記録樹立!!
(1)最初に復活「ゴジラ」ありき。

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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第13回 「特撮映画マーケティング・ヒストリー」 
                     ゴジラVSシリーズの栄光(前編)-3-

斉藤 守彦

【「極彩色の大決戦!」】

 「日本沈没」、そして復活「ゴジラ」の配収こそ上回ることは出来なかったが、「ゴジラVSキングギドラ」のヒットは、大いに東宝社内を活気づかせ、早々と次回作「ゴジラVSモスラ」の製作が決定する。ご存じのようにこれは、製作の田中友幸が以前企画した「モスラVSバガン」をベースにしたものである。
 そのシナリオを前作同様大森一樹が手がけたものの、大森は東映の“ニュー・ヤクザ映画”「継承盃」にかかるため監督は不可能。代わりに「超少女REIKO」でデヴューした大河原孝夫が起用され、川北紘一特技監督とのコンビで、1992年5月20日に特撮班からクランクインした。

 5月から撮影を開始し、9月に完成。東京国際映画祭で大々的なお披露目を行うこと。そして従来午前中のみの登校であった公立学校が、1992年9月より毎月第2土曜日のみ完全休日になることを反映して、ゴジラ映画の新作初日は以後12月の第2土曜日と定められた。
 また復活「ゴジラ」及び「ゴジラVSビオランテ」は、一般映画として大人の観客をメイン・ターゲットとしたが、「−VSキングギドラ」のヒットによって、東宝はそのターゲットをファミリー層へと完全に転換した。これは同じ東宝が配給する「ドラえもん」等のファミリー番組との連動をも想定したことで、例年東宝では正月のゴジラ映画新作上映の際に、翌年春公開の「ドラえもん」などの新作特報を上映するだけでなく、劇場内にもそれらのチラシを置き、ゴジラ映画を見に来たファミリー観客にいち早くアピールすることを行っている。
 「−キングギドラ」公開の時点で、次回作「−VSモスラ」の製作・公開が決定しているということは、3月の「ドラえもん」上映の際に、その特報やティーザー・トレーラーを上映することが可能で、これは新作上映のたびに大ヒットを記録する「ドラえもん」シリーズの観客に向けて、大きなプロモーション効果が期待できる戦略であった。
 
【東宝正月映画史上最高、シリーズ最高、
  日本映画年間トップの配収記録樹立!!】

 「ゴジラ映画史上最大の宣伝展開を行い、配収目標である20億円を達成したい」という当時の宣伝部長の野望は、日々確信に変わっていった。公開を約4週間後に控えた「ゴジラVSモスラ」は、その話題性と女性にも人気のあるモスラの起用故か、前売り券の売れ行きが絶好調。
 当時筆者の書いた記事によると、11月15日現在の前売り券の販売枚数は、「−VSキングギドラ」の同時期対比158%という高率を達成。全国97館での販売枚数は3万9763枚となっており、また東京民音では前作対比208%、関西民音も134%、中部民音では128%を記録した。

 公開を前に行われた宣伝展開は、まずテレビ東京系にて、ミニ番組「冒険!ゴジランド」をオンエア。7月30日の「モスラの日」に続いて11月3日にはゴジラ38回目のバースデーを祝うイベントを渋谷にて実施。このイベントの目玉は、直径80センチメートルの巨大ケーキをゴジラがカットし、なおかつコスモス(今村恵子、大沢さやか)が「モスラの歌」を披露するというもの。さらに大河原監督や出演者らによる、全国14都市でのキャンペーン(コスモスは、全国50箇所以上を回ったという)、小学館と連動した11大都市14会場での、1万人を対象とした試写会などを、イベントとそれに連動したパブリシティを積極的に仕掛けていった。
 タイアップは、WOWOW、ナムコ、コニカ、西友、西武百貨店、ナイキ、日清製粉、東芝、京都銀行、講談社と、過去最大規模の展開。また関連商品や音楽展開などを明治製菓、森永製菓、東芝EMIなどと行った。
 こうした宣伝展開の末に迎えた12月12日の初日は、全国246館の上映館全館が満員札止めの大盛況になったようである。

 東宝邦画系での上映作品は、都内銀座地区においては、座席数約700席の日劇東宝(現・TOHOシネマズ日劇2)で公開されるのがルールだが、「ゴジラVSモスラ」の場合、事前の前売りの様子からも、初日は多数の観客が詰めかけることが予測され、同じ有楽町マリオンの日本劇場(座席数約1000席/現・TOHOシネマズ日劇1)が使用された。それでも場内の大変な混雑ぶりは、未だ筆者の脳裏に焼き付いているほどだ。
 オープニング2日間での興行成績は、この時期の東宝にしては珍しくリリースに詳細な数値が書かれている。全国主要25館の2日間合計成績は、14万9244名、興収1億8237万4000円。つまり1館あたり2日間で729万4960円をあげるという、当時の日本映画としてはトップクラスの成績を計上したのであった。

 ちょっと意地の悪いデータ比較をしてみよう。2004年12月4日から公開された、ゴジラ映画最終作「ゴジラ/ファイナル・ウォーズ」は、全国290スクリーンにおいて、オープニング2日間で15万8782名、1億9238万5960円をあげるスタートであった。
 この成績だけを見ると、オープニング時点での興収は「ゴジラVSモスラ」とほぼ同等だが、1スクリーンあたりの興収は、わずか66万3400円と、12年前の「ゴジラVSモスラ」のそれと比べて10%以下。いかに「ゴジラVSモスラ」が、シネコンなど存在していない1992年当時のマーケットで大きな成績をあげたかが、お分かりいただけるだろう。

 VSシリーズの初日は、日劇または日劇東宝での舞台挨拶取材(といっても、業界紙記者たちは、見ているだけだが)に続いて、日比谷の中華料理店・東天紅での打ち上げと決まっていた。我々取材者もその打ち上げに招待されるのだが、「ゴジラVSモスラ」のような大ヒット作の時には、全国から次々に入ってくる興行成績や景況が発表され、会場は拍手喝采、大いに沸いた。
 「ゴジラVSモスラ」の時は、当時の東宝映画社長が「これでようやく、赤字から脱却出来ます…」と、切実な面持ちで語ったことと、今回は脚本家であった大森一樹監督が、前作を大きく上回る初日の数字を聞いて「前作と比べられると、ちょっとつらいんですが…」とスピーチし、笑いを誘ったことが印象に残っている。
 オープニング2日間における、合計成績ベスト3は、次の3館。

  1=梅田劇場  (1万4837名、2140万4000円) 
  2=日本劇場 (9757名、1309万3000円)
  3=京都宝塚 (9456名、1132万3000円)

 こうして「ゴジラVSモスラ」は配給収入22.2億円を上げ、「日本沈没」が持っていた東宝の正月映画配収記録を破り、また歴代ゴジラ・シリーズ最高の配給収入をもあげることとなった。またこの配収は、1993年に公開された日本映画(92年12月に公開された作品は、興行終了時点である93年作品としてカウントされる)中、角川春樹監督の「REX恐竜物語」の22億円をわずかに上回りトップを記録した。
 ゴジラ映画が1年間に公開された日本映画のトップに立ったのは史上初めてのことであり、まさしく快挙と言える。あの復活「ゴジラ」でさえ、公開当時の年間日本映画ランキングでは、角川春樹事務所作品「メイン・テーマ」「愛情物語」の18.55億円に続く第2位であったのだ。
 古き革袋に新しい酒を。こうしてゴジラVSシリーズは、新しい戦略と方法論を得たことで、その地歩を着実に固めて行った。

(1)最初に復活「ゴジラ」ありき。
(2)「ゴジラVSキングギドラ」の戦略

(後編(11月25日アップ予定)に続く!!)

"特殊映像ラボラトリー 第13回 ゴジラVSシリーズの栄光(前編)-3-" »
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