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第2回 '70年を語る前に'60年代の「第0次ブーム」について(2)
藤津亮太
前回、アニメ誌に掲載されたアニメブームの記述がいかにアバウトなものだったかについて触れたが、アニメブームについて考えるのに、まず悩ましいのが、この『鉄腕アトム』から始まるTVアニメ黎明期の熱気の時期をどう捉えればいいのか、ということだ。
たとえば、冒頭で紹介した津堅(こちらは著者として挙げるので敬称を略させてもらう)は『アニメーション学入門』(平凡新書)で、アニメブームを「新たな様式や作風をもつ作品が現れることでアニメ界の潮流に大きな影響をもたらし、作品が量産されると同時に観客層を著しく広げることができた現象」と定義。「第一次ブーム(一九六〇年代)」として、「テレビアニメ『鉄腕アトム』放送開始(一九六三)をきっかけとして、画期的な省力化システムによってテレビアニメが続々と制作された時期。特に、宇宙SFものが大流行した」と記している。
今回60年代の情勢を振り返ってきた本連載としては、津堅の定義を念頭に入れつつも、この時期をむしろ「第0次ブーム」として考えることを提案したい。
「第0次アニメブーム」と考えるのは、後のブームと一線を画したいからである。
本連載では、'70年代半ばから'80年代半ばのアニメブーム(津堅の記述では第2次ブーム)、さらには'90年代に入ってからのアニメ本数の増大(津堅の記述では第3次ブーム)には共通点があると考えている。
まず、どちらもブームの中心はティーンを含む若者層であること。'60年代のブームはそれより幼い子供層が中心だった。
また'70年代以降は、「アニメ」は単なる「アニメーションの略語」ではなく、若者文化の一つのジャンル名として地位を得ている。今回、冒頭で記した通り'60年代の「アニメ」の使われ方にはそのようなニュアンスは薄い。
このようなことを考えると、'60年代のTVアニメ人気を、単純にアニメブームと同じ言葉で呼んで後のブームに接続してしまうのは、実体を反映しなさすぎるように思う。
もし名前を付けるならば、アニメブーム以降の視点から、「アニメブーム以前のブームを振り返った」という視点を込めて「第0次アニメブーム」と呼んだほうが収まりがよいのではないだろうか。
津堅と本連載で、このような差が出るのは、'80年前後のブームのとらえ方の差であろう。同じ時期をブームととらえつつも、津堅よりも本連載は、'80年前後のブームを特別なものと考え、そこを「アニメブーム」の基準としている。
そのような観点から、以下が本連載で考える「第0次アニメブーム」の大まかな説明となる。
◆第0次アニメブーム
'63年の『鉄腕アトム』放送開始に端を発し、'65年の『オバケのQ太郎』でピークに達したブーム。前半はSFヒーローもの、後半は生活アニメ・妖怪アニメが人気を集めた。
なお、このブームの終焉は本数が減った'68年春と考えたい。
話が一足飛びに'80年前後まで進んでしまったが、時間を戻そう。'68年に減った放送本数が元の水準に戻るのが'70年春。この時の国産の30分枠アニメの放送本数は12本だ。
■日本テレビ 『赤き血のイレブン』『タイガーマスク』『巨人の星』
■TBS 『ばくはつ五郎』
■フジテレビ 『ハクション大魔王』『サザエさん』『アタックNo.1』『ムーミン』『昆虫物語みなしごハッチ』『あしたのジョー』
■NETテレビ 『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』
また日本テレビでは『やったぜハックの大冒険』を、NETテレビでは『チキチキマシン猛レース』をそれぞれ30分枠として19時台に放送している。
こうして並べてみると、現在に通じる各局の「個性」というものが、既に'70年の段階ではっきりと見てとれておもしろい。特にTBSのアニメの少なさとフジテレビの力の入れ具合は対照的だ。
次回はそのあたりに触れられればと思う。
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