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第1回 最初に倒れたドミノの1枚へ
藤津亮太
どこから書き始めればいいだろうか。
とりあえず、比較的最近の話題から。
アサヒコムに連載されているコラム「アニマゲ丼」にTVアニメの現状に触れた記事が出ていた。(10月8日付け『7時にアニメ見る人を「アニメセブン」と呼ぼうか』※1)
筆者はアニメ好きで知られる小原篤記者。
「視聴率が取れないという理由で、地上波ではゴールデンのアニメが減り続けています。在京キー局で残るのは、テレビ東京の水・木曜、テレビ朝日の金曜、そして日本テレビの月曜日。その月曜7時台、よみうりテレビ製作の「ヤッターマン」と「名探偵コナン」の2本が、10月20日から「アニメ☆7」という一つの枠になりました。」
よみうりテレビが長年手がけてきた月曜19時台のアニメ枠。同放送枠が視聴率で苦戦しており、今回のリニューアルは、つまりてこ入れということである。
同コラムによると『ヤッターマン』の視聴率はおおむね6~7%。10%が必要といわれている同枠にしてはもの足りない数字だ。春ごろには、一定の数字を残せないと秋以降どうなるかわからないという話も聞いたから、今回のリニューアルがその成績に対する一つの結果なのだろう。
また『ヤッターマン』だけではなく、その前番組『名探偵コナン』もかつての勢いはないといわれている。
視聴率の低さの原因はいろいろ分析が可能だろう。だが、同コラムも指摘している通り、深刻なのは、この視聴率の低下傾向が、TVアニメ全般についていえるからである。
また同コラムから引いてみよう。
「現在、2桁を安定して取れるのは「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」にとどまります。」
「視聴率が取れないという理由で、地上波ではゴールデンのアニメが減り続けています。在京キー局で残るのは、テレビ東京の水・木曜、テレビ朝日の金曜、そして日本テレビの月曜日。」
極論すれば、TV局にとって、もはやゴールデンタイムにアニメは(ほぼ)不要な存在なのだ。
どうしてこのような事態になったのか。
それを知りたいと思う。
そしてそれを本質的な意味で理解するには、過去にさかのぼらなければならない。
もちろん「今起きている出来事」としてそれを取材、把握することも不可能ではない。けれども「今起きている出来事」は同時に、過去から続いてきた連なりの一部でもある。 だからちょうど倒れたドミノを最初へとたどっていくように、過去へと視線を向けることで、発見することもあるはずだ。
当連載では、現在のような状況が生まれた背景を念頭に置きながら、過去を振り返っていく。当然いくつかの資料を当たりながら書き進めることになるはずだが、一番基本となるのは当時の新聞のTV欄だ。TV欄を丁寧に見て、当時のTVとアニメの間にある「空気」を実感することからこの連載の基本にしたいと思う。俯瞰から全体を見下ろす「歴史」でもなく、個人の体験に引きつけた「個人史」でもない、ほどほどの距離感で時代を見ていくというのが、当連載の狙いの一つだ。
では、さっそく新聞の縮刷版をひもとこうと思うが、一つ問題がある。それはいったい何年から始めるか、という問題だ。
この連載では1970年を、とりあえずのスタートとして定めたい。
どうして1970年か。
それを語る前に、 本連載の基本的な資料の一つとなる、「データ原口のアニメのはらわた」の「第17回TVアニメ放送本数の真実」(アニメージュ'98年1月号掲載)をまず見てみたい。
『アニメのはらわた』は、アニメーション研究家の原口正宏と当時アニメージュの編集長だった渡辺隆史の掛け合い形式(だから「はら」「わた」なのだ)で、アニメのあれこれを見ていく連載だ。
「TVアニメ放送本数の真実」には、『鉄腕アトム』以来のTVアニメ週間放送本数をまとめた表とグラフが掲載されている。
アニメブーム云々と語りたがる人は少なくないが、この資料にちゃんと目を通している人は案外少ない。
たとえばこうした基礎的な事実への無関心の典型といえる記事が、『ニュータイプ』08年4月号の「子供には教えられない 大人アニメの魅力」という記事。この記事ではTVアニメの歴史を大まかに4つに分けて「'60年代 TVアニメ黎明期」、「'70年代 第一次アニメブーム」、「'80年代 受け手が作り手に」(本文中に第二次アニメブームとの記述あり)、「'90年代 第三次アニメブーム」と記述している。
この記事は、は10年ごとに区切るという「企画」が先に立ち、それになんとなくヒット作をあてはめて書いているだけである。
「第17回TVアニメ放送本数の真実」のグラフを見れば分かるとおり、アニメの本数は'76年より明確に増え始めこれが急激に減るのが'84年だ。この時の本数の増加は、この時期を「アニメブーム」と呼ぶ根拠の一つといえるだろう。そしてその後3年ほどは、放送本数が少ない時期が続く。
つまり放送の実態に照らし合わせれば、'70年代半ばから'80年代半ばまでが「アニメブーム」と呼びうる状態であり、'80年代中盤から後半の3年ほどは、ブームとはほど遠い事態であったことがわかる。
このように、'70年代と'80年代にブームがそれぞれあったという『ニュータイプ』の記述はかなり問題がある。そして、それはアニメ雑誌の作り手(編集者・ライター)に、アニメの歴史について関心を持っている人間がいかに少ないかということの現れでもある。
話題を元に戻そう。
この「TVアニメ放送本数の真実」を見ると、TVアニメは'63年の『鉄腕アトム』放送開始から右肩上がりで放送本数を増やし、'67年秋に週16本放送というピークを迎える。
しかし'68年になると放送本数は一旦減り、翌'69年からまた次第に放送本数は微増していく。'70年はその微増が、その後4年ほど続く高原状態へと移り変わる節目に当たっている。
また'70年前後には、もう一つ別の動きがあった。それは「アニメ」という単語をめぐるものだ。
たとえばTBSが出版している放送雑誌『調査情報』'64年11月号には、『エイトマン』『ポパイ』などの番組からヒーロー像を探った記事が掲載されている。この時点での記事タイトルは「番組研究 テレビマンガ」となっている。
ところが'Wikipedeiaによると、65年になると雑誌『小型映画』1965年7月号で「アニメ」の使用例があるという。〆切までに裏がとれなかったが、これが本当ならば、アニメという単語の最初期の使用例といえるだろう。
そしてその2年後、『COM』(1967年11号)には「TVアニメはなにをしてきたか」という特集を組んでいる。筆者・インタビューイによっては「まんが映画」「TVまんが」などの言葉が使われている部分もあるが、記事の基本姿勢としては一応「TVアニメ」という用語が採用しようという姿勢ははっきり見える。
さらに『調査情報』'71年11月号になると「テレビアニメーション その新しい展開」というタイトルで記事が掲載されている。この記事は最初のほうこそ「テレビ・アニメーション」「アニメーション」と表記しているものの、原稿の途中から「アニメ番組」「アニメ化」といった表現も登場している。
もちろん「アニメ」が一般的な用語となるには、もう数年が必要のはずだが、一方で'70年には『おたのしみ アニメ劇場』(バラエティ番組『祭りだ!ワッショイ!』の番組内番組で、ヒット局に自由な解釈でアニメ映像をつけたもの)というタイトルの番組も登場している。
こうした状況を考えるに、'70年に前後して「アニメ」という単語が浮上してきたというのは、およその予想としてはありうると思う。
そこが「アニメ」のスタート地点であろうこと。それが当連載で'70年を起点に選んだ理由だ。
やがて'72年に『科学忍者隊ガッチャマン』『海のトリトン』が発表され、'74年に『宇宙戦艦ヤマト』が放映され、「アニメブーム」が到来する。その点でも、その前夜にあたる'70年から始めるのは、わかりやすいと思う。
(第1回終)
※1
http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY200810200105.html
[筆者の紹介]
藤津亮太 (ふじつ・りょうた)
1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/
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