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<title>アニメ、マンガの作品レビューと批評</title>
<link>http://animeanime.jp/review/</link>
<description>アニメ映画、TVアニメ、マンガの作品のレビューと批評。アニメ文化や社会、ビジネスとの関わりやオタク論なども。</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2010</copyright>
<lastBuildDate>Sat, 13 Mar 2010 09:20:00 +0900</lastBuildDate>
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<title>映画評　『東のエデン 劇場版II　Paradise Lost』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文；　氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　テレビシリーズ11話、劇場版１本と長尺を積み重ねてきた『東のエデン』も、ひとまずこの劇場版の後編で完結となった。「日本を救うために百億円を与えられたらどう使うか？」というセレソンゲームは、滝沢朗と森美咲の帰国により、一挙に最終段階へと向かう。「滝沢は王様になれるのか」という未来と「滝沢とは何者だったのか」という過去が対置される中で、さまざまな人びとがうごめくことで、ゲームの勝敗の行方と黒幕があぶり出されていく。<br />
　劇場用映画でありながらアクション等の娯楽要素はかなり控えめで、ストーリー的にも終結へと向けて広げた大風呂敷をたたもうとする性急さは否めない。「お金を使うこと」と「お金をもらうこと」の対比から浮かぶセレソンゲームの真意は痛快だが、主張のいくつかはシュガードリーム的で、手厳しい批判にさらされる可能性が高いとも思った。しかし、そうしたアンバランスさを越えた、ひたむきさが伝わってきたことも事実である。きれいに整合させ過ぎて小さくなるより、収まりきれないほど大きな想いがあるということが確認できただけでも、この作品につき合ってきて良かったと感じた。</p>

<p>　実際に「今回でお別れか、寂しいな」という想いが去来したのは、自分でも意外だった。それは、登場人物それぞれの活躍を通じてにじみ出る魅力に触発されたものだ。実にユニークなバックグラウンドをもち、個性豊かな人物像は、生身をもたないアニメキャラクターなら当然ではある。だが、終局にあたる後編では、そうしたテクニック論を越えた「いのち」がキャラに宿ったように感じられる瞬間が何カ所かで訪れた。その頂点にあたるのが、咲がクライマックスで滝沢に対してとる行動である。そこに確実に存在する感情の高揚を心の共鳴として感じとれるかどうかで、本作の評価は大きく分かれるはずだ。<br />
　そう、キーになる言葉は「変化」なのだ。映画を観ている最中、何でもないシーンでふと「みんな変わったなあ」という想いが脳裏をよぎり、少しだけ目尻が潤んだ。「同じようなシチュエーションにおかれたら、自分もあんな行動がとれるのか」という類の想い。こうした感情移入は幾多の「謎解き」よりも主張よりも、観客にとって重要なことだと思う。映画は論文ではないのだから……。</p>

<p>　さて、エンディングで主題歌が流れても、絶対に席を立ってはいけない。エピローグがついているからだ。そこでさらに広げた風呂敷がひとつ畳まれるが、最後のそのまた最後で筆者は「何だって？」と耳を疑い、激しく動揺したのであった。直後に神山監督の取材があったので、速攻で真意を尋ねたが、当然のように笑みしか戻ってこない。予想どおりの反応だ。だが、神山監督の映画に意味のない言葉や映像はあろうはずがない。<br />
　剣術も達人となれば、相手に斬られたことを気づかせないないほどの技を使うという。そうだ、またも神山監督にしてやられてしまったのだ。このように、映画が終わっても現実世界は決して終わらない。観客の側に投げ返された物語は、永遠に続いていく。「お客さんなら、百億円をどう使いますか？」という問いかけとともに。そして、意味を検証し直さなければならないヒントも山のように与えられ、目の前に残った。自分ならどうするのか、自分はどう変われるのか。そんな想いを胸に、また第１話からリプレイを楽しむのも悪くないなと、今では思っている。</p>

<p>『東のエデン』　公式サイト　<a href="http://juiz.jp/">http://juiz.jp/</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2010/03/_iiparadise_los.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 09:20:00 +0900</pubDate>
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<title>映画評　『時をかける少女』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文；氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　アニメ版『時をかける少女』（2006年／細田守監督）で力いっぱい突っ走る主人公を好演した仲里依紗――彼女を主役に同じ原作を実写化するという、ある種のアクロバティックさを感じさせる企画である。<br />
　2010年のこの谷口正晃監督版は、物語設定としては原田知世主演の大林宣彦監督版（1983年）を引き継ぎ、ひたむきでアクティブだけどドジっ子の主人公は、アニメ版を継承している。そして今回の少女は、限られた何日かの時間を繰りかえすのではなく、はるか36年前への片道切符的な時間旅行を体験することになる。そこではやはり淡く切ない出逢いと恋心が描かれることになる……。</p>

<p>　「よりによって1974年へタイム・リープか」というのが、現実世界の1974年では高校生だった筆者がまず思ったことだ。具体的な時制が示されたことが驚きであった。記憶の中では、この時代にはきわめて大きな節目が刻み込まれている。1973年10月の第四次中東戦争を受けて原油価格が高騰し、いわゆる「オイルショック」が起きる。太平洋戦争敗戦から復興して四半世紀余り、日本の高度経済成長も限界をむかえ、公害などの歪みを生んでいた。劇中の1974年２月ごろは、繁栄から暗転した世相が決定的になってたころだ。ＳＦ作家・小松左京の書いた「日本沈没」がベストセラーとなり、73年末に公開された同題の特撮映画が大ヒット。同時期にノンフィクションの体裁で刊行された「ノストラダムスの大予言」とあわせ、一挙に「終末ブーム」が加速していた時期でもある。<br />
　それゆえに、この1973～1974年につくられたアニメ・特撮作品にはダークな雰囲気をたたえたものが多い。1974年10月放送スタートのＴＶアニメ『宇宙戦艦ヤマト』における滅亡寸前の地球という逆境の設定も、例外ではない。ただし、「ＳＦビジュアルの新時代」という次のムーブメントを生み出そうとする気概が、そこにはっきりと焼きついていた。つまり暗い闇の中に、次の時代の光明が宿り始めるという時期でもあったわけだ。<br />
　こうした時代背景を念頭におくと、主人公・芳山あかりがタイム・リープした先で巡りあう大学生・涼太の趣味が「ＳＦ」であることや、「映画の自主制作」を通じて地球滅亡の意味を自分なりにとらえなおそうとしている姿勢に、格別の意図があるように思えてくる。その深読みの発想自体が、現実と響きあうＳＦ的なトライアルではないのかとも……。そう考えてみると、「時を越えることで輝くラブストーリー」という『時かけの真髄』も、今回はフィクションの枠を越えた格別の切なさをたたえているようである。そうしたフィクション世界と現実の越境のためにも、アニメ版の主役が実写として飛び出てくる仕掛けが必要だったのだろうか。</p>

<p>　筒井康隆のＳＦ小説『時をかける少女』を原作に、時代ごとのクリエイターたちが思春期への思い入れたっぷりに映像リメイクを繰り替えしてきた。そのあまりの反復ぶりは、この作品自体に「時をかけるパワー」が宿っていることを暗示してきた。数あるＳＦ作品の中でも本作独特のメタなパワーは、谷口正晃監督版の「具体的な時制を示し、現実世界と時かけ世界を橋渡しする」という仕掛けを得て決定的になり、次なるステージに移行し始めたように感じられる。<br />
　原作初出から43年という積みかさねた「時」がそれを可能にしたと思うにつれ、「時かけ現象」の壮大さに感じ入るばかりである。これを受けた新たな世代の「次の一手」が、さらに楽しみではないか。</p>

<p>『時をかける少女』公式サイト　<a href="http://tokikake.jp/　">http://tokikake.jp/　</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2010/03/post_52.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 09:05:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　『イヴの時間 劇場版』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文；氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　『ペイル・コクーン』で映像感覚が高く評価された吉浦康裕監督による初の長編映画である。連作短編『イヴの時間』（６話分）を１本にまとめたオムニバス的構成だが、単なる総集編ではなく、すべてＨＤ画質で再レンダリングされた上で音響ふくめ、すべて劇場の集中できる環境にチューンナップ。さらにあっと驚く新作カットが随所に追加されている。一連の流れができて各話の関連も見えやすくなったため、一度観たはずのエピソードも「あれ、そういうこと？」と新たな興味をそそる部分が発見できる。そんな嬉しい仕掛けが満載の映画だ。<br />
　アンドロイドと人間がともに暮らし、見た目の差がつきにくくなった時代――ロボットの頭部には識別リングの表示が義務づけられている。だが、メインの舞台となる謎の喫茶店「イヴの時間」内では、いっさいの区別をしないことがルールだという。はたして店内の誰がロボットで誰が人間なのか？　識別マークをとったとき、ロボットと人の間には感情の交流が可能なのか？<br />
　吉浦監督は、描き方次第では重く陰々滅々にもなりかねないＳＦ的でシリアスなテーマを、ユーモラスで笑いにあふれた会話劇へと転換。時にあっと言わせ、時にストンと涙の感動へ落とすように、自在に観客の感情をもてなし、気持ちの良い方向へと導く……そんな軽妙洒脱な娯楽志向の作風が、この作品の大きな魅力である。</p>

<p>　インディーズ作品では「映像クオリティ」や「作家性」を研ぎ澄ます方向性をとることが多い。吉浦監督の前作『ペイル・コクーン』もそうだった。しかし今回は「シチュエーション・コメディ」を目ざしたという。人気テレビドラマのように、ひとつ固定した「舞台」を用意し、そこに出入りするキャラクターに会話中心のドラマを紡がせることで、観客を引きこんでいくわけだ。「原作、脚本、絵コンテ、演出、3DCG、撮影、編集、音響監督」と監督自身が名を連ねる目的も、その絶妙な会話の呼吸と、映像のカメラワークや照明を密接にリンクさせることにある。<br />
　前作同様、なめるようにじっくりと移動するカメラワークは、地下に用意された秘密の喫茶店の閉鎖空間を、臨場感たっぷりに、そして魅惑的に見せていく。手描き作画によるキャラクターたち表情豊かに細やかな演技で会話を盛りあげ、次第に人とロボットとの境界が曖昧になっていく。高まりすぎた緊張の中で思わず笑ってしまうような瞬間も多々発生し、そこではアニメーションがなかなか獲得しにくい「ユーモア」と「ライブ感」が生じている。</p>

<p>　設定やテーマの深いところを悩まずに、すっと作品世界へと引きずりこまれるその巧みな演出手腕は、特にアニメに興味のない観客が抱くかもしれないガードを思わず下げさせる。その様子がまさに作中で問われる「人とロボットの区別」をどうするかの問題に直結している。<br />
　つまり「人とアニメキャラの区別」をどう考えるか、改めて意味を問いかけている作品でもあるのだ。暗く集中できる劇場のステージで、入り口は柔らかく広いのに、なかなか奥が深いこの作品を存分に味わってみてはいかがだろうか。</p>

<p>『イヴの時間 劇場版』<br />
<a href="http://timeofeve.com/">http://timeofeve.com/</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2010/03/post_51.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 06 Mar 2010 08:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文；氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　奇跡のパワーを秘めたアイテムで美少女が変身！ ステッキを武器にバトル！　「魔法少女もの」は女玩（女児向け玩具）の販促企画の作品群からスタートし、いつの間にか「大きなお友だち」向けにひとつのジャンルを形成するようになった。本作『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』（原作・脚本：都築真紀／監督：草川啓造）も、そんなジャンル作品がファンに支えられて成長し、ついに劇場版にまで登りつめた映画だ。合計３シリーズが制作されたＴＶアニメ版「なのは」を表紙にするとアニメ雑誌の部数が確実に伸びるという定説があるほど、堅実で熱い層をつかんでいる。<br />
　そんな人気シリーズを改めて新シナリオ・新作画で映画としてリメイクする試みという点では、ファンムービーの典型とも言える。だが、それを突きつめたところにある種の迫力、高みのようなものが感じられた。</p>

<p>　『なのは』を愛するファンのために、作り手が「良かったところ」を抽出し、新たな見せ場として再構築する。それは当たり前のことだ。そして、一般にクリエイターたちはやや冷静で客観的な立場になって、観客をさらなる高みへとリードしようと試みるはずだ。ところが、この劇場版では映画が進行するにつれ、明らかに作り手の側も『なのは』を溺愛していることが伝わってきて、それに圧倒されてしまうのである。<br />
　「これが、なのはだ！」「これが見たいだろう？　そうだ、自分も見たい！」とでも言わんばかりの、輝かしき情熱の発露。それはもはや「愛」としか表現できない。その波動や輝きが映像に転化し、カットごと、シークエンスごと、セリフごとに燃えあがって、スクリーンから放散されて観客の全身を震わせる。『なのは』に強い興味のなかった筆者でさえ、評価検分という職業病を封じられて「これはすごい」と感じたのだから、ファンを満載した映画館ではどんな熱気が生まれるのか、かなり興味がある。<br />
　鑑賞前は「えっ、130分？」と尺の長さにも思わずたじろいだが、実は映画の中身は濃厚だから心配はない。主人公である９歳の少女なのはが初めて魔導端末レイジングハートを手にして魔法少女に変身するきっかけ、最初の戦い、さらにそのミッションを妨害しようとするライバル魔法少女フェイト・テストロッサとの出逢いなどなど、舞台を変え、手を変え品を変えて、バトルを中心にアクセル全開のスピードで物語が進行する。</p>

<p>　劇場版として特筆すべきは「音響」だ。なのは役の田村ゆかり、フェイト役の水樹奈々とダブルヒロインの声の明瞭度が増し、戦闘シーンにおけるギミックの作動音、爆発や着弾などの迫力向上は言うまでもない。一番の注目ポイントは、バトルを支える魔導端末レイジングハートのクールビューティなボイスだ。設定的には小道具の無機質な応答音声なのだが、なのはにネイティブな英語でチュートリアルを指示し、ともに戦って苦難を乗りこえていく、そのパートナーシップのけなげさには、思わず涙なのである。<br />
　劇場版「1st」では人気に火をつけたＴＶアニメ第１期全13話（2004年）の「ジュエルシード」編をまとめた。この映画の凝縮度は、『なのは』をまだよく知らない観客に魅力のエッセンスを訴求するエントリーフィルムの役割もはたすはずだ。「ビジュアルは知ってるけど、どんな作品？」と知りたい方にはオススメの130分である。</p>

<p>『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』<br />
<a href="http://www.nanoha.com/">http://www.nanoha.com/</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2010/01/_the_movie_1st.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 23 Jan 2010 09:03:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文: 柿崎俊道</strong></p>

<p>2010年1月23日公開の劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』の試写会へ行った。<br />
『Fate/stay night』は熱烈なファン層を獲得している作品だ。<br />
2007年にテレビシリーズが放送され、人気を博した。<br />
とはいえ、原作はテレビシリーズではない。<br />
原作は同名のアダルトゲームである。</p>

<p>原作の『Fate/stay night』はゲームであるがゆえに、<br />
複数の攻略ルート（といっても少ないけども）があり、<br />
どれを選ぶかはプレイヤー次第だ。<br />
映像作品として起用されるエピソードも、そうしたルートのひとつを中心にしている。<br />
たとえば、テレビシリーズでは<br />
主人公・衛宮士郎と美少女セイバーを中心に構成されたストーリーだった。<br />
劇場版ではキービジュアルのとおり、<br />
遠坂凛と美形の弓兵アーチャーを中心に描かれる。</p>

<p>本作はテレビシリーズと対になるように構成された作品だ。<br />
そのため、映画館に足を運ぶお客さんはすでにテレビシリーズを見ているだろう<br />
という制作姿勢からか、世界観の説明は一切ない。<br />
とくに衛宮士郎とセイバーの契約のシーンはとても重要だと思うが、<br />
サッと描かれ、あっさりと次のカットへ移行する。<br />
しかも、戦闘シーンが多い本作では、<br />
登場人物は数々の強敵から無数の傷を負わされる。<br />
だが、それも包帯を巻かれたくらいで、いつの間にか元気に歩いている。<br />
そうした戦いの目的である「聖杯」は、<br />
どんな願いでも叶うという代物らしいが、<br />
登場人物たちはそれを手に入れてどうしようというのか。<br />
最後まで見ても、まったくわからない。<br />
そもそも、ふつうの高校生であろう衛宮士郎が<br />
なぜ魔法が使えて、サーヴァントと呼ばれる使い魔を受け入れているのか。<br />
劇場版だけではよくわからないことが盛りだくさんなのだ。</p>

<p>これは、作品を否定しているのではない。<br />
知っているファンにこそ見てほしい、まずファンを満足させたい、<br />
という制作側の姿勢がはっきりと打ち出されている証拠だと私は理解した。<br />
公開予定の上映館リストを見ても単館が多く、<br />
広く一般向けには考えていないことがよくわかる。</p>

<p>本作はアダルトゲームが原作と前述したが、<br />
劇場版もあたかもゲームのようである。<br />
気の利いたアダルトゲームにはスキップ機能や早送り機能があり、<br />
自分の好きなシーンへすぐに飛べるようになっている。<br />
分岐点が多いゲームではとくにこの機能が重要だ。<br />
全ルートをすべて攻略したいのがプレイヤーの性である。<br />
その際に、一から順に進めていたのでは、面倒くさくてかなわない。<br />
体験済みのシーンはサッとスキップ、もしくは早送りしてしまうのだ。</p>

<p>劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』も同じだ。<br />
ファンがよく知っているエピソードは軽く流して、<br />
新しいシーン、派手な戦闘シーンに力を注いでいるのがよくわかる。<br />
決められたスケジュールと予算の中でできることは限られている。<br />
ファンが一番見たいであろうシーンを中心に構成する、<br />
というのは間違ってはいない。</p>

<p>ただ、個人的に気になることがある。<br />
アダルトゲームが原作なのに、アダルト要素が少ないことだ。<br />
ファンのみなさんは満足できるのだろうか。<br />
過去を見ても、人気のアダルトゲームが商業アニメになるたびに、<br />
そうした要素が削られる傾向にある。<br />
一般向けにするためには仕方のないことだとは思うが、<br />
本作のように回りまわってマニア層に特化した劇場作品は<br />
原作のアダルト要素を加味してもよかったのではないか。<br />
それとも、Ｈシーンはゲームで何度もやっているので、<br />
それで満足というわけなのか。<br />
アダルトゲーム、美少女ゲームが好きな人からよく聞くのが、<br />
「Ｈシーンを見たいわけじゃないんだよ！<br />
　ドラマに感動したんだ！」<br />
という言葉だ。<br />
そこには、どのようなファン心理が働いているのか。<br />
私はアニメ業界で長く仕事をしているが、<br />
いつになっても、そこだけがよくわからずにいる。</p>

<p>劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』<br />
<a href="http://www.fatestaynight.jp/">http://www.fatestaynight.jp/</a></p>

<p><strong>◆柿崎俊道</strong>　（かきざきしゅんどう）<br />
1976年生まれ。著書に『聖地巡礼　アニメ・マンガ12ヵ所巡り』、『Works of ゲド戦記』、『Kirari　痛車コレクション』など。Twitterは「syundow」、mixiは「柿崎俊道」で登録。</p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2010/01/fatestay_night.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 23 Jan 2010 09:02:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　『劇場版　遊☆戯☆王　～超融合！時空を越えた絆～』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文:　 柿崎俊道</strong></p>

<p>同名カードゲームとともに子どもたちに人気の『遊☆戯☆王』が<br />
映画『劇場版　遊☆戯☆王　～超融合！時空を越えた絆～』として、<br />
2010年１月23日（土）より全国で劇場公開される。<br />
本作の注目すべき点は「３Ｄ立体映像」だということ。<br />
「３Ｄ立体映像」はジェームズ・キャメロン監督作品『アバター』<br />
を通してご存知の方も多いだろう。<br />
立体メガネでスクリーンを覗くと、<br />
まるで映像が目の前に迫ってくるように立体感を持つというアレである。<br />
３ＤＣＧの技術が実写映像と見分けがつかぬくらい向上した今、<br />
「３Ｄ立体映像」へと向かうのは自然の流れといえる。<br />
そうした流行の中、<br />
『劇場版　遊☆戯☆王　～超融合！時空を越えた絆～』が<br />
「３Ｄ立体映像」として登場するのは当然ともいえるかもしれない。</p>

<p>……と思ったのだが、<br />
作品を見終わり、本作における「３Ｄ立体映像」の立ち位置に悩んだ。<br />
劇中では「デュエルモンスター」と呼ばれる、カードから飛び出す怪獣がいる。<br />
主人公たちはこの怪獣を操り、強力な敵を打ち倒す。<br />
こうした怪獣のほとんどは３Ｄデータで描かれているため、<br />
「３Ｄ立体映像」として見るのに違和感はない。</p>

<p>問題は主人公たちである。<br />
アニメ業界でセル画調と呼ばれる従来の方法で描かれたキャラクターが<br />
画面の奥、手前、中間といったポジションで配置され、映し出される。<br />
その立体感は立体メガネを通してくっきりと体感できる。<br />
しかし、なんだか居心地が悪い。<br />
その悪さをまとめると以下のようになる。</p>

<p>●セル画調のキャラクターには、動画、仕上げにより、<br />
すでに陰影や線といった立体感が施されている</p>

<p>●手描きで施された立体感の上に、<br />
３Ｄ立体映像による立体感が加わっている</p>

<p>●そのおかげで双方の立体感がぶつかり合い、<br />
セルのレイヤー構造がくっきりと見えてしまう</p>

<p>押井守監督の映画『アヴァロン』のような書き割り感といえば、<br />
ご理解いただけるだろうか。<br />
『アヴァロン』は違和感を敢えて演出としていた。</p>

<p>本作はセル画調アニメの３Ｄ立体映像化という果敢な挑戦に臨んだ。<br />
その意欲は、次のことを気付かせてくれたように思う。<br />
従来のセル画調で作られたアニメの自然な３Ｄ立体映像化を目指すなら、<br />
レイアウト、原画といった画面設計の段階から、<br />
最終的な３Ｄ立体映像を計算して描かなければならない。<br />
つまり、アニメーターの脳内で３Ｄ立体映像というデジタルな計算をしながら、<br />
手描きというアナログ作業を行う必要があるということだ。</p>

<p>アニメは残像を利用したメディアである。<br />
複数の絵を高速でめくることで動いているようにみえる、<br />
という錯覚を利用している。<br />
手描きなのに、３Ｄ立体映像と自然にマッチしているように見せるには、<br />
今まで培ってきた残像の技術を一段掘り下げる必要があるのでは、<br />
と『遊☆戯☆王』は気付かせてくれたのだ。<br />
本作はスタッフクレジットを見ると「立体３Ｄデザイナー」をはじめとした<br />
３Ｄ立体映像に向けた新しい役職が複数設けられている。<br />
実験的な要素が多く詰まった野心作といえるだろう。<br />
また、上映時間は49分という短いものなので、<br />
気軽に３Ｄ立体映像を体験できる。<br />
今後のセル画調アニメの行く末を占う意味でも、<br />
映画『劇場版　遊☆戯☆王　～超融合！時空を越えた絆～』を見て損はない。</p>

<p>映画『劇場版　遊☆戯☆王　～超融合！時空を越えた絆～』<br />
<a href="http://www.yugioh10th.com/">http://www.yugioh10th.com/</a></p>

<p><strong>◆柿崎俊道</strong>　（かきざきしゅんどう）<br />
1976年生まれ。著書に『聖地巡礼　アニメ・マンガ12ヵ所巡り』、『Works of ゲド戦記』、『Kirari　痛車コレクション』など。Twitterは「syundow」、mixiは「柿崎俊道」で登録。</p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2010/01/post_50.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 23 Jan 2010 09:01:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　『アサルトガールズ』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文：荒川直人（映画ライター）</strong></p>

<p>　世界的なアニメの演出家として知られる押井守監督が８年ぶりに手がけた長編実写映画『アサルトガールズ』は、『アヴァロン』（01）の設定を踏襲して新たなゲームフィールドに戦いを挑んだ４人のプレイヤーの物語である。 『アヴァロン』では「すべての映画はアニメになる」と謳い、日本映画の枠を超えたデジタル映像の斬新さや、ポーランドで撮影してもなお強固な押井ワールドの世界観などが話題になったが、当時はまだオンラインゲームの認知度が低く、大半の観客にはどこか実感の乏しい題材でもあった。<br />
　しかし、現在ではどうだろう。オンラインゲームで稼ぐ凄腕のプロゲーマーはリアルに実在し、「ネトゲ廃人」と呼ばれるゲームへ過度に熱中するプレイヤーの出現がニュースに躍ったこともある。より身近な例でも、ニンテンドーDSやPSPといった携帯ゲーム機のWi-Fi通信を使い、複数のプレイヤーが協力し合うパーティープレイの概念は、いまや当たり前である。カプコンのアクションゲーム『モンスターハンター』のブレイク以降、ゲーム機を手に喫茶店やファミレスに集う４人組の若者を見かけることが増え、それはすでに日常の１コマとさえ言える。<br />
　となれば、ラスボス戦で煮詰まった４人のソロプレイヤーが一時的なパーティーを組むという本作の物語は、『モンハン』実写版と捉えるのが一番わかりやすいだろう。<br />
　けれども、ここに登場するゲームは最近のオンラインゲームとは根本的に異なり、みんなで戦うことを基本とするコミュニケーションツールではなく、野望や欲望を満たす肉食系同士のガチンコ勝負という古典的なシステムを導入している。設定的な同時代性を手に入れながら、そうしたゲーム世代に共感を抱かせる構造を放棄しているのは、要するに監督の興味が最初から別のところにあるからだ。監督はオンラインゲームのもっともらしさよりも、戦う女優の存在感、それ一点に狙いを定めている。</p>

<p>　そもそも二時間弱という映画のフォーマットで描ける情報量は少なく、監督もかつて「ドラマ（キャラクター）を描くか、世界観を描くかの二者択一」と発言し、自身は積極的に「世界観」を選択する演出家だった。ところが、本作では「キャラクター」にカメラが向く。しかも主要な登場人物が三人の女優だなんて、まさかあの押井守が「萌え」に走るとはいったい誰が予想したであろう。趣味嗜好の違いはあるにせよ、『アサルトガールズ』とはそんな愉快な顔を内包する一作なのだ。<br />
　さて、肝心の女優陣だが、若手の中でも特に活躍の目覚しい黒木メイサが演じるグレイに注目が集まるのは当然として、本作では意外なことに菊地凛子のルシファが大変魅力的で、『スカイ・クロラ The Sky Clawlers』（08）の声の出演からでは想像できないキュートさが印象に残る。（彼女の不思議な踊りを決定づけた川井憲次の音楽も素晴らしい）。<br />
　サイレント時代の名女優リリアン・ギッシュの美しさに、思わずカメラがにじり寄って生まれたというクローズアップ誕生の逸話を持ち出すまでもなく、女優をカメラに収めたいという衝動こそが「映画」の原初的な力強さだ。それに加えて、銃や甲冑、爆発や格闘アクションなど、押井印のフェティッシュがたっぷりと詰め込まれ、いい意味で学生の撮った自主映画のような瑞々しさがある作品に仕上がった。もちろんそのディテールへのこだわりは、撮影の湯浅弘章、衣装の竹田団吾、VFXの佐藤敦紀ら、実力派スタッフによって支えられている点も見逃せない。</p>

<p>　ただ、キャラクターの内面に迫るドラマはほとんどなく、アクションも総量としてはあまり多くないため、過剰に期待しすぎても肩透かしに遭うだろう。本編が70分しかないのに相変わらずのダレ場はきっちり用意されているので、いつも通りの心構えは必要だ。<br />
　果たしていいことなのか、そうでないのかわからないけれど、理性的な監督が生理的な映画を作りはじめたこの事実には、極論するなら従来の押井ワールドをリセットしてしまうほどの衝撃がある。本作で示された無邪気な演出家の想いは、この先どこへ向かうのだろうか。<br />
　恍惚と不安、共に我にあり。</p>

<p>『アサルトガールズ』　<a href="http://assault-girls.nifty.com/">http://assault-girls.nifty.com/</a></p>

<p><strong>◆荒川直人</strong><br />
1965年、北海道生まれ。プロデューサー。CD「K-PLEASURE　Kenji Kawai Best of Movies」で楽曲解説を執筆後、ライターとしても活動。mixiで５年ほど続けた極私的な映画レビューを、現在アメブロにて公開中。</p>

<p>「荒川直人の週末シネマ」　<a href="http://ameblo.jp/nippon1939/">http://ameblo.jp/nippon1939/</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/12/post_49.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 19 Dec 2009 19:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文；氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　１年前には、こんな年になるとはまるで予想がつかなかった。だからアニメは面白い。2009年はＳＦ・ロボットキャラの総決算年として、後世に記録されるはずだ。鉄腕アトム、マジンガーＺ、マクロス、ボトムズ、エヴァンゲリオンとリメイク・続編がズラリ。鉄人28号、ガンダムも実寸大立像で参戦し、特撮世界からはウルトラマンと仮面ライダーが攻勢をかける。これにグレンラガン、エウレカセブンという21世紀作品の劇場版も加わった象徴的な年を、アニメ拡大の始まりであった宇宙戦艦ヤマトが復活して締めくくるというのは、あまりにも出来すぎだ。</p>

<p>　その文脈で『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の意義を考えると、役割は「変わらぬものの存在を示すこと」にあると言い切れる。攻防を繰りかえす激しい戦闘映像やヤマト発進シーンなど気分を盛りあげる音楽主体の演出、「決断力」が試される危機突破、あっと驚く敵側の逆転の仕掛けなど、映画の視聴覚的なエンターテインメントを追求した姿勢は、まさにホンモノ健在の風格を見せつける。映画興行に必要なスペクタクルのハッタリ感を情緒的に見せつけるという点では、近年まれで貴重な映像世界がそこに現出している。<br />
　一方、精神性に強く依存したアナクロに見える部分や強いメッセージ性など、素直には受け入れがたい生硬な部分も同時に見てとれる。おそらく批判の声もあがるだろう。だが、どんな感想も再検討してみると、「ヤマトはもともとそういうものだった」「前に一度は抱いた感想だ」という結論に吸い込まれていく。この構造に気づいたとき、筆者は慄然としたのである。</p>

<p>　そもそも35年前、テレビシリーズ最初の『宇宙戦艦ヤマト』に反応した筆者らファンたちは、どこの誰かに頼まれたわけでもないのに声をかけあい、集い、ムーブメントを興していった。感想を語り合い、資料を保全しようと努力を重ねた。まだアニメ雑誌は創刊されておらず、街にコンビニエンスストアはなく、ネットも携帯電話もない時代、今から考えればお笑いぐさの文通などアナクロな手段を使い、どうなるか結果は分からないが、何かをしようと決断し、行動を起こしたのだ。そうでなければ自分の気に入った作品も時の中で忘れられ、大事なものが滅びそうな気がしたから……。動機はそれだけで、金銭も名誉も眼中になかった。それを保証するアニメマスコミ自体がないのだから、当然だ。<br />
　運良くその熱い想いが1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開のときに社会的な現象にまで発展し、アニメ文化を作りあげた。だが、言い過ぎであることを承知で断言すれば、その後の展開はヤマトが開いた突破口の上にたった虚妄に過ぎないのではないのか。なのに気がつけば、アニメ文化がフルリセットされて急に消し飛ぶ可能性も想像できない声があふれ、小さい枠組みで「ビジネス」というゲームを縮小再生産することを正道とするプレイヤーが増えた。「復活篇」で描かれている、ブラックホールに飲みこまれて消えそうになる地球は、いま目の前にあるのだ。<br />
　だがしかし、たとえ滅亡が眼前に迫っていたとしても、まだ何かやるべきことは確実にある。「地球に迫る危機をヤマトと乗組員が命がけで救う」という物語の趣旨は、変わっていないのだから。内容の良し悪し以前に、こうした不変のメッセージと意気込みを伝えてくれる作品の存在……それを文字通り「有り難い」と思える体験性こそが、2009年を締めくくる本作最大の価値ではないだろうか。</p>

<p>『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』　<a href="http://yamato2009.jp/">http://yamato2009.jp/</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/12/post_48.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 12 Dec 2009 09:00:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『ONE PIECE FILM Strong World』　批評</title>
<description><![CDATA[<p><strong>「秩序ある興奮」がもたらす、爽快な大活劇</strong></p>

<p><strong>文；斉藤 守彦</strong></p>

<p>　去年の年末、筆者の連載「特殊映像ラボラトリー」で、2008年のアニメ・特撮映画の総決算を試みたが、その際2008年春に公開された「ワンピース／エピソード・オブ・チョッパー＋冬に咲く、奇跡の桜」を評して「この映画の興行収入は9億円だが、この9億円には値打ちがある」と書いた。つまり、シリーズを重ねていくことで、今後伸びる可能性を含んでいる、さらなるブレイクが予測される。そのことを示唆したかったのである。<br />
　実際、最近の「ワンピース」は絶好調らしい。原作コミックも、累計1億7600万部を突破。TVシリーズの視聴率も毎週快調だと、先日の「アニメ!アニメ!」の記事に書かれていた。加えて12月12日から公開される新作映画「ONE PIECE FILM Strong World」の劇場前売りが、シリーズ新記録になる勢いだという。</p>

<p>　前作「エピソード・オブ・チョッパー…」は、その感動的な内容が注目を集めた。試写で見て、あまりにも泣ける話なので、再度シネコンで見た。すると場内には20代とおぼしき女性たちの姿が多く、上映前は「ルフィがねえ・・」「ゾロがいいのよお!」とか話していた彼女たちが、映画終了後、さめざめと泣いている。<br />
　だから今度の映画版10周年記念作も、当然“感動”を全面に押し出した作風で来るかと思いきや、原作者・尾田栄一郎氏は、当初のプロットをボツにしてまで「感動より、興奮」を選んだという。今回は映画ストーリーに加え、製作総指揮・コスチューム&クリーチャー・デザインも手がけている原作者の姿勢からは、原作ファンのための「ワンピース」を創ろうという、強い意志が感じられる。単なる10周年記念映画に名前を出しただけではなさそうだ。</p>

<p>　アニメ映画版「ワンピース」を見ていると、映画を構成する3つの要素・・「ストーリー」「キャラクター」「世界観」が、原作のレベルで既にしっかりと構築されており、それらを映画としてどう表現するか。つまり作家性というか、監督の手腕や力量がはっきりと出る。ストーリーそのものは、ルフィと仲間たちが未知の島を訪れ、そこで敵と対決するというパターンが確立されていることから、演出としてはそのプロセスやシチュエーション、ディテイルをいかに見せて行き、最終的に観客の感情をどこに導くかが重要になってくる。この機会にシリーズの旧作を見直してみたが、中にはルフィたちと敵との対決の描写に力を入れるあまり、「ゴムゴムのー!!」「おのれぇぇぇ!!」の繰り返し。ハイテンションではあるけれど、バタバタしたシーンの連続になってしまい、見た後とんでもない疲労感に襲われる作品や、明らかにこの描写はやりすぎだろう。世界観に反するのでは?・・・と感じられる作品もあった。</p>

<p>　その点新作「STRONG WORLD」は、原作者自ら陣頭指揮をとったこともあり、ストーリーこそいつものパターンなれど、その語り口はきわめて丁寧。「興奮」を与えるために、アクション・シーンばかりをたたみ掛け、観客をどっと疲れさせるようなことをしない。変な言葉だが「秩序ある興奮」を呼び覚ますことに成功しているのだ。ストーリーをきっちりと語り、ひとりひとりのキャラクターに対して、ちゃんと見せ場を与える。もちろんワキを固める多彩なアニマル・キャラや敵キャラも原作者の構築した世界観に、しっかり乗っ取っていることは言うまでもない。<br />
　いわば原作にあった魅力を再度抽出し、原作者自らその要素を点検。その上で、再度アニメ映画の中に投入するという、その試みは大成功と言えるだろう。ただし「STRONG WORLD」の“秩序ある興奮”が呼び覚ます爽快な面白さは、原作者の参加もさることながら、それらのオーダーに確実に対応し、1本の作品に結実させた、境宗久監督とスタッフの手腕の確かさ故だろう。<br />
　「エピソード・オブ・チョッパー…」に涙した女子たちには悪いが、今回のワンピースは、男子優先。正月映画。これを見ずして何を見る。アクションに次ぐアクション。疾風怒濤の大活劇。男の子なら熱くなれ!!ナミの水着姿も、大盤振る舞いの大サービスだっ!!!</p>

<p>『ONE PIECE FILM Strong World』　<a href="http://www.onepiece-movie.com/">http://www.onepiece-movie.com/</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/12/one_piece_film.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 12 Dec 2009 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　『東のエデン 劇場版 The King of Eden』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文；氷川竜介　（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　『攻殻機動隊S.A.C』、『精霊の守り人』と神山健治監督の送り出すアニメ作品に覚える好感度の所在——それが最近の監督の取材記事を読んで、ようやく腑におちた。「決してあきらめないこと」なのだ。神山監督自身、演出家になるため、またオリジナルのアニメ作品を世に送り出すため、断じてあきらめようとはしなかった。その成果としてＴＶシリーズ全11話と、その続編として公開される劇場版（全２部作）がある。当然、劇場パート１「The King of Eden」もまた、「あきらめない人たち」の物語なのである。<br />
　とある理由でセレソン（＝救世主）として抽出された12人の男女に、百億円がチャージされた「ノブレス携帯」が与えられる。その大金で日本を正しい方向へ導けるか否か。最初に達成できたと判定されたセレソンが「アガリ」になり、２位以下は抹消される。チャージを使いきってもダメ、私用もダメ。試されるのは知恵、求められるのは行動だ。支えるのはマネーパワー、手助けをするのは万能システム“ジュイス”だ。そしてセレソンのすべてを律するのは「ノブレス・オブリージュ＝もてる者の義務」である……。<br />
　このＴＶシリーズの基本設定に即し、最終回で主人公の滝沢朗はミサイル攻撃から日本を救って「この国の王様にしてくれ」とジュイスに願い、記憶を消して行方不明となった。劇場版は、そうやって不在になった主人公を探し求めるところから始まる。</p>

<p>　百億円とは、現代社会において実現可能な「魔法」のことだろう。ノブレス携帯の役割は「魔法のステッキ」で、ジュイスは魔法少女を導く「魔法の国の使者（ペット）」なのだ。そう考えると、描写が深められるセレソンたち（新登場あり）と各々チューンされたジュイスとの関係性が劇場版の大きなみどころになるのは自明と言えよう。<br />
　ＴＶ版でも劇場版でも、滝沢は「記憶を失った」ところからスタートする。一般的に人格は記憶と同等・不可分なもので、行動を律すると思われている。百億円もの金を有していれば、なおのこと行動は記憶と金次第になるはずだ。ところがゼロスタートになった滝沢は、常にその時折の状況から周囲を把握し、最良の選択を行動としてとろうとする。決してあきらめずに。そこが彼が他のセレソン、あるいは「東のエデン」グループのメンバーとひと味違うところだ。重要なのは、滝沢が異分子として行動することで、誰もが彼に感化されて「あきらめない人たち」になっていくプロセスだ。波紋のように拡がり連鎖反応を、真摯だがユーモラスな行動の集積として描くところが『東のエデン』で最大の「お楽しみ」である。それは凝縮された時間を過ごす劇場での鑑賞によって、さらに際だつポイントである。<br />
　ＴＶシリーズを第１部とすれば、全３部作の第２部にあたる本作は、途中から始まり途中で終わり、映画の独立性を奪われる中間パートの宿命は逃れられていない。だが、それを補って余りある魅力とテーマ、メッセージの深化を見せる「決してあきらめない作品」なのである。</p>

<p>『東のエデン 劇場版Ⅰ The King of Eden』　<a href="http://juiz.jp/blog/">http://juiz.jp/blog/</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/_the_king_of_ed.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 28 Nov 2009 10:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画評　『マイマイ新子と千年の魔法』</title>
<description><![CDATA[<p><strong>文；氷川竜介　（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　私がこよなく愛する映画の１本に片渕須直の初監督作品『アリーテ姫』がある。一見してファンタジーの枠組みにあるような設定や道具立てを用意しながら、想像力豊かな少女の前にすべては相対化され、作りこまれたディテールから驚くべき世の実相が浮き彫りになる。それと同種の驚きと、生きることへの勇気を与えてくれる片渕監督最新作が『マイマイ新子と千年の魔法』である。<br />
　題名の「マイマイ」とは主人公の額にある２つめの「つむじ」のこと。麦畑に自分だけのキャラクターを重ね、直角に交わる水路に千年前のイリュージョンを見る新子の想像力の象徴である。物語は表層的には、「ガール・ミーツ・ガール」のかたちで進む。新子が暮らす自然豊かな山口県防府の田園風景。そこに父の仕事の都合で都会的な少女・貴伊子が転校してくる。母親を亡くしたこともあり、周囲にとけ込めないカルチャーギャップの生み出す騒動や、さまざまな問題を乗り越え、新子と２人で打ち解けることが主軸だ。こう紹介すると、ありがちな児童文学を想像するだろうが、問題は「千年の魔法」である。<br />
　物語の時代設定は昭和30年――つまり50年前だ。その世界に対し、千年前の平安時代に暮らす女の子（実は清少納言）が、新子の想像力を媒介に、不思議なかたちで交錯して影響を与える。こう書くとファンタジー映画のようにも聞こえるが、しかしこの作品の姿勢はしっかりとしたリアリズムに根ざしたストイックなものだ。生活描写、時代の空気は、驚くべきディテールの点描で裏打ちされて「たしかにそこにあった」という実感がわいてくる。アカギレをした少女の頬、ゴツゴツになった少年の指先、ガスで動作する冷蔵庫、ラジオドラマに絵物語……。</p>

<p>　高度経済成長期にこれから入ろうとする直前、生活はまだ質素だったが、その分、人と人の関わりあいは濃密だった。ならばこれは人情優先のノスタルジー映画なのか。あるいはロケハンできれいな情景をすくい上げた疑似観光映画なのか。それも違う。50年前と千年前、どちらも過去に間違いはない。ではもう今は消えてなくなってしまったのか。自分とは関係はないのか。そんなことはない。千年前も50年前も等しく発掘を行うシーンが、それを裏付けている。<br />
　こうした反射神経的な決めつけを排除するデリケートさが、最大のみどころだ。確かにそこに存在したものであれば、それは自分の一部であろう。そして、どちらの世界も美化されてはいない。生も死も、きれいなものも汚いものも、子どもの視点で等価におかれ、すべてがひとつに包みこまれていく。そう気づいたとき、ふたつの世界を橋渡しする魔法の意味が明らかになる。その魔法は時を越えて、現代の自分にも染みわたっていく。<br />
　この心豊かな気持ちで充たされる奇跡は、アニメーション映画だけが可能とするものだ。真剣なまなざしで対象を見つめ、何を絵にするのか、抽象化するのか描きこむのか、そうした取捨選択が価値観にまで昇華した結果なのだ。アニメーションとして練りこんだ表現だからこそ可能となる奇跡の時間を、ぜひとも映画館で体感してほしい。</p>

<p>『マイマイ新子と千年の魔法』　<a href="http://www.mai-mai.jp/index.html">http://www.mai-mai.jp/index.html</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_47.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Sat, 21 Nov 2009 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>&quot;FORS&quot;の高品位でクリアな映像と音声</title>
<description><![CDATA[<p><strong>『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念<br />
　　りんたろう監督に聞く作品のみどころと最新作</strong></p>

<p><strong>文：氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p><strong>"FORS"の高品位でクリアな映像と音声</strong></p>

<p><img alt="FORES1.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/FORES1.jpg" width="250" height="140" style="float: right;margin-left:15px;" oncontextmenu="return false;"/>　2009年11月27日に『幻魔大戦』のBlu-ray Discが発売される。1983年に角川映画が製作したアニメーション映画の第１作目にあたり、２年後の「月刊ニュータイプ」創刊から現在に続く角川書店発のアニメ文化にとって源流にあたる作品だ。滅亡のみを目的とする存在・幻魔の襲来によって地球全土が危機にさらされるという設定で、「ハルマゲドン」という言葉を流行させたという点でも後世に与えた影響は大きい。<br />
　今回のBlu-ray化においては、映像・音声の修復のみならず、マスターのハイクオリティ映像を精密にディスク上に再現するため、キュー・テック社の開発したSUPER Hi-Quality BD Master Process "FORS system"が採用された。"FORS"（フォルス）とは"Faithful Original Sgnal"の略で、デジタルデータ伝送の基準となるクロック信号の高精度化を筆頭に、すべての伝送経路を見直し、デジタル信号をBlu-ray Disc上に再現する忠実度を向上したシステムである。</p>

<p><img alt="FRORS2.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/FRORS2.jpg" width="250" height="140" style="float: left;margin-right:15px;"/ >　筆者もキュー・テック社において"FORS"の有無の比較テストに立ち会ってみた。デジタル信号伝送の効果をみるため、結果はあくまで主観的となるが、確かに高域の伸びが感じられ、楽器の音色の違いがはっきりと分離して感じられる。効果が顕著なのは公開時の2.0chドルビーサラウンドをデコードしたときで、5.1chにも劣らない良好なサラウンド感が得られて驚いた。<br />
　本作はまた、日本を代表するアニメクリエイターりんたろう監督の代表作でもあり、監督の最新作『よなよなペンギン』は12月に公開が予定されている。再生品質が限りなく向上した『幻魔大戦』のBlu-ray Discをさらに深く楽しむため、りんたろう監督に当時の話や監督の中における位置づけ、そして『よなよなペンギン』につながるものをインタビューし、聞いてみた。</p>

<p><a href="http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_45.html">■　『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー</a><br />
<a href="http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_46.html">■　『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー</a></p>

<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=FFFFFF&IS2=1&nou=1&bg1=FFFFFF&fc1=FFFFFF&lc1=0000FF&t=anime0d-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&asins=B002LF3WSY" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br />
角川映画　<a href="http://www.kadokawa-pictures.co.jp/">http://www.kadokawa-pictures.co.jp/</a><br />
『幻魔大戦』Blu-ray Disc　<br />
<a href="http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/genmataisen/">http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/genmataisen/</a></p>

<p>価格：各5200円（税抜）各5460円（税込） <br />
品番：DAXA-1132 <br />
映像特典：特報、予告編、スタッフ＆キャストプロフィール　 <br />
封入特典：《初回出荷分　封入特典》フィルムブックマーク </p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/fors.html</link>
<guid>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/fors.html</guid>
<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Wed, 18 Nov 2009 21:03:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー</title>
<description><![CDATA[<p><strong>『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念<br />
　　りんたろう監督に聞く作品のみどころと最新作</strong></p>

<p><strong>『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー</strong></p>

<p><strong>文：　氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p>　僕が長編に入ったきっかけは『銀河鉄道９９９』（79）でしたが、自分の中で「今後こういうスタイルで作っていけるかな」と長編に腰を落ち着ける方向性を見つけたのは、『幻魔大戦』なんです。原作は角川文庫から出ていた平井和正さんの小説ですし、角川映画初のアニメーション映画ですから、それが一般の映画ファンにも認められるかどうか、角川春樹さんともども勝負に出たい。そんな想いで作った作品です。<br />
　お話をいただいたとき、大友克洋という新しい才能をキャラクターデザインとしてぜひ入れたいと、すぐに思い浮かびました。彼の絵はリアルと言われてますが、独特の線でデフォルメされているんです。その独特の線のシャープさをアニメーターが引ければ、新しいスタイルが獲得できるはずだと、そこにすべての勝負がかかってました。</p>

<p><img alt="GENMA1.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/GENMA1.jpg" width="250" height="140" style="float: left;margin-right:15px;"/ >　作画監督の野田卓雄さんも相当苦労してましたが、なかむらたかし、森本晃司、梅津泰臣という若い大友ファンがいっぱい参加し、大友克洋の持っているエッセンスをうまく踏襲してくれて、当時としてはベストの出来だったと思いますね。大友さん本人も自転車で阿佐ヶ谷のスタジオに通い、漫画家はアシスタントをのぞけば孤立した一人の作業ですから、みんなでワイワイやったのが楽しかったらしいですね。そういう意味では大友さんもアニメにどっぷり浸かっていくきっかけになったと思います。<br />
　クライマックスの富士山では、思いきって永井荷風をカリカチュアして出してみるという突拍子もないアイデアに加え、火焔竜というアニメならではの絵の面白さをメタモルフォーゼ表現で追求しててみたわけです。僕には（葛飾）北斎のイメージがあったんですね。それもとにスペシャルアニメーションでクレジットされている金田伊功くんと話をして、もっとデフォルメを加えて独特の炎にしていく。そのうちに、ご存知のような竜のかたちになっていったわけです。<br />
　実は『よなよなペンギン』にも竜が出てくるので、「僕は竜が好きなんだなあ」って思いました（笑）。それぐらいよく出てきますね。</p>

<p>　音楽に関しては、鼓童の和太鼓は最初から使うつもりでしたが、全体は『銀河鉄道９９９』の青木望さんの音楽で行こうと思ってたんです。角川春樹さんは僕と同じで映画にどう音楽をつけるか、ものすごく興味のある人で、周りにはものすごくキレるブレーンもそろってましたから、そういう人たちとワイワイやってくうちに「キース・エマーソンはどうだ？」という話が突然出たんです。僕も大好きなミュージシャンですが、これまでにない発想に驚きましたね。<br />
　ただ、スケジュール的に全曲は無理だったのでポイントだけお願いして、あとは青木さんの曲を僕のほうでうまくコントロールして使うことにしました。彼はイギリスから六本木にあった日活スタジオセンターにマシンを何台か持ちこんで、そこに滞在して作曲してました。「とにかく監督は来てくれ」と言われたから、マンツーマンでつきっきりです。朝から裸になってワイン飲みながらラッシュを観て、シンセサイザーを弾きっぱなし。音を作るたびに「どうだ？」って訊かれるんですが、多重録音ですから後から重ねるわけです。最初のベース音だけ聞いても分かるわけがない（笑）。</p>

<p>　その間、僕はスタジオに画素材を持ってきてもらって、そこでチェックしてましたね。彼もアニメーションは初めてで熱心でしたし、やはりプロとしてものすごい柔軟性をみせるんです。仕上がってきたときに「もう少しここをこうしたら」と言うと応えてくれるし、「終わった！」と言いつつ、すぐまたやり直したり。「この音が足りない！」って分かると、どこからか音源を仕入れてきてまたそれを重ねるとか。ほとんど24時間働きっぱなしでした。「これが好きなんだよ」って言ってましたし、あんなに働いたミュージシャンは初めてで、面白い仕事ができましたね。<br />
　ものすごくきれいな曲ですから、その原音がちゃんと出るのはいいですね。</p>

<p><img alt="GENMA2.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/GENMA2.jpg" width="250" height="140" style="float: right;margin-left:15px;" oncontextmenu="return false;"/>　美術監督の椋尾篁の表現力は、本当にすごいですよね。この映画は美輪明宏が出てくるようなアートっぽい感じをねらい、何か新しい表現を模索してましたが、椋尾美術にはどこか常にアウトサイダー的というか、アヴァンギャルド的なところがあるんです。そこが僕は大好きで、「もっとこうしちゃえ！」と、けしかけてましたね。ただ、僕はイメージは言いますけど、あまり色のことなどは言わないんです。椋尾さんもムサビ（武蔵野美術大学）を出てるので、「黒は黒で使うな」なんて必ず何色か混ぜて黒にするような教育を受けているわけです。でも僕にとっては映画の色なので、「純粋な黒にしてほしい」と思うので、初めての作品ではかなりぶつかったんです。そういうコミュニケーションを通じて、美術監督が何を考えてるのか初めて理解するようになったんです。</p>

<p><img alt="GENMA3.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/GENMA3.jpg" width="250" height="140" style="float: right;margin-left:15px;" oncontextmenu="return false;"/>　ある監督に「最近のアニメはリアルすぎてつまらない」と言ったら、「それはりんさんが始めたことでしょ」って言い返されたんですよ。「いや、吉祥寺や新宿の街が出たのは、この作品向けにスタイル作っただけなんだよ」って言っても、「それは理由になりません」なんて、すっかり悪者にされてますね（笑）。<br />
　それまでのいろんなテレビアニメで、家は家みたいに記号化されていたのがずっと気になってたんです。『幻魔大戦』では「観客にリアリティを感じさせたいなら、それじゃダメだ」と、シナリオで「ある街」としか書いてないのに、「自分が住んでる吉祥寺にしよう」とか「新宿の高層ビルを墓標のように見せよう」と考えました。<br />
　大友くんとキャラクターを作っていくときにも、「りんさん、このキャラクターはどういう靴を履くのかな」とか「セーター着るときはニットを首にかけるのかな」とか「シャツはボタンダウンかなあ」とか会話しながら、全部詰めていったんです。そういうディテールでキャラクターにリアリティ、存在感を出す。そこも面白かったですね。<br />
　どこかで長年、何か自分の中に物足りなさを感じてたんですね。「このキャラクターなら、こんな家には住まないだろう」とか「このイスには座らないだろう」っていうことを、思いきってここで推し進めた。それがやがて、ひとつのスタンダードになったんだと思いますね。</p>

<p><a href="http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_46.html">■　『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー</a><br />
<a href="http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/fors.html">■　"FORS"の高品位でクリアな映像と音声</a></p>

<p>　　　　　　　<img alt="rinbＸｈｉｋａｗａ.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/rinbＸｈｉｋａｗａ.jpg" width="300" height="200" oncontextmenu="return false;"/></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_45.html</link>
<guid>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_45.html</guid>
<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Wed, 18 Nov 2009 21:02:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー</title>
<description><![CDATA[<p><strong>『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念<br />
　　りんたろう監督に聞く作品のみどころと最新作</strong></p>

<p><strong>『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー</strong></p>

<p><strong>文：　氷川竜介（アニメ評論家）</strong></p>

<p><img alt="GENMA KANTOKU1.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/GENMA KANTOKU1.jpg" width="250" height="167" style="float: right;margin-left:15px;" oncontextmenu="return false;"/>　僕の演出は『鉄腕アトム』から始まってて、当時20代で手塚治虫さんの原作を好き勝手に食い散らかしてました。でも、自分の中では「手塚治虫の作品を自分なりにちゃんとできてたんだろうか」って、忸怩たるものがずっとあったわけです。そんな思いのたけを全部入れた作品が『メトロポリス』（01）です。あれが終わったとき、僕の中では「２Ｄでやることは、もうないな」となっちゃったんですね。<br />
　あの作品でもＣＧを使ってますが、フルＣＧには興味なかったんです。ところが絵本としてやる予定で『よなよなペンギン』を企画していたら、丸山正雄（マッドハウス・プロデューサー）が「これはフルＣＧでやろうよ」と目から鱗が落ちるようなことを突然言い出したわけです。僕も否定せずに、「待てよ、もし自分がフルＣＧをやったら、どういう新しい可能性があるのかな」と、その言葉を受け止めました。</p>

<p><img alt="yonapen2.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/yonapen2.jpg" width="250" height="140" style="float: left;margin-right:15px;" oncontextmenu="return false;"/>　それならピクサーみたいな方向性ではなく、もっと日本人のテイストにしたい。そんなモヤモヤしたものが少しずつ形になっていきました。「僕らがコンピュータの方へ行かずに、逆に２Ｄアニメーションへ強引に引き寄せよう」ということです。フルＣＧはキーフレームを打てば間はきれいに動くものですが、あえて２コマ撮り３コマ撮りにしたり、ワイヤーフレームで作ったものをスライディングでフレームインさせる。そんな強引なことをやりました。無謀きわまりない発想ですね。<br />
　その試みは成功して、まったく新しいことができた、日本のフルＣＧに一石を投じられたと思ってますから、やってよかったと思います。<br />
　シーンによっては背景に120レイヤーぐらい重ね、かなり大変なこともやってます。アメリカならもっと合理的に作るはずです。彼らは常にキャラクター優先で、背景も記号化されてますよね。今回は背景にも情感を入れましたし、やはり日本じゃないとできない表現だと思います。日本のアニメは貧乏なところから始まり、そこで切磋琢磨してノウハウを溜めてきました。それは世界中見渡しても日本しかできないすごい表現の財産だと、僕は思ってるんですね。</p>

<p>　コンピュータだと、キャラクターがどんなに面白く動いても、どこかに冷たさが漂ってる気がして、それが気になってました。絵でいえばクレバスで描いたような、温かみのある手塗りみたいなものが欲しかったんです。だから美術も大変になったし、洋服の質感にしても、本当にスタッフは大変だったと思います。<br />
　全体のねらいは、やはり「動く絵本」ですね。イメージはきちっと伝えながら、馬群（美保子）さんという美術監督の感性にお任せしました。馬篭さんの持ち味はディティールで、描き方は点描画に近いんです。絵筆をすこしずつ動かしながら色をいくつも重ねていく。その繊細な色合いをコンピュータで出すのも難しくて、その苦労は並大抵ではなかったはずです。僕はできるだけ知らんぷりしてましたけど（笑）。その大変な美術監督の質感をコンポジットもうまくやってくれましたね。</p>

<p><img alt="yonapen1.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/yonapen1.jpg" width="250" height="140" style="float: left;margin-right:15px;" oncontextmenu="return false;"/>　いつも自分の作品には、どこかダークな部分がないとモチベーションが成り立たないんです。そのダークな部分と可愛いらしさが同時に欲しいということで、キャラクターは寺田克也くん以外に考えられませんでした。あの寺田キャラををモデルにしたスタッフも大変でした。あのほっぺたの感じなどは、ＣＧが一番苦手とするものですからね。いい感じで彼の絵がＣＧになってます。<br />
　その辺は本当にすべてがうまくかみ合ったなって想います。そうそうないですよね。こうしたがんばりは、はっきり画面に出てパワーになって出ています。無謀な試みでしたが、「ここまでできれば、怖いものなしだ」と、次がもっと楽しみになりました。</p>

<p>　『よなよなペンギン』が子ども向けを意識したかどうか、自分の中ではよく分かりません。たとえ子ども向けに見えたとしても、どこかひそかに大人へ向けて作ってるところはあります。作品の中には、今の社会状況を反映したものがいっさい入ってませんし、時代のアクチュアリティーは、まったくありません。ただ、今の子どもたちにダブらせた部分はあります。子どもにとってのこの時代は世界中が息苦しくて、酸欠状態だと思うんです。そういう時代にも、子どもたちの中には心の可愛らしさみたいなものが本来あるはずだから、そこに触れればと。それを感じとってくれればなと思います。<br />
画像: (c)2009 りんたろう・マッドハウス／「よなよなペンギン」フィルムパートナーズ・DFP</p>

<p><a href="http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_45.html">■　『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー</a></p>

<p><strong>《りんたろう監督からのメッセージ》</strong></p>

<p><strong>『幻魔大戦』</strong><br />
　今は日本のアニメーションは長編が主流になってきてますが、そのさきがけということを、どこか意識して観てほしいです。もちろん26年前の作品ですから、技術などいろんなところで古さはあると思いますが、「こういうスタイルにした」という当時の想いをどこかで意識して観てもらったら、僕としてはうれしいです。</p>

<p><strong>『よなよなペンギン』</strong><br />
　まったく誰も見たことない、日本ならではのフルＣＧという領域に挑戦し、一石を投じた作品です。余計なことはいっさい考えず、シンプルに観てもらうとうれしいですね。</p>

<p>（一部敬称略／2009年10月25日 秋葉原UDXシアターにて）</p>

<p><strong>『よなよなペンギン』</strong> <a href="http://yonapen.jp/index.html">http://yonapen.jp/index.html</a><br />
12/23（水・祝）　全国ロードショー<br />
配給：松竹</p>

<p>　　　　　<img alt="yonapen3.jpg" src="http://animeanime.jp/special/archives/yonapen3.jpg" width="330" height="185" oncontextmenu="return false;"/><br />
(c)2009 りんたろう・マッドハウス／「よなよなペンギン」フィルムパートナーズ・DFP</p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/post_46.html</link>
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<category>アニメ・映画</category>
<pubDate>Wed, 18 Nov 2009 21:01:00 +0900</pubDate>
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<item>
<title>ガンダムUCの挑戦　変わるアニメのウィンドウ戦略(1)</title>
<description><![CDATA[<p>数土直志</p>

<p><strong>【脱テレビ？『ガンダムUC』の驚き】</strong></p>

<p>　少し早いが2010年のアニメ界を予測してみて欲しい。2010年の注目の作品は何だろうか？数ある作品の筆頭に、『機動戦士ガンダムＵＣ』が加わることは間違いないだろう。何しろ｢ガンダム｣は、いまや国民的キャラクターブランドである。その最新作、しかも人気の高い宇宙世紀のシリーズと来れば、アニメ雑誌でなくても取上げたくなる興味あるタイトルだ。<br />
　しかし、2010年に『ガンダムUC』が注目されなければいけないのは、作品それ自体だけでない。むしろ、『ガンダムUC』が現在進めるビジネス戦略のほうが、アニメ業界全体にとってより重要でないだろうか。</p>

<p>　2007年からアニメ業界が下方トレンドに入ったことは、既にたびたび指摘されている。その理由には作品の過当競争や特にマニア向けの作品の収益を支えてきた映像パッケージ市場の売上げ不振がある。こうした混迷を抜け出すべく、様々な企業が様々な試みを行っている。<br />
　その最もドラステックな挑戦が、『ガンダムUC』である。『ガンダムUC』の挑戦、それはすなわち｢脱テレビ｣である。長年テレビというメディアに深く依存して来たアニメ業界の中で、これまでのビジネスの在り方に真正面から挑戦するかたちだ。</p>

<p>　これまでアニメ作品は、例外は多いとしても地上波テレビ、あるいはその代替としてのU局ネットから作品の公開をスタートしている。アニメ公開の第1ウィンドウは地上波でのテレビ放映、その後にインターネット配信、有料ケーブルチャンネル、映像パッケージの発売などが続く。<br />
　ところが、10月25日にバンダイナムコグループが発表した2010年の『ガンダムUC』のメディア展開には、テレビ放映が含まれない。Blu‐Ray DiscとDVDの発売日、PlayStationStore（PSS）での配信開始、さらに劇場イベントでの先行上映が組み合わせられる。少なからぬ人が、｢テレビ放映はないのか？｣と考えただろう。ガンダムほどの大型シリーズの展開には、テレビ放映こそが相応しいと思えるからだ。<br />
　現状で全てのビジネス戦略を発表していない『ガンダムUC』が、今後テレビ放映を発表することはあるかもしれない。しかし、それは二次的なものに過ぎない。劇場とネット、そして映像パッケージと海外マーケットを同時展開するストラテージを組む『ガンダムUC』のビジネスの中心に、テレビ放映は位置していない。</p>

<p>　テレビ放映がない一方で、イベント上映と名を打って全国5都市で2週間限定の劇場公開（発表では上映としか述べてない）を行うのが今回の展開の大きな特徴だ。<br />
　その変則的な公開もさることながら、劇場上映とネット（PSS）の同時配信、それに期間を置かない映像パッケージの発売は、これまでにあまりないウィンドウ戦略となる。</p>

<p>　つまり、これまで一般的だった｢テレビ→映像パッケージ｣ｏｒ｢映像パッケージ発売単独｣であったウィンドウ戦略が、｢劇場上映＋ネット有料配信＋映像パッケージ全て同時｣という新しいかたちに移行している。ここでは劇場とネットの重要性が増している。<br />
　劇場公開の重視は、2008年からアニメ業界を覆う大きなトレンドである。そして、一方でネット発の有料展開は、これまで多くの試みが行われ、必ずしもうまく行っていないビジネスである。<br />
　劇場=イベントというオールドメディアとPSSでの配信という最も新しいメディアが結びつくことで新たなビジネスを生み出したい、バンダイナムコグループはそう考えているようだ。</p>

<p><a href="http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/uc2.html">【アニメとテレビ放映の力】に続く</a></p>]]></description>
<link>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/uc1.html</link>
<guid>http://animeanime.jp/review/archives/2009/11/uc1.html</guid>
<category>そのほか</category>
<pubDate>Sun, 08 Nov 2009 23:30:03 +0900</pubDate>
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