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2010.03.13
アニメ・映画 ]
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文; 氷川竜介(アニメ評論家)

 テレビシリーズ11話、劇場版1本と長尺を積み重ねてきた『東のエデン』も、ひとまずこの劇場版の後編で完結となった。「日本を救うために百億円を与えられたらどう使うか?」というセレソンゲームは、滝沢朗と森美咲の帰国により、一挙に最終段階へと向かう。「滝沢は王様になれるのか」という未来と「滝沢とは何者だったのか」という過去が対置される中で、さまざまな人びとがうごめくことで、ゲームの勝敗の行方と黒幕があぶり出されていく。
 劇場用映画でありながらアクション等の娯楽要素はかなり控えめで、ストーリー的にも終結へと向けて広げた大風呂敷をたたもうとする性急さは否めない。「お金を使うこと」と「お金をもらうこと」の対比から浮かぶセレソンゲームの真意は痛快だが、主張のいくつかはシュガードリーム的で、手厳しい批判にさらされる可能性が高いとも思った。しかし、そうしたアンバランスさを越えた、ひたむきさが伝わってきたことも事実である。きれいに整合させ過ぎて小さくなるより、収まりきれないほど大きな想いがあるということが確認できただけでも、この作品につき合ってきて良かったと感じた。

 実際に「今回でお別れか、寂しいな」という想いが去来したのは、自分でも意外だった。それは、登場人物それぞれの活躍を通じてにじみ出る魅力に触発されたものだ。実にユニークなバックグラウンドをもち、個性豊かな人物像は、生身をもたないアニメキャラクターなら当然ではある。だが、終局にあたる後編では、そうしたテクニック論を越えた「いのち」がキャラに宿ったように感じられる瞬間が何カ所かで訪れた。その頂点にあたるのが、咲がクライマックスで滝沢に対してとる行動である。そこに確実に存在する感情の高揚を心の共鳴として感じとれるかどうかで、本作の評価は大きく分かれるはずだ。
 そう、キーになる言葉は「変化」なのだ。映画を観ている最中、何でもないシーンでふと「みんな変わったなあ」という想いが脳裏をよぎり、少しだけ目尻が潤んだ。「同じようなシチュエーションにおかれたら、自分もあんな行動がとれるのか」という類の想い。こうした感情移入は幾多の「謎解き」よりも主張よりも、観客にとって重要なことだと思う。映画は論文ではないのだから……。

 さて、エンディングで主題歌が流れても、絶対に席を立ってはいけない。エピローグがついているからだ。そこでさらに広げた風呂敷がひとつ畳まれるが、最後のそのまた最後で筆者は「何だって?」と耳を疑い、激しく動揺したのであった。直後に神山監督の取材があったので、速攻で真意を尋ねたが、当然のように笑みしか戻ってこない。予想どおりの反応だ。だが、神山監督の映画に意味のない言葉や映像はあろうはずがない。
 剣術も達人となれば、相手に斬られたことを気づかせないないほどの技を使うという。そうだ、またも神山監督にしてやられてしまったのだ。このように、映画が終わっても現実世界は決して終わらない。観客の側に投げ返された物語は、永遠に続いていく。「お客さんなら、百億円をどう使いますか?」という問いかけとともに。そして、意味を検証し直さなければならないヒントも山のように与えられ、目の前に残った。自分ならどうするのか、自分はどう変われるのか。そんな想いを胸に、また第1話からリプレイを楽しむのも悪くないなと、今では思っている。

『東のエデン』 公式サイト http://juiz.jp/

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アニメ・映画 ]
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文;氷川竜介(アニメ評論家)

 アニメ版『時をかける少女』(2006年/細田守監督)で力いっぱい突っ走る主人公を好演した仲里依紗――彼女を主役に同じ原作を実写化するという、ある種のアクロバティックさを感じさせる企画である。
 2010年のこの谷口正晃監督版は、物語設定としては原田知世主演の大林宣彦監督版(1983年)を引き継ぎ、ひたむきでアクティブだけどドジっ子の主人公は、アニメ版を継承している。そして今回の少女は、限られた何日かの時間を繰りかえすのではなく、はるか36年前への片道切符的な時間旅行を体験することになる。そこではやはり淡く切ない出逢いと恋心が描かれることになる……。

 「よりによって1974年へタイム・リープか」というのが、現実世界の1974年では高校生だった筆者がまず思ったことだ。具体的な時制が示されたことが驚きであった。記憶の中では、この時代にはきわめて大きな節目が刻み込まれている。1973年10月の第四次中東戦争を受けて原油価格が高騰し、いわゆる「オイルショック」が起きる。太平洋戦争敗戦から復興して四半世紀余り、日本の高度経済成長も限界をむかえ、公害などの歪みを生んでいた。劇中の1974年2月ごろは、繁栄から暗転した世相が決定的になってたころだ。SF作家・小松左京の書いた「日本沈没」がベストセラーとなり、73年末に公開された同題の特撮映画が大ヒット。同時期にノンフィクションの体裁で刊行された「ノストラダムスの大予言」とあわせ、一挙に「終末ブーム」が加速していた時期でもある。
 それゆえに、この1973~1974年につくられたアニメ・特撮作品にはダークな雰囲気をたたえたものが多い。1974年10月放送スタートのTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』における滅亡寸前の地球という逆境の設定も、例外ではない。ただし、「SFビジュアルの新時代」という次のムーブメントを生み出そうとする気概が、そこにはっきりと焼きついていた。つまり暗い闇の中に、次の時代の光明が宿り始めるという時期でもあったわけだ。
 こうした時代背景を念頭におくと、主人公・芳山あかりがタイム・リープした先で巡りあう大学生・涼太の趣味が「SF」であることや、「映画の自主制作」を通じて地球滅亡の意味を自分なりにとらえなおそうとしている姿勢に、格別の意図があるように思えてくる。その深読みの発想自体が、現実と響きあうSF的なトライアルではないのかとも……。そう考えてみると、「時を越えることで輝くラブストーリー」という『時かけの真髄』も、今回はフィクションの枠を越えた格別の切なさをたたえているようである。そうしたフィクション世界と現実の越境のためにも、アニメ版の主役が実写として飛び出てくる仕掛けが必要だったのだろうか。

 筒井康隆のSF小説『時をかける少女』を原作に、時代ごとのクリエイターたちが思春期への思い入れたっぷりに映像リメイクを繰り替えしてきた。そのあまりの反復ぶりは、この作品自体に「時をかけるパワー」が宿っていることを暗示してきた。数あるSF作品の中でも本作独特のメタなパワーは、谷口正晃監督版の「具体的な時制を示し、現実世界と時かけ世界を橋渡しする」という仕掛けを得て決定的になり、次なるステージに移行し始めたように感じられる。
 原作初出から43年という積みかさねた「時」がそれを可能にしたと思うにつれ、「時かけ現象」の壮大さに感じ入るばかりである。これを受けた新たな世代の「次の一手」が、さらに楽しみではないか。

『時をかける少女』公式サイト http://tokikake.jp/ 

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2010.03.06
アニメ・映画 ]
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文;氷川竜介(アニメ評論家)

 『ペイル・コクーン』で映像感覚が高く評価された吉浦康裕監督による初の長編映画である。連作短編『イヴの時間』(6話分)を1本にまとめたオムニバス的構成だが、単なる総集編ではなく、すべてHD画質で再レンダリングされた上で音響ふくめ、すべて劇場の集中できる環境にチューンナップ。さらにあっと驚く新作カットが随所に追加されている。一連の流れができて各話の関連も見えやすくなったため、一度観たはずのエピソードも「あれ、そういうこと?」と新たな興味をそそる部分が発見できる。そんな嬉しい仕掛けが満載の映画だ。
 アンドロイドと人間がともに暮らし、見た目の差がつきにくくなった時代――ロボットの頭部には識別リングの表示が義務づけられている。だが、メインの舞台となる謎の喫茶店「イヴの時間」内では、いっさいの区別をしないことがルールだという。はたして店内の誰がロボットで誰が人間なのか? 識別マークをとったとき、ロボットと人の間には感情の交流が可能なのか?
 吉浦監督は、描き方次第では重く陰々滅々にもなりかねないSF的でシリアスなテーマを、ユーモラスで笑いにあふれた会話劇へと転換。時にあっと言わせ、時にストンと涙の感動へ落とすように、自在に観客の感情をもてなし、気持ちの良い方向へと導く……そんな軽妙洒脱な娯楽志向の作風が、この作品の大きな魅力である。

 インディーズ作品では「映像クオリティ」や「作家性」を研ぎ澄ます方向性をとることが多い。吉浦監督の前作『ペイル・コクーン』もそうだった。しかし今回は「シチュエーション・コメディ」を目ざしたという。人気テレビドラマのように、ひとつ固定した「舞台」を用意し、そこに出入りするキャラクターに会話中心のドラマを紡がせることで、観客を引きこんでいくわけだ。「原作、脚本、絵コンテ、演出、3DCG、撮影、編集、音響監督」と監督自身が名を連ねる目的も、その絶妙な会話の呼吸と、映像のカメラワークや照明を密接にリンクさせることにある。
 前作同様、なめるようにじっくりと移動するカメラワークは、地下に用意された秘密の喫茶店の閉鎖空間を、臨場感たっぷりに、そして魅惑的に見せていく。手描き作画によるキャラクターたち表情豊かに細やかな演技で会話を盛りあげ、次第に人とロボットとの境界が曖昧になっていく。高まりすぎた緊張の中で思わず笑ってしまうような瞬間も多々発生し、そこではアニメーションがなかなか獲得しにくい「ユーモア」と「ライブ感」が生じている。

 設定やテーマの深いところを悩まずに、すっと作品世界へと引きずりこまれるその巧みな演出手腕は、特にアニメに興味のない観客が抱くかもしれないガードを思わず下げさせる。その様子がまさに作中で問われる「人とロボットの区別」をどうするかの問題に直結している。
 つまり「人とアニメキャラの区別」をどう考えるか、改めて意味を問いかけている作品でもあるのだ。暗く集中できる劇場のステージで、入り口は柔らかく広いのに、なかなか奥が深いこの作品を存分に味わってみてはいかがだろうか。

『イヴの時間 劇場版』
http://timeofeve.com/

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2010.01.23
アニメ・映画 ]
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文;氷川竜介(アニメ評論家)

 奇跡のパワーを秘めたアイテムで美少女が変身! ステッキを武器にバトル! 「魔法少女もの」は女玩(女児向け玩具)の販促企画の作品群からスタートし、いつの間にか「大きなお友だち」向けにひとつのジャンルを形成するようになった。本作『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』(原作・脚本:都築真紀/監督:草川啓造)も、そんなジャンル作品がファンに支えられて成長し、ついに劇場版にまで登りつめた映画だ。合計3シリーズが制作されたTVアニメ版「なのは」を表紙にするとアニメ雑誌の部数が確実に伸びるという定説があるほど、堅実で熱い層をつかんでいる。
 そんな人気シリーズを改めて新シナリオ・新作画で映画としてリメイクする試みという点では、ファンムービーの典型とも言える。だが、それを突きつめたところにある種の迫力、高みのようなものが感じられた。

 『なのは』を愛するファンのために、作り手が「良かったところ」を抽出し、新たな見せ場として再構築する。それは当たり前のことだ。そして、一般にクリエイターたちはやや冷静で客観的な立場になって、観客をさらなる高みへとリードしようと試みるはずだ。ところが、この劇場版では映画が進行するにつれ、明らかに作り手の側も『なのは』を溺愛していることが伝わってきて、それに圧倒されてしまうのである。
 「これが、なのはだ!」「これが見たいだろう? そうだ、自分も見たい!」とでも言わんばかりの、輝かしき情熱の発露。それはもはや「愛」としか表現できない。その波動や輝きが映像に転化し、カットごと、シークエンスごと、セリフごとに燃えあがって、スクリーンから放散されて観客の全身を震わせる。『なのは』に強い興味のなかった筆者でさえ、評価検分という職業病を封じられて「これはすごい」と感じたのだから、ファンを満載した映画館ではどんな熱気が生まれるのか、かなり興味がある。
 鑑賞前は「えっ、130分?」と尺の長さにも思わずたじろいだが、実は映画の中身は濃厚だから心配はない。主人公である9歳の少女なのはが初めて魔導端末レイジングハートを手にして魔法少女に変身するきっかけ、最初の戦い、さらにそのミッションを妨害しようとするライバル魔法少女フェイト・テストロッサとの出逢いなどなど、舞台を変え、手を変え品を変えて、バトルを中心にアクセル全開のスピードで物語が進行する。

 劇場版として特筆すべきは「音響」だ。なのは役の田村ゆかり、フェイト役の水樹奈々とダブルヒロインの声の明瞭度が増し、戦闘シーンにおけるギミックの作動音、爆発や着弾などの迫力向上は言うまでもない。一番の注目ポイントは、バトルを支える魔導端末レイジングハートのクールビューティなボイスだ。設定的には小道具の無機質な応答音声なのだが、なのはにネイティブな英語でチュートリアルを指示し、ともに戦って苦難を乗りこえていく、そのパートナーシップのけなげさには、思わず涙なのである。
 劇場版「1st」では人気に火をつけたTVアニメ第1期全13話(2004年)の「ジュエルシード」編をまとめた。この映画の凝縮度は、『なのは』をまだよく知らない観客に魅力のエッセンスを訴求するエントリーフィルムの役割もはたすはずだ。「ビジュアルは知ってるけど、どんな作品?」と知りたい方にはオススメの130分である。

『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』
http://www.nanoha.com/

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アニメ・映画 ]
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文: 柿崎俊道

2010年1月23日公開の劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』の試写会へ行った。
『Fate/stay night』は熱烈なファン層を獲得している作品だ。
2007年にテレビシリーズが放送され、人気を博した。
とはいえ、原作はテレビシリーズではない。
原作は同名のアダルトゲームである。

原作の『Fate/stay night』はゲームであるがゆえに、
複数の攻略ルート(といっても少ないけども)があり、
どれを選ぶかはプレイヤー次第だ。
映像作品として起用されるエピソードも、そうしたルートのひとつを中心にしている。
たとえば、テレビシリーズでは
主人公・衛宮士郎と美少女セイバーを中心に構成されたストーリーだった。
劇場版ではキービジュアルのとおり、
遠坂凛と美形の弓兵アーチャーを中心に描かれる。

本作はテレビシリーズと対になるように構成された作品だ。
そのため、映画館に足を運ぶお客さんはすでにテレビシリーズを見ているだろう
という制作姿勢からか、世界観の説明は一切ない。
とくに衛宮士郎とセイバーの契約のシーンはとても重要だと思うが、
サッと描かれ、あっさりと次のカットへ移行する。
しかも、戦闘シーンが多い本作では、
登場人物は数々の強敵から無数の傷を負わされる。
だが、それも包帯を巻かれたくらいで、いつの間にか元気に歩いている。
そうした戦いの目的である「聖杯」は、
どんな願いでも叶うという代物らしいが、
登場人物たちはそれを手に入れてどうしようというのか。
最後まで見ても、まったくわからない。
そもそも、ふつうの高校生であろう衛宮士郎が
なぜ魔法が使えて、サーヴァントと呼ばれる使い魔を受け入れているのか。
劇場版だけではよくわからないことが盛りだくさんなのだ。

これは、作品を否定しているのではない。
知っているファンにこそ見てほしい、まずファンを満足させたい、
という制作側の姿勢がはっきりと打ち出されている証拠だと私は理解した。
公開予定の上映館リストを見ても単館が多く、
広く一般向けには考えていないことがよくわかる。

本作はアダルトゲームが原作と前述したが、
劇場版もあたかもゲームのようである。
気の利いたアダルトゲームにはスキップ機能や早送り機能があり、
自分の好きなシーンへすぐに飛べるようになっている。
分岐点が多いゲームではとくにこの機能が重要だ。
全ルートをすべて攻略したいのがプレイヤーの性である。
その際に、一から順に進めていたのでは、面倒くさくてかなわない。
体験済みのシーンはサッとスキップ、もしくは早送りしてしまうのだ。

劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』も同じだ。
ファンがよく知っているエピソードは軽く流して、
新しいシーン、派手な戦闘シーンに力を注いでいるのがよくわかる。
決められたスケジュールと予算の中でできることは限られている。
ファンが一番見たいであろうシーンを中心に構成する、
というのは間違ってはいない。

ただ、個人的に気になることがある。
アダルトゲームが原作なのに、アダルト要素が少ないことだ。
ファンのみなさんは満足できるのだろうか。
過去を見ても、人気のアダルトゲームが商業アニメになるたびに、
そうした要素が削られる傾向にある。
一般向けにするためには仕方のないことだとは思うが、
本作のように回りまわってマニア層に特化した劇場作品は
原作のアダルト要素を加味してもよかったのではないか。
それとも、Hシーンはゲームで何度もやっているので、
それで満足というわけなのか。
アダルトゲーム、美少女ゲームが好きな人からよく聞くのが、
「Hシーンを見たいわけじゃないんだよ!
 ドラマに感動したんだ!」
という言葉だ。
そこには、どのようなファン心理が働いているのか。
私はアニメ業界で長く仕事をしているが、
いつになっても、そこだけがよくわからずにいる。

劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』
http://www.fatestaynight.jp/

◆柿崎俊道 (かきざきしゅんどう)
1976年生まれ。著書に『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヵ所巡り』、『Works of ゲド戦記』、『Kirari 痛車コレクション』など。Twitterは「syundow」、mixiは「柿崎俊道」で登録。

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アニメ・映画 ]
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文:  柿崎俊道

同名カードゲームとともに子どもたちに人気の『遊☆戯☆王』が
映画『劇場版 遊☆戯☆王 ~超融合!時空を越えた絆~』として、
2010年1月23日(土)より全国で劇場公開される。
本作の注目すべき点は「3D立体映像」だということ。
「3D立体映像」はジェームズ・キャメロン監督作品『アバター』
を通してご存知の方も多いだろう。
立体メガネでスクリーンを覗くと、
まるで映像が目の前に迫ってくるように立体感を持つというアレである。
3DCGの技術が実写映像と見分けがつかぬくらい向上した今、
「3D立体映像」へと向かうのは自然の流れといえる。
そうした流行の中、
『劇場版 遊☆戯☆王 ~超融合!時空を越えた絆~』が
「3D立体映像」として登場するのは当然ともいえるかもしれない。

……と思ったのだが、
作品を見終わり、本作における「3D立体映像」の立ち位置に悩んだ。
劇中では「デュエルモンスター」と呼ばれる、カードから飛び出す怪獣がいる。
主人公たちはこの怪獣を操り、強力な敵を打ち倒す。
こうした怪獣のほとんどは3Dデータで描かれているため、
「3D立体映像」として見るのに違和感はない。

問題は主人公たちである。
アニメ業界でセル画調と呼ばれる従来の方法で描かれたキャラクターが
画面の奥、手前、中間といったポジションで配置され、映し出される。
その立体感は立体メガネを通してくっきりと体感できる。
しかし、なんだか居心地が悪い。
その悪さをまとめると以下のようになる。

●セル画調のキャラクターには、動画、仕上げにより、
すでに陰影や線といった立体感が施されている

●手描きで施された立体感の上に、
3D立体映像による立体感が加わっている

●そのおかげで双方の立体感がぶつかり合い、
セルのレイヤー構造がくっきりと見えてしまう

押井守監督の映画『アヴァロン』のような書き割り感といえば、
ご理解いただけるだろうか。
『アヴァロン』は違和感を敢えて演出としていた。

本作はセル画調アニメの3D立体映像化という果敢な挑戦に臨んだ。
その意欲は、次のことを気付かせてくれたように思う。
従来のセル画調で作られたアニメの自然な3D立体映像化を目指すなら、
レイアウト、原画といった画面設計の段階から、
最終的な3D立体映像を計算して描かなければならない。
つまり、アニメーターの脳内で3D立体映像というデジタルな計算をしながら、
手描きというアナログ作業を行う必要があるということだ。

アニメは残像を利用したメディアである。
複数の絵を高速でめくることで動いているようにみえる、
という錯覚を利用している。
手描きなのに、3D立体映像と自然にマッチしているように見せるには、
今まで培ってきた残像の技術を一段掘り下げる必要があるのでは、
と『遊☆戯☆王』は気付かせてくれたのだ。
本作はスタッフクレジットを見ると「立体3Dデザイナー」をはじめとした
3D立体映像に向けた新しい役職が複数設けられている。
実験的な要素が多く詰まった野心作といえるだろう。
また、上映時間は49分という短いものなので、
気軽に3D立体映像を体験できる。
今後のセル画調アニメの行く末を占う意味でも、
映画『劇場版 遊☆戯☆王 ~超融合!時空を越えた絆~』を見て損はない。

映画『劇場版 遊☆戯☆王 ~超融合!時空を越えた絆~』
http://www.yugioh10th.com/

◆柿崎俊道 (かきざきしゅんどう)
1976年生まれ。著書に『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヵ所巡り』、『Works of ゲド戦記』、『Kirari 痛車コレクション』など。Twitterは「syundow」、mixiは「柿崎俊道」で登録。

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2009.12.19
アニメ・映画 ]
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文:荒川直人(映画ライター)

 世界的なアニメの演出家として知られる押井守監督が8年ぶりに手がけた長編実写映画『アサルトガールズ』は、『アヴァロン』(01)の設定を踏襲して新たなゲームフィールドに戦いを挑んだ4人のプレイヤーの物語である。 『アヴァロン』では「すべての映画はアニメになる」と謳い、日本映画の枠を超えたデジタル映像の斬新さや、ポーランドで撮影してもなお強固な押井ワールドの世界観などが話題になったが、当時はまだオンラインゲームの認知度が低く、大半の観客にはどこか実感の乏しい題材でもあった。
 しかし、現在ではどうだろう。オンラインゲームで稼ぐ凄腕のプロゲーマーはリアルに実在し、「ネトゲ廃人」と呼ばれるゲームへ過度に熱中するプレイヤーの出現がニュースに躍ったこともある。より身近な例でも、ニンテンドーDSやPSPといった携帯ゲーム機のWi-Fi通信を使い、複数のプレイヤーが協力し合うパーティープレイの概念は、いまや当たり前である。カプコンのアクションゲーム『モンスターハンター』のブレイク以降、ゲーム機を手に喫茶店やファミレスに集う4人組の若者を見かけることが増え、それはすでに日常の1コマとさえ言える。
 となれば、ラスボス戦で煮詰まった4人のソロプレイヤーが一時的なパーティーを組むという本作の物語は、『モンハン』実写版と捉えるのが一番わかりやすいだろう。
 けれども、ここに登場するゲームは最近のオンラインゲームとは根本的に異なり、みんなで戦うことを基本とするコミュニケーションツールではなく、野望や欲望を満たす肉食系同士のガチンコ勝負という古典的なシステムを導入している。設定的な同時代性を手に入れながら、そうしたゲーム世代に共感を抱かせる構造を放棄しているのは、要するに監督の興味が最初から別のところにあるからだ。監督はオンラインゲームのもっともらしさよりも、戦う女優の存在感、それ一点に狙いを定めている。

 そもそも二時間弱という映画のフォーマットで描ける情報量は少なく、監督もかつて「ドラマ(キャラクター)を描くか、世界観を描くかの二者択一」と発言し、自身は積極的に「世界観」を選択する演出家だった。ところが、本作では「キャラクター」にカメラが向く。しかも主要な登場人物が三人の女優だなんて、まさかあの押井守が「萌え」に走るとはいったい誰が予想したであろう。趣味嗜好の違いはあるにせよ、『アサルトガールズ』とはそんな愉快な顔を内包する一作なのだ。
 さて、肝心の女優陣だが、若手の中でも特に活躍の目覚しい黒木メイサが演じるグレイに注目が集まるのは当然として、本作では意外なことに菊地凛子のルシファが大変魅力的で、『スカイ・クロラ The Sky Clawlers』(08)の声の出演からでは想像できないキュートさが印象に残る。(彼女の不思議な踊りを決定づけた川井憲次の音楽も素晴らしい)。
 サイレント時代の名女優リリアン・ギッシュの美しさに、思わずカメラがにじり寄って生まれたというクローズアップ誕生の逸話を持ち出すまでもなく、女優をカメラに収めたいという衝動こそが「映画」の原初的な力強さだ。それに加えて、銃や甲冑、爆発や格闘アクションなど、押井印のフェティッシュがたっぷりと詰め込まれ、いい意味で学生の撮った自主映画のような瑞々しさがある作品に仕上がった。もちろんそのディテールへのこだわりは、撮影の湯浅弘章、衣装の竹田団吾、VFXの佐藤敦紀ら、実力派スタッフによって支えられている点も見逃せない。

 ただ、キャラクターの内面に迫るドラマはほとんどなく、アクションも総量としてはあまり多くないため、過剰に期待しすぎても肩透かしに遭うだろう。本編が70分しかないのに相変わらずのダレ場はきっちり用意されているので、いつも通りの心構えは必要だ。
 果たしていいことなのか、そうでないのかわからないけれど、理性的な監督が生理的な映画を作りはじめたこの事実には、極論するなら従来の押井ワールドをリセットしてしまうほどの衝撃がある。本作で示された無邪気な演出家の想いは、この先どこへ向かうのだろうか。
 恍惚と不安、共に我にあり。

『アサルトガールズ』 http://assault-girls.nifty.com/

◆荒川直人
1965年、北海道生まれ。プロデューサー。CD「K-PLEASURE Kenji Kawai Best of Movies」で楽曲解説を執筆後、ライターとしても活動。mixiで5年ほど続けた極私的な映画レビューを、現在アメブロにて公開中。

「荒川直人の週末シネマ」 http://ameblo.jp/nippon1939/

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2009.12.12
アニメ・映画 ]
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文;氷川竜介(アニメ評論家)

 1年前には、こんな年になるとはまるで予想がつかなかった。だからアニメは面白い。2009年はSF・ロボットキャラの総決算年として、後世に記録されるはずだ。鉄腕アトム、マジンガーZ、マクロス、ボトムズ、エヴァンゲリオンとリメイク・続編がズラリ。鉄人28号、ガンダムも実寸大立像で参戦し、特撮世界からはウルトラマンと仮面ライダーが攻勢をかける。これにグレンラガン、エウレカセブンという21世紀作品の劇場版も加わった象徴的な年を、アニメ拡大の始まりであった宇宙戦艦ヤマトが復活して締めくくるというのは、あまりにも出来すぎだ。

 その文脈で『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の意義を考えると、役割は「変わらぬものの存在を示すこと」にあると言い切れる。攻防を繰りかえす激しい戦闘映像やヤマト発進シーンなど気分を盛りあげる音楽主体の演出、「決断力」が試される危機突破、あっと驚く敵側の逆転の仕掛けなど、映画の視聴覚的なエンターテインメントを追求した姿勢は、まさにホンモノ健在の風格を見せつける。映画興行に必要なスペクタクルのハッタリ感を情緒的に見せつけるという点では、近年まれで貴重な映像世界がそこに現出している。
 一方、精神性に強く依存したアナクロに見える部分や強いメッセージ性など、素直には受け入れがたい生硬な部分も同時に見てとれる。おそらく批判の声もあがるだろう。だが、どんな感想も再検討してみると、「ヤマトはもともとそういうものだった」「前に一度は抱いた感想だ」という結論に吸い込まれていく。この構造に気づいたとき、筆者は慄然としたのである。

 そもそも35年前、テレビシリーズ最初の『宇宙戦艦ヤマト』に反応した筆者らファンたちは、どこの誰かに頼まれたわけでもないのに声をかけあい、集い、ムーブメントを興していった。感想を語り合い、資料を保全しようと努力を重ねた。まだアニメ雑誌は創刊されておらず、街にコンビニエンスストアはなく、ネットも携帯電話もない時代、今から考えればお笑いぐさの文通などアナクロな手段を使い、どうなるか結果は分からないが、何かをしようと決断し、行動を起こしたのだ。そうでなければ自分の気に入った作品も時の中で忘れられ、大事なものが滅びそうな気がしたから……。動機はそれだけで、金銭も名誉も眼中になかった。それを保証するアニメマスコミ自体がないのだから、当然だ。
 運良くその熱い想いが1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開のときに社会的な現象にまで発展し、アニメ文化を作りあげた。だが、言い過ぎであることを承知で断言すれば、その後の展開はヤマトが開いた突破口の上にたった虚妄に過ぎないのではないのか。なのに気がつけば、アニメ文化がフルリセットされて急に消し飛ぶ可能性も想像できない声があふれ、小さい枠組みで「ビジネス」というゲームを縮小再生産することを正道とするプレイヤーが増えた。「復活篇」で描かれている、ブラックホールに飲みこまれて消えそうになる地球は、いま目の前にあるのだ。
 だがしかし、たとえ滅亡が眼前に迫っていたとしても、まだ何かやるべきことは確実にある。「地球に迫る危機をヤマトと乗組員が命がけで救う」という物語の趣旨は、変わっていないのだから。内容の良し悪し以前に、こうした不変のメッセージと意気込みを伝えてくれる作品の存在……それを文字通り「有り難い」と思える体験性こそが、2009年を締めくくる本作最大の価値ではないだろうか。

『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』 http://yamato2009.jp/

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アニメ・映画 ]
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「秩序ある興奮」がもたらす、爽快な大活劇

文;斉藤 守彦

 去年の年末、筆者の連載「特殊映像ラボラトリー」で、2008年のアニメ・特撮映画の総決算を試みたが、その際2008年春に公開された「ワンピース/エピソード・オブ・チョッパー+冬に咲く、奇跡の桜」を評して「この映画の興行収入は9億円だが、この9億円には値打ちがある」と書いた。つまり、シリーズを重ねていくことで、今後伸びる可能性を含んでいる、さらなるブレイクが予測される。そのことを示唆したかったのである。
 実際、最近の「ワンピース」は絶好調らしい。原作コミックも、累計1億7600万部を突破。TVシリーズの視聴率も毎週快調だと、先日の「アニメ!アニメ!」の記事に書かれていた。加えて12月12日から公開される新作映画「ONE PIECE FILM Strong World」の劇場前売りが、シリーズ新記録になる勢いだという。

 前作「エピソード・オブ・チョッパー…」は、その感動的な内容が注目を集めた。試写で見て、あまりにも泣ける話なので、再度シネコンで見た。すると場内には20代とおぼしき女性たちの姿が多く、上映前は「ルフィがねえ・・」「ゾロがいいのよお!」とか話していた彼女たちが、映画終了後、さめざめと泣いている。
 だから今度の映画版10周年記念作も、当然“感動”を全面に押し出した作風で来るかと思いきや、原作者・尾田栄一郎氏は、当初のプロットをボツにしてまで「感動より、興奮」を選んだという。今回は映画ストーリーに加え、製作総指揮・コスチューム&クリーチャー・デザインも手がけている原作者の姿勢からは、原作ファンのための「ワンピース」を創ろうという、強い意志が感じられる。単なる10周年記念映画に名前を出しただけではなさそうだ。

 アニメ映画版「ワンピース」を見ていると、映画を構成する3つの要素・・「ストーリー」「キャラクター」「世界観」が、原作のレベルで既にしっかりと構築されており、それらを映画としてどう表現するか。つまり作家性というか、監督の手腕や力量がはっきりと出る。ストーリーそのものは、ルフィと仲間たちが未知の島を訪れ、そこで敵と対決するというパターンが確立されていることから、演出としてはそのプロセスやシチュエーション、ディテイルをいかに見せて行き、最終的に観客の感情をどこに導くかが重要になってくる。この機会にシリーズの旧作を見直してみたが、中にはルフィたちと敵との対決の描写に力を入れるあまり、「ゴムゴムのー!!」「おのれぇぇぇ!!」の繰り返し。ハイテンションではあるけれど、バタバタしたシーンの連続になってしまい、見た後とんでもない疲労感に襲われる作品や、明らかにこの描写はやりすぎだろう。世界観に反するのでは?・・・と感じられる作品もあった。

 その点新作「STRONG WORLD」は、原作者自ら陣頭指揮をとったこともあり、ストーリーこそいつものパターンなれど、その語り口はきわめて丁寧。「興奮」を与えるために、アクション・シーンばかりをたたみ掛け、観客をどっと疲れさせるようなことをしない。変な言葉だが「秩序ある興奮」を呼び覚ますことに成功しているのだ。ストーリーをきっちりと語り、ひとりひとりのキャラクターに対して、ちゃんと見せ場を与える。もちろんワキを固める多彩なアニマル・キャラや敵キャラも原作者の構築した世界観に、しっかり乗っ取っていることは言うまでもない。
 いわば原作にあった魅力を再度抽出し、原作者自らその要素を点検。その上で、再度アニメ映画の中に投入するという、その試みは大成功と言えるだろう。ただし「STRONG WORLD」の“秩序ある興奮”が呼び覚ます爽快な面白さは、原作者の参加もさることながら、それらのオーダーに確実に対応し、1本の作品に結実させた、境宗久監督とスタッフの手腕の確かさ故だろう。
 「エピソード・オブ・チョッパー…」に涙した女子たちには悪いが、今回のワンピースは、男子優先。正月映画。これを見ずして何を見る。アクションに次ぐアクション。疾風怒濤の大活劇。男の子なら熱くなれ!!ナミの水着姿も、大盤振る舞いの大サービスだっ!!!

『ONE PIECE FILM Strong World』 http://www.onepiece-movie.com/

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2009.11.28
アニメ・映画 ]
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文;氷川竜介 (アニメ評論家)

 『攻殻機動隊S.A.C』、『精霊の守り人』と神山健治監督の送り出すアニメ作品に覚える好感度の所在——それが最近の監督の取材記事を読んで、ようやく腑におちた。「決してあきらめないこと」なのだ。神山監督自身、演出家になるため、またオリジナルのアニメ作品を世に送り出すため、断じてあきらめようとはしなかった。その成果としてTVシリーズ全11話と、その続編として公開される劇場版(全2部作)がある。当然、劇場パート1「The King of Eden」もまた、「あきらめない人たち」の物語なのである。
 とある理由でセレソン(=救世主)として抽出された12人の男女に、百億円がチャージされた「ノブレス携帯」が与えられる。その大金で日本を正しい方向へ導けるか否か。最初に達成できたと判定されたセレソンが「アガリ」になり、2位以下は抹消される。チャージを使いきってもダメ、私用もダメ。試されるのは知恵、求められるのは行動だ。支えるのはマネーパワー、手助けをするのは万能システム“ジュイス”だ。そしてセレソンのすべてを律するのは「ノブレス・オブリージュ=もてる者の義務」である……。
 このTVシリーズの基本設定に即し、最終回で主人公の滝沢朗はミサイル攻撃から日本を救って「この国の王様にしてくれ」とジュイスに願い、記憶を消して行方不明となった。劇場版は、そうやって不在になった主人公を探し求めるところから始まる。

 百億円とは、現代社会において実現可能な「魔法」のことだろう。ノブレス携帯の役割は「魔法のステッキ」で、ジュイスは魔法少女を導く「魔法の国の使者(ペット)」なのだ。そう考えると、描写が深められるセレソンたち(新登場あり)と各々チューンされたジュイスとの関係性が劇場版の大きなみどころになるのは自明と言えよう。
 TV版でも劇場版でも、滝沢は「記憶を失った」ところからスタートする。一般的に人格は記憶と同等・不可分なもので、行動を律すると思われている。百億円もの金を有していれば、なおのこと行動は記憶と金次第になるはずだ。ところがゼロスタートになった滝沢は、常にその時折の状況から周囲を把握し、最良の選択を行動としてとろうとする。決してあきらめずに。そこが彼が他のセレソン、あるいは「東のエデン」グループのメンバーとひと味違うところだ。重要なのは、滝沢が異分子として行動することで、誰もが彼に感化されて「あきらめない人たち」になっていくプロセスだ。波紋のように拡がり連鎖反応を、真摯だがユーモラスな行動の集積として描くところが『東のエデン』で最大の「お楽しみ」である。それは凝縮された時間を過ごす劇場での鑑賞によって、さらに際だつポイントである。
 TVシリーズを第1部とすれば、全3部作の第2部にあたる本作は、途中から始まり途中で終わり、映画の独立性を奪われる中間パートの宿命は逃れられていない。だが、それを補って余りある魅力とテーマ、メッセージの深化を見せる「決してあきらめない作品」なのである。

『東のエデン 劇場版Ⅰ The King of Eden』 http://juiz.jp/blog/

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2009.11.21
アニメ・映画 ]
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文;氷川竜介 (アニメ評論家)

 私がこよなく愛する映画の1本に片渕須直の初監督作品『アリーテ姫』がある。一見してファンタジーの枠組みにあるような設定や道具立てを用意しながら、想像力豊かな少女の前にすべては相対化され、作りこまれたディテールから驚くべき世の実相が浮き彫りになる。それと同種の驚きと、生きることへの勇気を与えてくれる片渕監督最新作が『マイマイ新子と千年の魔法』である。
 題名の「マイマイ」とは主人公の額にある2つめの「つむじ」のこと。麦畑に自分だけのキャラクターを重ね、直角に交わる水路に千年前のイリュージョンを見る新子の想像力の象徴である。物語は表層的には、「ガール・ミーツ・ガール」のかたちで進む。新子が暮らす自然豊かな山口県防府の田園風景。そこに父の仕事の都合で都会的な少女・貴伊子が転校してくる。母親を亡くしたこともあり、周囲にとけ込めないカルチャーギャップの生み出す騒動や、さまざまな問題を乗り越え、新子と2人で打ち解けることが主軸だ。こう紹介すると、ありがちな児童文学を想像するだろうが、問題は「千年の魔法」である。
 物語の時代設定は昭和30年――つまり50年前だ。その世界に対し、千年前の平安時代に暮らす女の子(実は清少納言)が、新子の想像力を媒介に、不思議なかたちで交錯して影響を与える。こう書くとファンタジー映画のようにも聞こえるが、しかしこの作品の姿勢はしっかりとしたリアリズムに根ざしたストイックなものだ。生活描写、時代の空気は、驚くべきディテールの点描で裏打ちされて「たしかにそこにあった」という実感がわいてくる。アカギレをした少女の頬、ゴツゴツになった少年の指先、ガスで動作する冷蔵庫、ラジオドラマに絵物語……。

 高度経済成長期にこれから入ろうとする直前、生活はまだ質素だったが、その分、人と人の関わりあいは濃密だった。ならばこれは人情優先のノスタルジー映画なのか。あるいはロケハンできれいな情景をすくい上げた疑似観光映画なのか。それも違う。50年前と千年前、どちらも過去に間違いはない。ではもう今は消えてなくなってしまったのか。自分とは関係はないのか。そんなことはない。千年前も50年前も等しく発掘を行うシーンが、それを裏付けている。
 こうした反射神経的な決めつけを排除するデリケートさが、最大のみどころだ。確かにそこに存在したものであれば、それは自分の一部であろう。そして、どちらの世界も美化されてはいない。生も死も、きれいなものも汚いものも、子どもの視点で等価におかれ、すべてがひとつに包みこまれていく。そう気づいたとき、ふたつの世界を橋渡しする魔法の意味が明らかになる。その魔法は時を越えて、現代の自分にも染みわたっていく。
 この心豊かな気持ちで充たされる奇跡は、アニメーション映画だけが可能とするものだ。真剣なまなざしで対象を見つめ、何を絵にするのか、抽象化するのか描きこむのか、そうした取捨選択が価値観にまで昇華した結果なのだ。アニメーションとして練りこんだ表現だからこそ可能となる奇跡の時間を、ぜひとも映画館で体感してほしい。

『マイマイ新子と千年の魔法』 http://www.mai-mai.jp/index.html

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2009.11.18
アニメ・映画 ]
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『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念
  りんたろう監督に聞く作品のみどころと最新作

文:氷川竜介(アニメ評論家)

"FORS"の高品位でクリアな映像と音声

FORES1.jpg 2009年11月27日に『幻魔大戦』のBlu-ray Discが発売される。1983年に角川映画が製作したアニメーション映画の第1作目にあたり、2年後の「月刊ニュータイプ」創刊から現在に続く角川書店発のアニメ文化にとって源流にあたる作品だ。滅亡のみを目的とする存在・幻魔の襲来によって地球全土が危機にさらされるという設定で、「ハルマゲドン」という言葉を流行させたという点でも後世に与えた影響は大きい。
 今回のBlu-ray化においては、映像・音声の修復のみならず、マスターのハイクオリティ映像を精密にディスク上に再現するため、キュー・テック社の開発したSUPER Hi-Quality BD Master Process "FORS system"が採用された。"FORS"(フォルス)とは"Faithful Original Sgnal"の略で、デジタルデータ伝送の基準となるクロック信号の高精度化を筆頭に、すべての伝送経路を見直し、デジタル信号をBlu-ray Disc上に再現する忠実度を向上したシステムである。

FRORS2.jpg 筆者もキュー・テック社において"FORS"の有無の比較テストに立ち会ってみた。デジタル信号伝送の効果をみるため、結果はあくまで主観的となるが、確かに高域の伸びが感じられ、楽器の音色の違いがはっきりと分離して感じられる。効果が顕著なのは公開時の2.0chドルビーサラウンドをデコードしたときで、5.1chにも劣らない良好なサラウンド感が得られて驚いた。
 本作はまた、日本を代表するアニメクリエイターりんたろう監督の代表作でもあり、監督の最新作『よなよなペンギン』は12月に公開が予定されている。再生品質が限りなく向上した『幻魔大戦』のBlu-ray Discをさらに深く楽しむため、りんたろう監督に当時の話や監督の中における位置づけ、そして『よなよなペンギン』につながるものをインタビューし、聞いてみた。

■ 『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー
■ 『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー


角川映画 http://www.kadokawa-pictures.co.jp/
『幻魔大戦』Blu-ray Disc 
http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/genmataisen/

価格:各5200円(税抜)各5460円(税込)
品番:DAXA-1132
映像特典:特報、予告編、スタッフ&キャストプロフィール 
封入特典:《初回出荷分 封入特典》フィルムブックマーク

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アニメ・映画 ]
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『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念
  りんたろう監督に聞く作品のみどころと最新作

『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー

文: 氷川竜介(アニメ評論家)

 僕が長編に入ったきっかけは『銀河鉄道999』(79)でしたが、自分の中で「今後こういうスタイルで作っていけるかな」と長編に腰を落ち着ける方向性を見つけたのは、『幻魔大戦』なんです。原作は角川文庫から出ていた平井和正さんの小説ですし、角川映画初のアニメーション映画ですから、それが一般の映画ファンにも認められるかどうか、角川春樹さんともども勝負に出たい。そんな想いで作った作品です。
 お話をいただいたとき、大友克洋という新しい才能をキャラクターデザインとしてぜひ入れたいと、すぐに思い浮かびました。彼の絵はリアルと言われてますが、独特の線でデフォルメされているんです。その独特の線のシャープさをアニメーターが引ければ、新しいスタイルが獲得できるはずだと、そこにすべての勝負がかかってました。

GENMA1.jpg 作画監督の野田卓雄さんも相当苦労してましたが、なかむらたかし、森本晃司、梅津泰臣という若い大友ファンがいっぱい参加し、大友克洋の持っているエッセンスをうまく踏襲してくれて、当時としてはベストの出来だったと思いますね。大友さん本人も自転車で阿佐ヶ谷のスタジオに通い、漫画家はアシスタントをのぞけば孤立した一人の作業ですから、みんなでワイワイやったのが楽しかったらしいですね。そういう意味では大友さんもアニメにどっぷり浸かっていくきっかけになったと思います。
 クライマックスの富士山では、思いきって永井荷風をカリカチュアして出してみるという突拍子もないアイデアに加え、火焔竜というアニメならではの絵の面白さをメタモルフォーゼ表現で追求しててみたわけです。僕には(葛飾)北斎のイメージがあったんですね。それもとにスペシャルアニメーションでクレジットされている金田伊功くんと話をして、もっとデフォルメを加えて独特の炎にしていく。そのうちに、ご存知のような竜のかたちになっていったわけです。
 実は『よなよなペンギン』にも竜が出てくるので、「僕は竜が好きなんだなあ」って思いました(笑)。それぐらいよく出てきますね。

 音楽に関しては、鼓童の和太鼓は最初から使うつもりでしたが、全体は『銀河鉄道999』の青木望さんの音楽で行こうと思ってたんです。角川春樹さんは僕と同じで映画にどう音楽をつけるか、ものすごく興味のある人で、周りにはものすごくキレるブレーンもそろってましたから、そういう人たちとワイワイやってくうちに「キース・エマーソンはどうだ?」という話が突然出たんです。僕も大好きなミュージシャンですが、これまでにない発想に驚きましたね。
 ただ、スケジュール的に全曲は無理だったのでポイントだけお願いして、あとは青木さんの曲を僕のほうでうまくコントロールして使うことにしました。彼はイギリスから六本木にあった日活スタジオセンターにマシンを何台か持ちこんで、そこに滞在して作曲してました。「とにかく監督は来てくれ」と言われたから、マンツーマンでつきっきりです。朝から裸になってワイン飲みながらラッシュを観て、シンセサイザーを弾きっぱなし。音を作るたびに「どうだ?」って訊かれるんですが、多重録音ですから後から重ねるわけです。最初のベース音だけ聞いても分かるわけがない(笑)。

 その間、僕はスタジオに画素材を持ってきてもらって、そこでチェックしてましたね。彼もアニメーションは初めてで熱心でしたし、やはりプロとしてものすごい柔軟性をみせるんです。仕上がってきたときに「もう少しここをこうしたら」と言うと応えてくれるし、「終わった!」と言いつつ、すぐまたやり直したり。「この音が足りない!」って分かると、どこからか音源を仕入れてきてまたそれを重ねるとか。ほとんど24時間働きっぱなしでした。「これが好きなんだよ」って言ってましたし、あんなに働いたミュージシャンは初めてで、面白い仕事ができましたね。
 ものすごくきれいな曲ですから、その原音がちゃんと出るのはいいですね。

GENMA2.jpg 美術監督の椋尾篁の表現力は、本当にすごいですよね。この映画は美輪明宏が出てくるようなアートっぽい感じをねらい、何か新しい表現を模索してましたが、椋尾美術にはどこか常にアウトサイダー的というか、アヴァンギャルド的なところがあるんです。そこが僕は大好きで、「もっとこうしちゃえ!」と、けしかけてましたね。ただ、僕はイメージは言いますけど、あまり色のことなどは言わないんです。椋尾さんもムサビ(武蔵野美術大学)を出てるので、「黒は黒で使うな」なんて必ず何色か混ぜて黒にするような教育を受けているわけです。でも僕にとっては映画の色なので、「純粋な黒にしてほしい」と思うので、初めての作品ではかなりぶつかったんです。そういうコミュニケーションを通じて、美術監督が何を考えてるのか初めて理解するようになったんです。

GENMA3.jpg ある監督に「最近のアニメはリアルすぎてつまらない」と言ったら、「それはりんさんが始めたことでしょ」って言い返されたんですよ。「いや、吉祥寺や新宿の街が出たのは、この作品向けにスタイル作っただけなんだよ」って言っても、「それは理由になりません」なんて、すっかり悪者にされてますね(笑)。
 それまでのいろんなテレビアニメで、家は家みたいに記号化されていたのがずっと気になってたんです。『幻魔大戦』では「観客にリアリティを感じさせたいなら、それじゃダメだ」と、シナリオで「ある街」としか書いてないのに、「自分が住んでる吉祥寺にしよう」とか「新宿の高層ビルを墓標のように見せよう」と考えました。
 大友くんとキャラクターを作っていくときにも、「りんさん、このキャラクターはどういう靴を履くのかな」とか「セーター着るときはニットを首にかけるのかな」とか「シャツはボタンダウンかなあ」とか会話しながら、全部詰めていったんです。そういうディテールでキャラクターにリアリティ、存在感を出す。そこも面白かったですね。
 どこかで長年、何か自分の中に物足りなさを感じてたんですね。「このキャラクターなら、こんな家には住まないだろう」とか「このイスには座らないだろう」っていうことを、思いきってここで推し進めた。それがやがて、ひとつのスタンダードになったんだと思いますね。

■ 『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー
■ "FORS"の高品位でクリアな映像と音声

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『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念
  りんたろう監督に聞く作品のみどころと最新作

『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー

文: 氷川竜介(アニメ評論家)

GENMA KANTOKU1.jpg 僕の演出は『鉄腕アトム』から始まってて、当時20代で手塚治虫さんの原作を好き勝手に食い散らかしてました。でも、自分の中では「手塚治虫の作品を自分なりにちゃんとできてたんだろうか」って、忸怩たるものがずっとあったわけです。そんな思いのたけを全部入れた作品が『メトロポリス』(01)です。あれが終わったとき、僕の中では「2Dでやることは、もうないな」となっちゃったんですね。
 あの作品でもCGを使ってますが、フルCGには興味なかったんです。ところが絵本としてやる予定で『よなよなペンギン』を企画していたら、丸山正雄(マッドハウス・プロデューサー)が「これはフルCGでやろうよ」と目から鱗が落ちるようなことを突然言い出したわけです。僕も否定せずに、「待てよ、もし自分がフルCGをやったら、どういう新しい可能性があるのかな」と、その言葉を受け止めました。

yonapen2.jpg それならピクサーみたいな方向性ではなく、もっと日本人のテイストにしたい。そんなモヤモヤしたものが少しずつ形になっていきました。「僕らがコンピュータの方へ行かずに、逆に2Dアニメーションへ強引に引き寄せよう」ということです。フルCGはキーフレームを打てば間はきれいに動くものですが、あえて2コマ撮り3コマ撮りにしたり、ワイヤーフレームで作ったものをスライディングでフレームインさせる。そんな強引なことをやりました。無謀きわまりない発想ですね。
 その試みは成功して、まったく新しいことができた、日本のフルCGに一石を投じられたと思ってますから、やってよかったと思います。
 シーンによっては背景に120レイヤーぐらい重ね、かなり大変なこともやってます。アメリカならもっと合理的に作るはずです。彼らは常にキャラクター優先で、背景も記号化されてますよね。今回は背景にも情感を入れましたし、やはり日本じゃないとできない表現だと思います。日本のアニメは貧乏なところから始まり、そこで切磋琢磨してノウハウを溜めてきました。それは世界中見渡しても日本しかできないすごい表現の財産だと、僕は思ってるんですね。

 コンピュータだと、キャラクターがどんなに面白く動いても、どこかに冷たさが漂ってる気がして、それが気になってました。絵でいえばクレバスで描いたような、温かみのある手塗りみたいなものが欲しかったんです。だから美術も大変になったし、洋服の質感にしても、本当にスタッフは大変だったと思います。
 全体のねらいは、やはり「動く絵本」ですね。イメージはきちっと伝えながら、馬群(美保子)さんという美術監督の感性にお任せしました。馬篭さんの持ち味はディティールで、描き方は点描画に近いんです。絵筆をすこしずつ動かしながら色をいくつも重ねていく。その繊細な色合いをコンピュータで出すのも難しくて、その苦労は並大抵ではなかったはずです。僕はできるだけ知らんぷりしてましたけど(笑)。その大変な美術監督の質感をコンポジットもうまくやってくれましたね。

yonapen1.jpg いつも自分の作品には、どこかダークな部分がないとモチベーションが成り立たないんです。そのダークな部分と可愛いらしさが同時に欲しいということで、キャラクターは寺田克也くん以外に考えられませんでした。あの寺田キャラををモデルにしたスタッフも大変でした。あのほっぺたの感じなどは、CGが一番苦手とするものですからね。いい感じで彼の絵がCGになってます。
 その辺は本当にすべてがうまくかみ合ったなって想います。そうそうないですよね。こうしたがんばりは、はっきり画面に出てパワーになって出ています。無謀な試みでしたが、「ここまでできれば、怖いものなしだ」と、次がもっと楽しみになりました。

 『よなよなペンギン』が子ども向けを意識したかどうか、自分の中ではよく分かりません。たとえ子ども向けに見えたとしても、どこかひそかに大人へ向けて作ってるところはあります。作品の中には、今の社会状況を反映したものがいっさい入ってませんし、時代のアクチュアリティーは、まったくありません。ただ、今の子どもたちにダブらせた部分はあります。子どもにとってのこの時代は世界中が息苦しくて、酸欠状態だと思うんです。そういう時代にも、子どもたちの中には心の可愛らしさみたいなものが本来あるはずだから、そこに触れればと。それを感じとってくれればなと思います。
画像: (c)2009 りんたろう・マッドハウス/「よなよなペンギン」フィルムパートナーズ・DFP

■ 『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー

《りんたろう監督からのメッセージ》

『幻魔大戦』
 今は日本のアニメーションは長編が主流になってきてますが、そのさきがけということを、どこか意識して観てほしいです。もちろん26年前の作品ですから、技術などいろんなところで古さはあると思いますが、「こういうスタイルにした」という当時の想いをどこかで意識して観てもらったら、僕としてはうれしいです。

『よなよなペンギン』
 まったく誰も見たことない、日本ならではのフルCGという領域に挑戦し、一石を投じた作品です。余計なことはいっさい考えず、シンプルに観てもらうとうれしいですね。

(一部敬称略/2009年10月25日 秋葉原UDXシアターにて)

『よなよなペンギン』 http://yonapen.jp/index.html
12/23(水・祝) 全国ロードショー
配給:松竹

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(c)2009 りんたろう・マッドハウス/「よなよなペンギン」フィルムパートナーズ・DFP

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2009.06.05
アニメ・映画 ]
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注目すべきプロモーションアニメの新トレンド
    『無限航路』に見るゲームとアニメの相乗効果

文:氷川竜介(アニメ評論家)

 アニメは何もTVや劇場映画だけではない。意外なところに要注目のハイクオリティアニメが存在していて、にもわらず肝心のアニメファンに知られていないケースもある。ここではその一例としてニンテンドーDS用ゲーム『無限航路』(製作:セガ/2009年6月11日発売予定)のプロモーション用短編アニメーション『無限航路 Animated short film』を紹介してみたい。
 映像の世界には以前からPVというジャンルがあり、音楽や玩具の宣伝用にアニメが作られることがあった。たとえばメロディーや歌詞だけでは伝えきれない世界観やイメージをビジュアルで触発させたり、ロボットや魔法少女が玩具そのままではなく現実ように活躍するところを描いたり。訴えたい要素をビジュアル化してユーザーにぶつけるアニメは、いろんな事例があった。
 ところが、ゲームだけは少し事情が違うように思う。売れ筋ゲーム作品をマルチメディア的にTVシリーズとしてアニメ化する例はあっても、新作に対して「ゲームの世界観を伝えるためのプロモーションアニメ」となると珍しい。『無限航路』はその希有な事例に該当する。しかも意外と言っては失礼だが、スタッフもキャストも実に豪華で、映像のクオリティもかなりのものなのである。

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      (c)SEGA

 アニメーション制作を担当するプロダクションは、GONZOとProduction I.G。アニメファンなら知らない人はいないほどの超有名ブランドである。そして監督は、ソエジマヤスフミ。デジタル系のディレクターでは非常に著名で、NHKで放送されたオムニバスアニメ『アニ・クリ15』(アニメクリエイター15人を選抜した1分の短編)でも『火男(ヒョットコ)』という斬新な映像で注目された。スタッフとしても、『巌窟王』(デジタルディレクター)、『ケメコデラックス!』(3DCGI)、『リストランテ・パラディーゾ』(アートディレクター)など目に焼きついて離れないような映像を提供、特にキーになる表現を美術的なデジタル技法で印象づけている。
 アニメ用のキャラクターデザインは、『ケロロ軍曹』や『カレイドスター』の追崎史敏が担当。とりわけアニメファンに注目してほしいのは、ゲームの鍵となる戦艦のデザイナーとして起用された面々である。大久保淳二(出雲重機)、新貝田鉄也郎、寺岡賢司、時代みつる、宮武一貴、村田護郎、山口 恭史、鷲尾直広といった当代随一のメカデザイナーが総結集しているのだ。これだけのメンバーがそろうのは壮観で、その戦艦の一部はアニメにも登場してくる。
 キャストもまたゴージャスだ。宇宙を目ざす少年ユーリ役を演じるのは朴璐美、彼を宇宙へ導く美女トスカ・ジッタリンダは塩山由佳、ユーリの妹チェルシーは新谷良子と注目声優が結集。加えて大海賊ヴァランタイン役の銀河万丈を筆頭に、茶風林、榊原良子、立木文彦といった渋いベテランが作品を固めている。
 加えてアニメ用の音楽は『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日-』の天野正道が担当。演奏は東京交響楽団で、荘厳かつ重厚なクラシック調なものが流れるのだから、実にたまらない。

『無限航路』に見るゲームとアニメの相乗効果 (2)に続く

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         (c)SEGA

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注目すべきプロモーションアニメの新トレンド
    『無限航路』に見るゲームとアニメの相乗効果

文:氷川竜介(アニメ評論家)

 プロモーションアニメは全4部に分かれ、物語的には「これぞまさしくスペースオペラの王道」とでも言うべき大河SFのイントロダクション部分を描いている。人類が銀河にあまねく拡がったはるかな未来、銀河の辺境惑星で暮らすユーリ少年が抱く宇宙へのあこがれから、この壮大なストーリーは幕をあける。
 妖艶な美女トスカに導かれ、「自分の宇宙船をもつ」という思わぬかたちで始まった冒険の旅は、やがて未知なる星の大海へと続いていく。多くの人との出会いや別れ、宇宙艦隊戦や理不尽な支配者との肉弾戦など、多彩な激闘の経験を通じて、ユーリと妹チェルシーは宇宙を変革させる謎の力『エピタフ』にまつわる自身の運命に気づいていく……。
 希望を乗せてドックから発進していくユーリの宇宙戦艦。漏斗のような超空間を通過する独特の宇宙航行手段の表現。居並ぶ戦艦から艦載機が次々と発進し、艦砲射撃が交わる宇宙海戦。そして剣と剣の戦いや宇宙海賊まで登場する、多彩で波瀾万丈なアニメーションのアクション映像は、スペースオペラ的な醍醐味で充満している。
 技術的には2Dと3Dをハイブリッド化した最先端なもので、特に「光」と「色彩」を活かしたデジタルエフェクトは、ソエジマ監督らしいカラフルで豪華絢爛なものとなっている。宇宙の深淵へと旅立つ少年ユーリの冒険譚は、プロモーション終盤、ゲームではさらに後半へと続くはずの青年編での片鱗が入ることで、「宇宙の謎」に迫る壮大なロマンに成長物語の要素が加わることも予感させてくれる。
 こんな風に、短い時間ではありながら、想像力を存分にかきたてる要素をぎゅっと圧縮したアニメ映像なのである。

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      (c)SEGA

 高クオリティなアニメ映像の余韻の中で、ふと我に返って疑問に思うのは、「なぜこの作品ではアニメがプロモーション手段として選ばれたのか?」ということだ。
 これはなかなか興味深く考察可能なものである。まずゲーム媒体がDSという携帯機であること、ボイスも併用しているが、大半はテキストベースで語られる「宇宙創生の秘密」など銀河系レベルの巨大サイズの物語であること。つまり、「想像力喚起」を鍵とするゲームであることが、最大の理由であろう。つまり、ゲームの奥深くに内包されている雄大なイマジネーションの濃縮されたエッセンスを、前面に引き出しイマジネーションを喚起する触媒として、アニメという表現が選ばれたということではないだろうか。
 その文脈で次に注目すべきは、このゲームのジャンルが「RPG」だということだ。「ロール・プレイング」とは想像力を使って「役になりきる」ことが肝要である。そのためのチュートリアル的にアニメが機能するという見方もできるだろう。
 そして最後に強調したいのは、「宇宙戦艦もの」と「アニメ」の強い親和性だ。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などファンタジーRPGが「剣と魔法の世界」を描き、アイテムをゲットしてパーティーキャラを成長させるのに対し、『無限航路』では「スペースオペラの世界」を描き、「艦隊と戦艦」がキャラに代わる役割をはたす。モンスターとのバトルは艦隊戦に置き換わり、戦艦を組み立てて装備を厚くして成長させつつ、最後の大ボスに向かって旅を続けていくのが、このゲームの楽しみどころだ。
 あそこまで充実した宇宙戦艦デザイナーがそろったのは、そのカスタマイズのためである。そう……これはまさに『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河英雄伝説』のファン向け、戦艦バトルのあるスペースオペラの世界をRPGに置きかえたものと言える。かつて宇宙アニメにハマった世代には直撃と言えるゲームであるし、しかもその戦艦を「自分色」に染めながら銀河の旅を進めていけるというのは、一種の「夢の実現」とも言える。

 このように考えてみれば、プロモーションアニメを手がかりに総合的な世界観をプレイ前にまず脳内にたたきこみ、それを「想像力の触媒」にしつつゲームを楽しむという方法論は、非常に理にかなった遊び方だと思えてくる。もともとアニメもRPGも想像力に訴えかけるメディアだからこそ、その相乗効果にはおおいに期待できるものがある。
 ハード機器が高度に発達したからと言って、何もゲームすべてが重厚長大なにならなくてもいいだろう。DSなどのモバイル的な小型ゲームが見直されつつある昨今、壮大な「宇宙創生のロマン」などという巨大なイマジネーションを、「アニメ映像+テキスト+RPG」で喚起させるのは、非常にアリだと思う。
 こうしたメディアのクロスオーバーに、何かまだ充分に試されていない可能性、大きな鉱脈が秘められている気がする。ゲームとアニメの響きあいから、さらなる次世代の作品の発展もあるかもしれない。今後の展開に、要注目であろう。

 興味をもたれた方は、まずネットで公開中のアニメ版からご覧になってはいかがだろうか。そこから思ってもみなかった、壮大な銀河宇宙への旅立ちが始まるかもしれないのだから……。

『無限航路』に見るゲームとアニメの相乗効果 (1)に戻る

『無限航路』 公式サイト http://mugen.sega.jp/

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      (c)SEGA


「無限航路 Animated short film」

【メインスタッフ】
   
監督: ソエジマヤスフミ
アニメーションキャラクターデザイン: 追崎史敏

美術監督: 西野隆世(株式会社バンブー)
      竹田悠介(株式会社バンブー)
デザインワークス: 土屋亮真 
3D監督: 磯部兼士
       金子友昭
色彩設計: 内林裕美
撮影監督: 北村直樹
編集: 堀内隆

作曲・ 指揮:天野正道
演奏: 東京交響楽団

制作: GONZO / Production I.G

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2008.07.28
アニメ・映画 ]
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 なんとも奇妙に歪んだ作品、『崖の上のポニョ』を最初に観た感想だ。1時間41分の物語は、映画が本来必要とするフォーマットをことごとく逸脱しているからだ。
 ないない尽くしと言っていいだろう。物語は山場らしい山場がなく、絶えずゆるゆると次の場面へつながって行く。登場人物同士が持つ感情的な相克もなく、故に人間ドラマとは無関係だ。彼らは異形の存在である「ポニョ」をごく自然に受け入れる。疑問や疑念、議論の余地はない。魚の子「ポニョ」がいる。その子が人間になりたがっている。それが全てだ。

 最も奇妙なのは物語の中で起こる多くの物事に対して、ほとんど何も説明がされていないことだ。「ポニョはなぜ人間になりたいと思ったのか?」、「ポニョの父フジモトは、なぜ人間を止めたのか? どうやって人間を止めたのか?」、「月はなぜ地球に近づいてきたのか?」、これはほんの一部で数え出したらきりがないほど謎だらけだ。
 物語の説明をしないのは、宮崎監督の最近の数作品に共通する特徴でもある。例えば、「『ハウルの動く城』のハウルはなぜ、誰と戦っていたのか?」、「『もののけ姫』のアシタカにかけられた呪いは結局どうなったのか?」など、物語の重要な部分がしばしば説明されずに欠落している。

 これは宮崎監督が、物語の語り手として未成熟なわけでない。説明の欠落は、監督がこうしたこと説明する必要をあまり感じてないためである。つまり、監督にとって物語は、普通の意味で完成されている必要はないようだ。
 宮崎監督が既存の映画フォーマットを無視するのは、確信犯的である。実際に、宮崎監督は今回、エンディングクレジットにおいて、全ての関係者の肩書きを外し、アイウエオ順に並べたことをこれまでになかったことと誇らしげに紹介した。画期的であるが、映画のクレジットを資料として利用する人にとってはやや困った状態だろう。
 そうした行動には、監督の現在の映画の演出に共通する約束事への疑念があるのでないだろうか。

 ここで誤解されると困るのは、こうした常識外れの『崖の上のポニョ』が、面白くない作品だと思われることである。映画が映画で在りえるための様々な条件が失われているにも関わらず、『崖の上のポニョ』はむしろとても興味深いし、考えさせることが多い。子供たちにとっては楽しい作品だろう。
 であれば、『崖の上のポニョ』は、これまで映画が楽しくあるべきために必要とされてきたフォーマットが、本当に必要なのか?正しいのかを問いかけている。

 映画であれテレビ番組であれ、あるいは小説や絵画、音楽でもいい、それらが名作となりうるのは、他者とは異なる際立った個性が立ち上がって来る時だ。
 つまり、端正な作品は、良作になりえても、名作にはなりえない。むしろ、名作は常識破りの行動が、既存のフォーマットの美しさを打ち破った時にうまれるのでないだろうか。

 おそらくそれが、多くの映画ファンが、現在のハリウッドの大作エンタテイメント映画に対する違和感の源にある。そうした作品がエンタテイメントとしての面白さほどは心に残らないのも、ここに理由があるのかもしれない。
 確かに完成度は高く、面白い。しかし、計算し尽くされているが故に、何か同じ様な印象ばかりが残る。そして、あまりにも整然としていてひっかかりがないため、するりと抜けて行ってしまう。観客は映画に満足しながらも、関心は既に次の最新作に移っている。

 例えばディズニーやピクサーのアニメーションは、隙間なく計算し尽された完成度が高い。新作を観るたびにその出来に驚かされる。それはいわば、真円の真珠の魅力である。どこから見ても一様に素晴らしい。
 一方で、物語に歪みと隙間をあえて作りだす『崖の上のポニョ』は、バロック真珠の魅力でないだろうか。バロック真珠の魅力は、予想のつかない独特の歪みであり、観る方向、観る人によって異なって映る美しさである。そして、ほかに同様なものがない故に際立った存在でもあるのだ。
[数土直志]

崖の上のポニョ 公式サイト http://www.ghibli.jp/ponyo/

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2007.07.30
アニメ・映画 ]
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byミルミル

[編注]
このレビューに中には『河童のクゥと夏休み』のラストシーンへの言及があります。映画未見のかたは、その点をご了解のうえお読みください。


7月28日、「河童のクゥと夏休み」が公開になった。
「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」などで知られる原恵一監督期待の新作とあって、観客は親子連れの他、カップルや1人で訪れるアニメファンも多かった。

驚いたのは、この2時間18分という長丁場で子供たちが飽きないことである。シリアスな展開になる東京タワー前まで、しばしば場内には子供たちの笑い声が響いた。
さすがしんちゃんで子供たちの呼吸をつかむのが上手い原監督ならではである。

平和な家庭に突然客が訪れ、てんやわんやになる、という設定は昔からよくある。宇宙人あり、恐竜あり、デジモンあり、平安町の貴族の子供あり。それら珍客の中で際立った印象を残すのが、主人公のクゥの礼儀正しさだ。
ちょっと耳に懐かしいなまり言葉で、きちんと膝をつき手をつき、何度も「おまえ様たちには世話になった」と頭を下げる。ほんとはTVに出たくなんかないのに、「困ってるんだな。おれのことでこれ以上迷惑はかけられねえ」と承諾する。
礼儀正しく、そしてけなげだ。

不思議なことに、膝をついて挨拶をされると、される側も膝をついて同じく頭を下げる。礼儀正しさは相手からも礼儀正しさを引き出す。
河童の子供はそれができるのに、人間の側は携帯カメラを向けるばかり。犬の「おっさん」が車にはねられても、誰も助けようとせず、取り囲んで携帯で撮影を続ける無神経さが逆に生々しい。

クゥの物語には、世界の存亡にかかわる秘密はなく、戦うべき敵も存在せず、都市が破壊されるようなダイナミックなシーンもない。
ただひと夏、河童の子供が家に来て、そして別れが訪れる。それだけのこと。
それだけなのに、何度も何度も涙がこぼれるのは、クゥの心がまっすぐ観るものの心を打つからだ。悲しみも喜びも飾り気なく、大きな黒い目が涙を浮かべるごとにこちらも涙があふれてくる。

映画を観た子供たちにお願いしたい。
うっかり道で何かを拾ったら…子猫でも宇宙人でも河童でも、家に招きいれた以上は守る責任があることを知って欲しい。
あなたの家を訪れた客は、あなたの客、広い世界の中で、あなたの家を選んで訪れた客なのだ。おろそかにせず、せいいっぱいもてなして欲しい。
そしてもし自分が客の立場になったら、クゥの礼儀正しさを思い出して、「お世話になります」「ありがとうございます」と挨拶しよう。
今の日本が失ったものが、河童の住める自然だけでなく、古式ゆかしい立ち振る舞いだなんて言われるのは恥ずかしい。

最後、新天地やんばるに移ったクゥは、川の中で再び頭を下げる。
「この土地の神様。おらが生きていけるだけの魚を捕ることを許してください」
そしていつか、仲間の河童を探す旅に出ようと決意する。
今は別れた、康一一家に会うことを夢みる。
「…父ちゃん、おら、人間の友達ができた…」
オトナ帝国に涙した大人の皆さん、ぜひぜひ、小さなお子さんと見にいって欲しい。
クゥといっしょに、笑って涙すること請け合いである。

ラスト 沖縄のキジムナーとクゥの会話。
「お世話になります。キジムナーさん」
「おれのことは…そうだな、「おっさん」と呼んでくれ」
ここでまた泣いてしまったあなた、きっと私と心が通じています。
「おっさん」、かっこよかった…。

河童のクゥと夏休み
公式サイト http://www.kappa-coo.com/

著者の紹介 ミルミル
カードからドール、セル画、アンティークまで幅広い知識も持ち、日々コレションを続けている。また、おたく分野の株式投資を得意としており、著書「萌える株式投資」(ベストセラーズ)ほか、雑誌記事の掲載も多数ある。趣味で作る同人誌も人気が高い。

ミルミルのオタクな株式投資blog  http://blog.livedoor.jp/mujinakko_2009/

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2007.07.15
アニメ・映画 ]
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byミルミル

 7月14日 ポケモン映画10周年となる「ディアルガVSパルキアVSダークライ」が封切られた。
 いち早くダークライが欲しかったミルミル、朝一番有楽町の映画館に出動、朝8時半というのに場内は満席、入れない家族が子供をなだめる姿さえあった。

 今回の映画の目玉は、何といってもスクリーンから、ニンテンドーDSのソフトに、「ダークライ」が配信されるということ。どの時点で配信されるのかと思ったら、随時行われていて、上映前でも、上映後でも(理論上は上映中も)受け取り可能であった。
 もう劇場内に入ると、子供たちの歓声でいっぱい。「来た! ダークライだ!」「うおー、すげー!」振り返ると、DSを見つめる子供たちの目が輝いている。今回のプロモーションは大成功だ、とその表情が語っていた。(ちなみにミルミルのダークライはせっかちな性格だった)。

 今回のポケモンはスペインを彷彿とさせるアラモスタウンが舞台。そして時空の彼方で戦いを始めたディアルガVSパルキアの影響が影を落とす。
 ディアルガもパルキアもいわばポケモンのボスキャラで、通常のポケモンとは違い人外の存在である。時間を支配するディアルガ、空間を支配するパルキア、その戦いの影響は天災のレベルで、人にはどうしようもない。

 しかしアラモスタウンのダークライは…

 今回の映画の主役、ダークライはまさにヒーローだった。
 その姿、能力から人に忌み嫌われたダークライは、しかし自分を受け入れてくれた少女(と、その子孫であるヒロイン)のため、神の名を持つポケモン2体に戦いを挑む。
 街を守っているにも関わらず誤解され、街の住民から攻撃を受け、にも関わらず、孤独な戦いを続けるダークライ。あまりにもかっこよすぎ!
 イメージはハリウッド映画の代表、バットマンとか、スパイダーマンに近い、といえばお分かりだろうか。
 神々の戦いの影響で、異次元に消滅しようとするアラモスタウン。そこに響き渡るオラシオンの音色…変形する時空の塔の美しいイメージ。

 ポケモンは子供向け映画であるので、ストーリー上のルールがある。
 それは完全な悪役が存在しないこと(野望を持つ人間は出てくるが、他者を苦しめて喜ぶタイプは出てこない。またポケモンも他のポケモンを支配し、傷つけることを喜ぶものはいない)。今回ディアルガとパルキアは戦うが、それは「出会うべきではなかった者が出会ったため」のアクシデントである、と冒頭、説明される。彼らは出会いがしらに戦い始めたが、それで世界を滅ぼそうとしたわけではない。
 それぞれのキャラは人もポケモンも、自分にできることを一生懸命行う。一方的に守られるだけ、ヒーローの活躍に期待するだけ、ではなく、それぞれできることをがんばっている。
 とはいえ、今回の主役、ダークライのかっこよさは突きぬけているのだが…
 ラスト、神々の戦いに巻き込まれて消滅したダークライを悼み、涙する登場人物たち、しかし、夕日映す山の斜面を見ると…この先は言うまい。
 
 今回、初日だったこともあり、舞台挨拶を見る機会にも恵まれた。
 湯山監督、10年連続参加の山寺宏一氏、ダークライの声をあて俳優石坂浩二氏を始め、そうそうたるメンバーが並び、ファンの喝采を浴びていた。
 しょこたんこと、中川翔子さんが「10年前、私は小学生で映画館でポケモンを見ていました。サトシといっしょに旅がしたい、ポケモンの住むあの世界に行ってみたいと願っていたのが、こういう形でかなって夢みたいです」と言うのを聞き、ああ、ポケモンは10年続いたのだな、と改めて10年の重みを感じたり。
 きっとこの先また10年続くのだろうけど、とりあえずラストに恒例の次回予告。
 チラッと出てきたあの姿はレジギガス、ということは…
 次回の舞台はキッサキ神殿? 
 
 オマケ情報:入場プレゼントはキラキラ光るダークライのポケモンカード! DSがなくてもダークライをゲットできる。忘れずに受け取ろう。

ポケモン映画公式サイト「ディアルガVSパルキアVSダークライ」
http://www.pokemon-movie.jp/

著者の紹介 ミルミル
カードからドール、セル画、アンティークまで幅広い知識も持ち、日々コレションを続けている。また、おたく分野の株式投資を得意としており、著書「萌える株式投資」(ベストセラーズ)ほか、雑誌記事の掲載も多数ある。趣味で作る同人誌も人気が高い。

ミルミルのオタクな株式投資blog  http://blog.livedoor.jp/mujinakko_2009/

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2006.04.09
アニメ・映画 ]
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 押井守監督の新作映画『立喰師列伝』の劇場公開が、4月8日から始まった。公開を喜ぶと同時に、僕は映画『立喰師列伝』の微妙なポジションに少しばかり心配を感じる。この映画を観ない多くの人が、この映画を誤解するかもしれないという不安である。
 低予算映画、押井守独自の戦後史の読み直し、親しい友人を登場させた私的な空間といったものが、この作品にマイナーで難しいものというイメージを与えるからだ。
 しかし、実際の映画『立喰師列伝』は「普通に面白いエンタテイメント作品」である。深く考えることなく映画館の座席に座って楽しい時間を過ごす作品なのだ。

 これまでの押井守監督の作品は、観ることに忍耐を要求し、その忍耐のうえに世界が開けるといったものが少なくない。あるいは、観る者に物を考えることを要求する作品といっても良いだろう。
 例えば『うる星やつら2ビューティフルドリーマー』では、夢と現実の違いを観る者に直接問いかけていたし、『攻殻機動隊』では草薙素子というキャラクターを通して、自我とは、自己の存在は何かを問いかけ続けていた。
 最新作の『イノセンス』に至っては、全編がキャラクター同士の問いかけから成り立っていた。そして、こうした思考の機動装置としての役割が、これまでの押井作品の魅力でもあった。

 しかし、『立喰師列伝』にはこれまでの作品と違い、執拗な問いかけが存在しない。作品世界を作り上げている虚構の戦後史といったなかに、現実と非現実の曖昧さや虚と実の違いという押井守のこれまで多く見られたテーマは存在している。
 あるいは、月見の銀二が言うそばの中の景色論やフランクフルトの辰の自己との対話などにそうした残滓をみることも出来る。ところが、それらは問いかけではなく既に結論が存在している。問いかけとしては、成立していない。
 つまり、『立喰師列伝』のなかでは虚構は作られるが、それは観客に提示されるだけである。

 むしろ、作品のなかで印象深いのは、ハンバーガーを次々に注文をして、ハンバーガーチェーンを壊してしまう立喰師の存在の馬鹿馬鹿しさだったり、インド人そっくりの日本人立喰師という存在のあり得なさだったりする。
 本来エンタテイメントというのは、くつろぎの時間を観る者に与える作品である。映画『立喰師列伝』は、これまでの押井守のテーマを内包した物語であると同時に、気軽に楽しく見られるという部分でエンタテイメント作品なのである。

立喰師列伝公式サイト 

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2006.01.30
アニメ・映画 ]
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 今年の1月より三鷹の森ジブリ美術館は、3つの新作短編アニメをジブリ美術館限定で公開している。現在公開されているのは、『水グモもんもん』、『やどさがし』、『星をかった日』の3作品である。それぞれの作品は、アニメの質感も、物語のテーマも大きく異なっている。

 先日、ジブリ美術館に行った際に、これらの作品の中から『星をかった日』を観ることが出来た。美術館では、一回の入場で一作品しか観覧出来ないのだが、3作品の中で一番ジブリらしい作品ということでこの映画を選んだ。
 ジブリらしさというのは、少し勝手な言い方かもしれない。なぜなら、ジブリの作品は宮崎駿作品から『火垂るの墓』や『ホーホケキョ となりの山田君』など意外に幅が広いのだ。
 それでも、僕にとってのジブリは、少年や少女が主人公のSF・ファンタジー作品である。けれども、物語が中心でSFやファンタジーであることを意識させない、そして心を暖かくする物語である。
 そして、今回観た『星をかった日』は、僕のそうした期待に完全に応える映画だった。

 話は実は判りにくい。田園風景とSF的世界、ファンタジー的な世界が同居している。しかし、そうした物語の世界観は全く説明されない。主人公の少年ノナがなぜ農園で働いているのか、なぜ主人公は本来の住まいである時間局に帰りたくないのか、彼を保護するニーニャとのノナの関係はといったことは全く語られない。
 話は市場に行く途中で買った星の種を少年が育て、宇宙に放つ、それだけのお話である。

 物語の背景は説明されない代わりに、水の流れシーンや田園風景が、丁寧に贅沢に描かれている。一言でまとめれば、満足度も質もとっても高い作品であった。
 正直、最近のえらくなってしまった宮崎駿監督や権威化してしまったジブリの劇場作品には、ある種の反発も持っている。しかし、悔しいけれどこの作品はうまい。多くのテレビアニメにありがちな刺激的なエンターテイメントでなく、いいアニメを観たと幸福感を感じることの出来る作品。それが『星をかった日』であった。

『星をかった日』
原作…井上直久「イバラード」より/脚本・監督…宮崎駿
音楽…都留教博・中村由利子

三鷹の森ジブリ美術館 
スタジオジブリ 

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2005.09.04
アニメ・映画 ]
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 テレビ放映で人気になり劇場展開されるアニメ作品の多くが、これまでのファンに対するサービス精神に溢れている。人気キャラクターの総出演や人気アーティストによる主題歌、あるいは劇場公開に先立つ舞台挨拶などもこれに入れていいかもしれない。
 8月に公開された『鋼の錬金術師‐シャンバラを往く者‐』もまたサービス精神に溢れた映画だった。成長した主人公達をスクリーン上に登場させることで、作品としての目新しさをアピールする。一方で、テレビシリーズに登場した人気キャラクターを数多く登場させファンの満足感を高めている。
 しかし、こうした従来のファンへのサービスは、これまでのテレビシリーズを知らない劇場作品の観客にしばしば戸惑いを与える。初めて観た作品の劇場版の感想に「よく判らなかった」といったものが多いのは偶然ではない。それは劇場作品の目的が従来のファンに向いている時に常に起こる現象なのだ。
 
 『シャンバラを往く者』についても、こうした面がややあった。2時間という枠にしては多過ぎるキャラクターが、主人公エドと弟アルの兄弟の絆という最も肝心な物語の核をぼやけさせてしまっているのだ。エドの父親やラース、グラトニーの登場やロイの国境警備のエピソードは本当に必要だったのかなと感じる。
 そうした物語の拡散といった小さな不満はあるものの全体として『シャンバラを往く者』は、十分楽しめるよく出来た作品だった。それはテレビシリーズとは、異なった独自のテーマと物語を高いレベルでまとめあげているからだ。これはまた、荒川弘のマンガから独立したアニメ版『鋼の錬金術師』の完成でもある。

 『シャンバラを往く者』は、舞台の大半を主人公たちの本来の世界ではなくパラレルに存在する我々の世界におくことで、テレビシリーズから独立した作品にすることに成功している。ふたつの対立する世界とその狭間で苦悩するエドは全く劇場版のオリジナルである。そして、それこそが今回の映画の魅力のひとつであった。
 こうした原作との違いはテレビシリーズ後半の原作とは異なった作品として展開したアニメ版『鋼の錬金術師』の集大成ともいえる。アニメ版『鋼の錬金術師』は、『シャンバラを往く者』によって完全に原作と離れ、別個の作品として完成された。
 アニメ版『鋼の錬金術』の監督水島精二はこの映画『シャンバラを往く者』を持って、独立した才能あるアニメ監督として評価されることが可能になったのでないだろうか。

「錬の錬金術師 シャンバラを往く者」公式サイト 
錬の錬金術師公式サイト 

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animeanime23:59 | (5) | (0)
2005.02.11
アニメ・映画 ]
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 『ベルヴィル・ランデブー』を観てきた。『ベルヴィル・ランデブー』は、フランスのアニメーションである。正確に言えばカナダ、ベルギーとの合作なのでフランス語圏のアニメーションといえる。現在、日本で劇場公開中だが話題になることが少ない。しかし、このアニメーションはかなり凄い。
 監督のシルヴァン・ショメ氏は、過去に広島やアヌシーのアニメーション映画祭でグランプリを受賞して来た知る人ぞ知る才能である。また、この作品は2003年のニューヨークとロサンゼルスの映画批評家協会賞のベスト長編アニメーション賞を受賞している。そして、2003年のアカデミー賞長編アニメーション部門と作曲賞にもノミネートされているのだ。2004年の日本アニメの状況を考えれば判るように、これは大変なことである。米国の賞であるアカデミー賞に海外のアニメーションがノミネートされることは、それ自体がニュースだからだ。
 
 作品のストーリーは、とても単純である。謎の都市ベルヴィルのマフィアに誘拐された孫を助け出すおばあさんの物語といえば説明しやすい。しかし、実際には物語自体の見せ所は少なく、凝った映像表現や不条理な話の展開、独特のキャラクター表現こそがこの作品の持ち味である。確かに、哀愁のこもったジャズ(スィングジャズ?)の音楽や絵本のような趣のある色の落とした美術と色調は素晴らしかった。
 ところが、僕と波長の合ったのはそこまでである。正直、僕にはかなり辛い内容であった。欧米の新聞の挿絵よくみられるような極端にカリカチュアされたキャラクターが生理的に受付けられない。そうしたキャラクターのセリフがほとんどないまま進むストーリーを不気味に感じてしまう。卓越したナンセンス、シュールと誉める向きもあるのだが、僕には『うる星やつら』のナンセンス加減のほうが、レベルが高く思えるのだ。エンターテイメントであれ、芸術あれ、風刺であれ、正直あまり面白いと感じなかった。
 しかし、これはあくまでも僕の感想である。僕がアニメーションの映像表現に求めるのはあくまでもエンターテイメントやストーリー性である。あまり、シリアスなものや高尚なものは肌に合わないからだ。
 自分には合わないなと思う一方で、こうした作品がつぼに嵌る人もかなり多いだろうというのも容易に想像が出来た。実際、この映画を一緒にみた友人は、物語に出て来た犬のキャラクターに魅かれていたし、それなりに面白いと言っていた。
 つまり、この作品は観る人を選ぶかなり個性の強い作品である。作品は一般大衆に向けて作られているわけではない。大衆の支持は得られないが、おそらく、100人のうち何人かは絶賛するに違いない。そういう作品だ。それは、日本アニメとも米国アニメーションとも異なるヨーロッパのアニメーションの個性であり、差別化であるともいえる。
 おそらく、『ベルヴィル・ランデブー』を観た人は、肯定的であれ否定的であれ、非常にヨーロッパ的であると感じるに違いない。つまり、日本や米国の一般的なアニメーションにない芸術的な、あるいは政治的なニュアンスにヨーロッパ風を感じるだろう。それは、日本アニメが米国アニメーションと差別化しているのとは別の意味で、オリジナルなものなのである。 
 そして、現在、少なくとも商業面でみた時に、日本と米国アニメーションの間に沈みがちなヨーロッパのアニメーションが成功する道はそこにあるに違いない。そうした中で、『ベルヴィル・ランデブー』は強烈な個性を発揮することで間違いなく成功しているのだ。
 
ベルヴィル・ランデブー公式サイト 
非常に凝った作りのサイトで色々遊べます。(お薦め)

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2004.11.18
アニメ・映画 ]
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 米国の大作アニメーション映画『ポーラエクスプレス』の公開後の興行収入が思わしくなく、早くもその巨額の制作費を回収出来ない可能性が懸念されている。しかし、『ポーラエクスプレス』のオープニング週末の数字は『Mr.インクレディブル』に開けられているとはいえ配収約3060万ドルは決して少なくない。むしろ、大ヒット映画だと言っていい。問題は、製作費約1億6500万ドルと約1億ドルと伝えられている宣伝費にある。この巨額の制作費はかつてないほど顔の動きまでリアルに再現したモーションキャプチャーを始め最新の映像技術に膨大な資金が必要としたといわれている。

 最新の技術と巨大過ぎる製作費のアニメーション。過去を振り返ってみると、これと似た構図がある。2001年に日本のゲーム会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)が社運をかけて製作した『ファイナルファンタジー』である。製作費1億3700万ドルのこの映画の興行収入は米国で約3200万ドル、日本国内で9億円であった。結局、製作費を回収出来なかった当時のスクウェアは、約130億円の特別損失をだし、その後、資本力の懸念からソニーグループの傘下に入ることになった。この両者に共通するのは、最新の技術を使ったリアルさの追求であった。つまり、アニメーションでどこまで現実に近づけるかである。確かに驚きはあった。しかし、映画は技術の驚きだけで成り立つわけでない。

 『ファイナルファンタジー』が興行的に失敗した時によく言われたのは、本物そっくりなら本物でいいじゃないであった。つまり、人間そっくりならアニメである必要性はない。今回の『ポーラエクスプレス』でいえば、トム・ハンクスそっくりなキャラクターなら、最初からトム・ハンクスの実写映画でいいのでないか。観客が求めているのは本物そっくりのリアルな画像でないはずだ。むしろアニメ的であることのほうが重要でないだろうか。少なくとも両作品とも実写で作って製作費を抑えれば資金的にかなり楽であったはずである。そして、米国の批評サイトを見ると今回の『ポーラエクスプレス』への批判は、皮肉なことにキャラクター造形に集中している。大金をかけて実写には近づけても、実写にはならないのもまた事実である。

 結局、アニメーションの作り手が考えなければいけないのは、アニメという手段で何が出来るかである。勿論、表現する手段が違うだけで、映像表現がしなければいけない基本は同じという考え方もある。しかし、アニメを観る側は製作者の思惑通りではない。多くの場合は、実写とは違う何かを、アニメだから出来る違いをそこに求めているはずである。

ポーラエクスプレス公式サイト 
スクウェア・エニックス 

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2004.10.17
アニメ・映画 ]
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 10月17日(土)に東京ファンタステック映画祭でプレミア上映された『機動戦士Zガンダム-星を継ぐ者-』を観た。正直、もの凄く興奮している。予想以上の出来であった。素晴らしいと賛辞を与えるに相応しい作品だ。全てが想像を上回る完成度であった。ラストシーンのシャアとアムロの再会は感動的ですらあった。

 私は、ファーストガンダムを愛する古いガンダムファンの多くがそうである様にTV版Zガンダムに対して複雑な気持ちがある。本来、続編を想定せずに作られたファーストガンダムに対して、Zガンダムはそもそも存在してはいけない物語である。最初の入り口に偏見が存在する。しかも、この作品のあと直ぐにZZガンダムが製作されたように、その後に続く数多くのガンダムの始まりであり、ある意味でファーストガンダム以上にシリーズの中では重要な作品でもあるのだ。ガンダムファンとしてはアンビバレントにならざるえない。
 そして、正直、TV版Zガンダムは作品としても痛かった、後年の富野監督作品の悪い特徴の物語のとげとげしさやキャラクターや素材の消化不良が本来のテーマを上回っていたからだ。完成度においてファーストガンダムに遥かに及ばない作品、それがこれまでの私の評価だった。

 しかし、上映に先立って挨拶した富野由悠季監督の「長年、嫌ってきたZガンダムだが、こうしてみると悪い作品でなかった」の言葉通りの感想を私も感じた。Zガンダムは決して悪くない、それを今回の劇場版Zガンダムは証明しいている。
 何が、物語をこれほどまでに変えたのだろうか。答えは簡単だ、TV版Zガンダムに較べて、物語が極めてシンプルになり、余計な部分が削ぎ落とされ、より物語の本質が際立ったのだ。今回の劇場版Zガンダムの物語は全てがカミーユと戦争の出会い、そして、ラストに設定されたシャアとアムロの再会まで持って行くための手段として集約されているのだ。
 富野監督の劇場作品が、しばしば、多過ぎるサイドストーリー、キャラクターで混乱しがちなのに対し、今回の映画の中には先のテーマに関わる以外の話はほとんど出て来ない。多くのキャラクターが登場しているにも関わらず、キャラクターの登場に違和感はない。物語をシンプルにまとめあげる中で、TV版の中にあった様々な強引さが消え、全てが合理的に説明されている。既に、この後に続く第2部、第3部が楽しみになってきた。

 自分の愛する作品が改変された時に、人はどう感じるのだろうか。特に、今回の様に、物語の内容がほとんど変わってしまった時にはだ。この劇場版Zガンダムは、編集のための順番の変更や、物語のカットというレベルの話でなく、そもそも物語自体が変わっている。これまでのZガンダムを愛してきたファンは、このZガンダムこそが間違いだと思うかもしれない。私自身は、今回の『星を継ぐ者』こそが、20年の時を経て登場したZガンダムのスターンダートだと感じる。しかし、副題にさりげなく盛り込まれたNew translation(新訳)の文字がこう主張しているようにも見えた。これは、Zガンダムのリメイクでも、正しいZガンダムでもない。可能性として存在しうるもうひとつのZガンダムなのだと。そして、このもうひとつのZガンダムはアニメ史に名作と刻まれるに相応しい新しい作品だと確信出来る。

 唯一、気になった点は、新作作画部分とこれまでの映像の違和感と微妙なずれであろう。制作の際に、CG処理により両者の調和を図ったということだが、やはり20年近くに及ぶ歳月のアニメーション技術の差は覆い難い。そして、最新の技術を持ってしても過去の画像を現在のレベルにまで、引き上げる技術はない。それ以上に、作画監督による個性の違いは年月以上の相違を見せている。
『劇場版機動戦士Zガンダム-星を継ぐ者-』の唯一、最大の失敗は全作新作画像にしなかったことである。

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2004.09.29
アニメ・映画 ]
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b00005hvm2.09.MZZZZZZZ[1]  先日読んでいた押井守氏の『すべての映画はアニメに変わる』の中に『シャアは富野作品の究極の悪役』という文章があった。その文章が僕の興味を惹いたのは、押井守氏と富野由悠季監督という組み合わせの意外感であった。押井氏は商業色の強い作品は嫌いなのではないかと思っていたからだ。もうひとつ別の富野氏との対談でもそうだが、押井氏は意外にガンダムについて好意的あった。
 しかし、一番驚いたのは押井氏のこの言葉だ。
 = ガンダムは観ています。特に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)はかなりしつこく観ました。あれは特筆すべき作品ですね。=

 実はこの作品、僕の評価はかなり低いので、押井氏がわざわざこの作品に言及したのに驚いた。『逆襲のシャア』については、以前にも似たような経験がある。あるかたと話していた時に、話していて非常に頭のいい人だと判った。そして、うれしいことに感性もよく似ている。
 「やっぱ、ファーストガンダムは面白かった。」 うん、うん。OK!
 「イデオンは名作だよね。」OK!
 「ザンボット、ダイターン3は良かった。」OK!
 「∀(ターンエー)ガンダムも大傑作。」OK!
 「逆襲のシャアも面白かったよ。」 えっ?!...。

 正直、僕は富野監督の作品はかなり好きだが、手放しで全部好きなわけではない。特に、明確に作るべきでなかったと思っている作品も幾つかあって、そのひとつが『逆襲のシャア』なのだ。
 なぜ、この作品が評価出来ないかと言えば例えばキャラクター。富野監督が劇場作品を作る時にしばしば見られるのだが、不必要にキャラクターが多過ぎる点だ。わずか、2時間で全てのキャラクターの厚みを出すことは難しい。しかも、そのどのキャラクターもがヒステリックに怒鳴り、常に相手に罵っている。キャラクターは説明されないまま、次々と死んで行き、観ているほうは一体何が起こっているのか判らない。
 一体、今、死んだのは誰だっけ?という感じだ。

 だから、僕は少し前まで『逆襲のシャア』は、最大公約数的に、みんながあれは駄目だねと考えていると思っていた。ところが、この作品一部では非常に受けがいい。しかも、僕が尊敬しているような人の中にもそういった人が多い。むしろ、数あるガンダムシリーズの中でもベスト作品として挙げる人も少なくないのだ。
 そうした意見に耳を傾けると、この作品をシャアとアムロの物語、そこに焦点を合わせて高い評価しているようだ。ここが押さえられていれば、他の欠点は目をつぶることが出来るらしい。アムロとシャアの関係。人類に寛容になれないシャア。実は、僕はシャア・アズナブルというキャラクターも好きでない。嫌いというわけでないが、どうも、理解出来ない。それは、ファーストガンダムでもそうだったし、Zガンダムはもっと判らなかった。逆襲のシャアでは??である。もし、先の『シャアは富野作品の究極の悪役』文中で押井氏が述べるように、富野監督がシャアを使って言いたいことを言っているのであれば、僕は富野監督もまた理解していないのだろう。

 小説にしてもアートにしても、あるいはアニメでもいいが、昔、大嫌いだった作品が、年が経つとともに好きになる時がある。しかし、少なくとも、今の僕にはまだ、『逆襲のシャア』を好きだとか、面白いと受け取れる気持ちはない。いつか、僕でも『逆襲のシャア』を「結構、面白い作品だよ。」と言える時が来るのだろうか。そんな時、僕はどんな風に考えてこの作品を評価しているのだろうか。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

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2004.08.09
アニメ・映画 ]
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 『スチームボーイ』の劇場公開が9月3日で終わった。製作8年、総制作費24億円をかけた大作アニメだったが、世間的な評価は、まさに賛否両論であった。良質なエンターテイメントと評価する人がいる一方で、ありきたりで面白くないとの評価も多数見られた。特に、ヘビーなアニメファンになるほど『スチームボーイ』に対して否定的になる傾向があるようだ。

 これは最終的な興行成績が、期待していた水準ほどではなかったことをうまく説明している。『スチームボーイ』の宣伝は非常に大きなものだったが、それでも比較的高年齢のマニア層を狙っていたように思える。
 しかし、マニア層は『AKIRA』のようなサイバー感覚や今までに観たことのない驚きを期待していたと思いうのだが、実際の作品はよく出来た健全なエンターテイメントであった。これに失望した人が多いのでないだろうか。
 つまり、マーケティングとして狙った層から一番厳しい評価を受けたことになる。『スチームボーイ』を面白いと思うのは、ジブリ映画やハリーポッターやロードオブザリングといったハリウッドの大作映画を面白いと感じる層だったのでないだろうか。不幸なことに、作品はこの層にほとんど達することなく終わった。
 それは、大友克洋監督作品!SF大作!といったジャパニメーションのイメージが強く成り過ぎたからかもしれない。

 僕自身は『スチームボーイ』を非常に楽しだ。2時間を越える上映時間は若干長かったが、時間を持て余すことはなかった。噂に違わない素晴らしい画像に、よく練られたストーリーはさすがだったし、個人的にイギリスが大好きなこともあり、驚くほど忠実に再現された19世紀のイギリスの風景にはかなりのもであった。
 おそらく、今、制作者が『AKIRA』のようなサイバーSFの作品を提示しても、80年代の『AKIRA』の衝撃を越えることは不可能であろう。SF表現や過激な演出表現はあまりにも一般化していりからだ。だから、大友監督が敢えて誰でも楽しめるエンターテイメントを制作したことを積極的に評価したい。

スチームボーイ公式サイト 
スチームボーイ公式ブログサイト 
AKIRA公式サイト

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2004.07.24
アニメ・映画 ]
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 最近、アニメのビデオを買いにまんだらけによく行く。本当は、収納の問題もあるからDVDの方が良いのだが、なにしろ中古のビデオは安い。この安さを見ると、見るだけならビデオでしょ!と思ってそっちに流れるしかない。
 なにしろ、1枚3000円、4000円、5000円といったDVDに較べると600円と1000円と格安だし、何よりもビデオでしか見れないマイナーアニメも少なくないのである。

 それでもって、『超人ロック魔女の世紀』なんてビデオを買ってきた。そして、そいつを、3日がかりでみた。2時間という時間がまとめて取れないので細切れでみた。
 しかし、この作品って1984年のまさにアニメブームのど真ん中で作られたのだがストーリーは、いかにもなSFでこの時代を息吹とともに懐かしさを感じさせられた。

 でも、一番気になったのは画面の絵。本当にセル画、セル画していてセルアニメだ~って感じなのである。平面的というか、単調な色使いというか。これは別が嫌とかでなくて、「あっ!これがアニメだよ!」っていう心地よさなのだ。おそらく、この同時期に公開された、劇場版『マクロス』とか劇場版『イデオン』からアニメの絵ってどんどん高度化していったんじゃないかなと思うのだ。
 だから、この『超人ロック』は、そうした作画の高度化の波に乗れなかった平面的なアニメの最後の一族だったんだなと思いつつ感慨深く見たのであった。

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2004.05.02
アニメ・映画 ]
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 現在劇場公開中の『アップルシード』を観に行った。実は5月1日が映画の日で、1,000円で観られるというのが最大の理由だ。そして、1,000円なら観るよというのは、僕的には、アップルシードにあまり期待していなかったことの現われでもある。ところが、この作品かなり面白かった。

 具体的なストーリーについては、観れば判る話なので語らない。アップルシードについて語らなければいけないのは、エンターテイメントとしてのアニメは何かということだ。アップルシードの面白さは、ごく当たり前のストーリーを一生懸命作る、観客をいかに楽しませるかについて周到であるといったエンターテイメントの基本の部分で極めて真っ当な作品だということだ。それは、近年の子供向けでないアニメがしばしば無視しがちだったことでもある。
 誰が観ても判るストーリー、ドキドキハラハラする展開、物語を進めていく中で散りばめられた謎、話のどんでん返し、ハッピーエンド、これらは、本来的に観客が望んでいるものであるし、それこそが作品を面白くする要素なのだ。
 あるいは、ベタかもしれない、しかし、それだけの要素を使いながら、きちんとオリジナリティ確保している。アップルシードを傑出した名作という人はいないであろう、しかし、これを観てつまらないと言う人は少ないだろう。

 アップルシードを観る時、原作が共に士郎正宗であり、ほぼ同時期に公開されたこともあり『イノセンス』を意識しないわけにいかない。しかし、原作が同じであること以外に両作品の物語、演出上の共通点はあまり見出すことが出来ない。それは、観客に向かって作られたエンターテイメントと、作り手が自らの内側に向かって行ったイノセンスとのそもそもの基盤の違いである。
 共通点は、物語の本質でなく作画法にあった。それは、高度の3Dアニメーションの多様である。しかし、3Dのテクニックの素晴らしさに驚嘆する一方で、2Dと結びつかせた時の妙な違和感こそが共通なのだ。つまり、コンピュターから派生したCGやモーションキャプチャーの映像とセルアニメの延長から生まれている人物画とが妙に画面でずれている。
 特に、アップルシードでは、人物自体も3Gが多用されているのだが、明らかにモーションキャプチャーから作られた映像とアップになった時の顔とでは異質なものがぶつかり合い違和感を与えている。ちょうど、写真に手書きのイラスト貼りつけたような印象とでも言うのだろうか。技術の革新が進めば、この問題は解決されるのだろうが、おそらく、それはより実写に近づきセルアニメの表現方法から遠ざかっていくことに違いない。

 今年の劇場アニメは、『イノセンス』や『ハウルの動く城』、『スチームボーイ』など大作が目白押しだ。アニメじゃないがアニメから実写化された『キャシャーン』、『キューティーハニー』、『デビルマン』などの話題作も多い。
 アップルシードは、その狭間に落ち込んであまり話題になることが少なかったように思う。しかし、その期待感の薄さの中で見事に咲き誇ったB級大傑作アニメだ。
 イノセンスのような哲学も、ハウルの持つ文学性も、スチームボーイが持つ安心し観られるエンターテイメントでもない。しかし、その中で確かな存在感を放っている。アップルシードの中にこそ、現代日本アニメの面白さの本質が存在する。

アップルシード公式サイト
株式会社デジタルフロンティア 
イノセンス公式サイト   
ハウルの動く城公式サイト 
casshern公式サイト 
キューティーハニー公式サイト  
デビルマン公式サイト 

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