2004.11.30
『現代日本のアニメ』:書評
「日本のアニメーションについて真に注目すべきは、単にビジュアル面の表現方法が印象的であるだけでなく、そのストーリー性である。」
本屋に寄ったらなかなか面白い本をみつけた。
『現代日本のアニメ』という米国人によるアニメ論なのだが、なかなかいい線のいっている内容である。著者のm職はテキサス大学の教授で日本文学論らしいのだが、日本人の著作でもないぐらいの本格的なアニメ論になっている。欧米メディアにありがちな、アニメを見下げたとか文化侵略といったものでなく、論点の核心をついた話が多い。2600円はちょっと高いがそのくらいの価値はあるだろう。
しかし、取り上げられた作品が『AKIRA』や『ジブリ』から始まって、『うる星やつら』、『キュティーハニー』、『ガイバー』、『うろつき童子』などなどその量と幅の広さにびっくり!
彼女、確実に僕よりアニメを見ている。内容は、あまりにも盛りだくさんなので詳しくは説明出来ないが、終末論、セクシュアリティーなどなどである。最初に引用した言葉につきる。日本アニメのストーリー性とそのストーリーの意味すること。興味あれば一読をお勧めします。
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2004.11.20
『コンテンツ消滅』:書評

正直、新聞でタイトルを見ただけで興味を持って中身も見ずに購入した。なにしろ、正式なタイトルは『音楽・ゲーム・アニメ コンテンツ消滅』と来ているからただごとではない。当然、国やメディアによるコンテンツが日本の未来の産業といった流れに対して疑問を投げかけていると想像した。しかし、内容を読んでみると単純な社会の風潮に対する批判本というより、もっとこの関連産業の根本的な部分に問いかける本であった。
例えば、音楽ではファイル交換ソフトが音楽・CDの売上げを減少させていること、しかし、それはこれまでの海賊版対策ではどうにもならない水準にまで来ていることを指摘している。また、ゲームについてはかつて大ヒット作品を作り出した知識共有型のゲーム開発の環境がなくなりつつあることに触れている。アニメではアニメ制作現場の空洞化についての調査報告となっており、作品の権利を持つことが難しいことから制作の現場に収益が還元されない、それが、コスト的に苦しいアニメ制作の現場を作り出し、さらに制作現場の国内空洞化を生み出しているとする。
一見、つながりのない内容に思えるが、全体を通して流れているのはインターネットを中心とした時代の変化に既存のシステムが対応出来なくなっているという主張だ。そして、その問題の中心は知的財産の共有の仕方に行き着くと筆者は考えている。音楽、ゲーム、アニメのいずれの分野でも作り手(クリエーター)に収益が還元されなければコンテンツが崩壊してしまう、そのためには新たな知的財産の共有のシステムが必要だというのがこの本の主張である。
これらの3分野で既存のシステムが時代の流れに挑戦を受けていることは間違いない。では、何が出来るかというとコンテンツの著作権に対する新しい形態である。つまり、特定の会社なりが独占的に著作権を利用することでなく、制限を設けながら自由にコンテンツを利用するとの考え方だ。この本の中では、クリエイティブ・コモンズという現在行われている新しい試みを紹介している。
確かに、この考え方は魅力的であるし、おそらく筆者の主張どおりクリエーターの著作権を利用した創作意欲を刺激するに違いない。しかし、もう一方の収益の還元の部分で効果を上げるかは疑問も残る。クリエイティブ・コモンズを推し進めることは一歩前進だろう。収益還元については、これからさらなる模索が必要とされているに違いない。
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2004.09.24
『すべての映画はアニメになる』押井守
『すべての映画はアニメになる』は、過去20年間に渡ってアニメ雑誌『アニメ-ジュ』に掲載された押井守氏の文章、対談、インタビューをまとめたものである。20年に及ぶ期間、様々な作品と対談者ではあるが意外なほどまとまりがあるのは、押井守氏本人が掲載記事をセレクトしたためかもしれない。全体が押井氏の一貫としたアニメとは何か、映像とは何かといった意見表明の場として機能しているからだ。
そして、その中のひとつが表題にもなっている『すべての映画はアニメになる』、2001年に映画『アヴァロン Avalon』を語った押井氏のインタビューである。押井氏はこの中で、アニメーションは根拠のない映像だと思われているが、実写もまた根拠なき映像である、実写もアニメも実は同じでないかと述べている。昔は、アニメーションを映画にしようと思っていたが、映画がアニメなのだという押井氏の考えは、現在のあらゆる映画に使われるCG技法の氾濫を目にすると説得力を持って伝ってくる。
最近、私自身は世界的に強いと言われている日本のアニメの将来について考えることが多い。ジブリ作品や『イノセンス』あるいは『カウボーイビバップ』といった作品は、ある意味アニメの極みに達しているのでないか、少なくともドラマ(物語)を中心としたアニメは他国を寄せつけない位置にいる。しかし、この状態が今後も続くのだろうか。
『マトリクス』や『ハリーポッター』といったSFやファンタジーを超えて映像のCG化は急速に進んでいる。一方で、アニメーションもまた急激に3Dの方向に動き2Dの世界では持つことの出来なかったリアリティーを獲得している。
押井氏は俳優も素材だと思ってきた、映画はあくまでも監督、音楽、編集、美術といったスタッフが作るものであると語る。つまり、これは俳優とは監督の頭にある虚構の存在だということだ。そうであれば、俳優はそもそも虚構の中から生まれて来たアニメのキャラクターと同列上にある。既に、実写とアニメの境界は消え始めている。
日本アニメは世界で唯一アニメーションの中にドラマ(物語)を意識することで成り立った文化である。それゆえに産業として拡大し、世界文化にすら影響を与える力を獲得した。それでは、元来物語である実写とアニメが完全に融合した時に日本アニメの競争優位性は消えるのでないだろうか。
上記インタビュー以外にも、過去20年間を超える押井氏のその時々の言葉は、どれも密度が濃い。そして、色々なことを読み手に感じさせる。押井氏の映像作品が観るものを深い思考の世界に誘うのと同じように、彼の言葉もまた読み手を思考の迷宮に導く強い力を持っている。
『全ての映画はアニメになる』 押井守著 徳間書店 2100円(税込み)
すべての映画はアニメになる[...アニメージュ叢書


