日本の劇画作家がテーマ アジアの巨匠が生み出した映画『TATSUMI』
           エリック・クー監督インタビュー

日本の劇画の父、辰巳ヨシヒロの半生が描かれた「劇画漂流」、そして同氏の短編作品群が長編映画にまとめられた。エリック・クー監督による『TATSUMI』である。本作は辰巳の半生を原作そのままのタッチのアニメーションで描く異色作である。
『TATSUMI』は、カンヌ国際映画祭ある視点部門公式出品、東京国際映画祭公式出品、さらにドバイ国際映画祭優秀賞受賞と国際的に高い評価を受ける。辰巳ヨシヒロ自身の原作「劇画漂流」のへの評価もあり、現在、最も注目されるアニメーション映画のひとつだ。
シンガポールを代表する監督が、日本の劇画作家をテーマ選んだのは作品に対する深い愛情である。エリック監督が、映画『TATSUMI』と原作について語る。

■ エリック・クー

1965年、シンガポール生まれ。映画製作会社Zhao Wei Films主宰。オーストラリアのシティアートイン スティテュートで映画製作を学び、兵役を終えてからTVCM製作の仕事のかたわら、短編映画製作を 開始。
95年の長編処女作『Mee Pok Man』がヴェネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭で上映され、 08年『My Magic』ではインド人父子家族の普遍的な愛を描き、第61回カンヌ映画祭最高賞パルムドー ルに初ノミネートされる。


 ■ TATSUMI作品との出会いと映画化の決意

アニメアニメ
(以下AA)

本作のテーマともなっている劇画作家である辰巳ヨシヒロさんの作品の出会いについて教えてください。
監督は、20年以上前に作品出会われたそうですが、当時、作品はそれほどポピュラーでなかったと思います。

エリック・クー監督
(以下クー)

私はもともとコミックを雑誌や新聞に描いていました。その時に出版社が、私にグラフイックノベル(単行本形式のコミック)を描いてみないかと持ちかけてきたのです。ところがそれは100ページ以上の量で、3か月後にあるブックフェアまでに全部仕上げるというものです。

当時私はアメリカンコミックスをたくさん読んで、それに影響を受けていました。その時に、友だちから辰巳先生の短編集を貰いました。いまから25年も前になります。

私はいまでもその作品を覚えています。その本はカタラン社から発売されていました。10作品がまとめられており、私は何度もそれを読みました。特に「グッドバイ」と「男一発」に強い衝撃を受けました。そこから影響を受けて新しいアイディアが思い浮かびました。
そのおかげで、3ヶ月しかなかった出版社のオーダーを2ヶ月で完成することが出来ました。

AA

その時の印象はどのようなものだったのでしょうか?

クー

辰巳の作品は、非常にインパクトがあり、オリジナルで、これまでに見たことのないものです。それはアメリカンコミックスのなかでは決して出会えないものです。
私はその後、短編映画や長編映画を撮るようになりましたが、いつでも辰巳先生のストーリーが念頭にあるのです。

AA

そこから映画化につながったのですね。

クー

何度も短編集を読んでいましたが、その後、辰巳先生が自叙伝の『劇画漂流』を書かれました。それを読み、そこで先生の人生を知り、辰巳先生をトリビュートする映画を作りたいと強く思うようになったのです。



(c)27 Productions Pte Ltd

 ■ 『TATSUMI』は、劇画と映画の結婚

AA


『TATSUMI』は、ドキュメンタリーであり、アンソロジーであり、さらにアニメーションである。非常に複雑な構成を取っています。このアイディアは、どこから生まれたのですか?

クー

私はまず、辰巳先生の人生である『劇画漂流』を世界に広めたい、共有出来るようにしたいと考えました。それと同時に、先生のこれまでの作品をこれにつなぐことを考えました。短編と先生の人生をつなぐというものです。
それが全体で長編映画となるとうまくいくはずだと考えたのです。私は短編作品を単純な短編映画にはしたくなかったのです。それはスムーズではないのです。それは人生と一緒になることに意味があるのです。
また、私にとって重要だったのは、辰巳先生が自らこの映画のナレーションをやってくれることでした。

AA

映画はアニメーションで表現されています。でも、題材になった劇画は、そもそも動かない画を映画的に表現することで生まれた表現手段です。それをもう一度映画にすることについてはどう思われますか?

クー

劇画が映画になるのは、いわば劇画と映画の結婚です。私は辰巳先生の作品は、あまりアニメ的ではないと思っています。これらの作品は映画と同じ、劇画なのです。
実際に辰巳先生の作品のコマ割りは、映画のよいストリーボードになっています。制作に携わった多くのアニメーターは、先生の創造性をキープしており、実際に私たちがやることはあまり多くありませんでした。

AA
映画は日本でなく、シンガポールで作られているのですよね?

クー

カナダ、インドネシア、シンガポール、それにフィリピンの人により制作しています。アニメーションパートはインドネシアのバタムです。

AA

日本人から観ても、違和感のない映像なのですが、制作にあたってはどのような指示を出されたのですか?

クー

それはうれしいですね。出来るだけ作品に忠実にしました。また、別所哲也さんが声を演じてくれたことも重要です。そうしたコンビネーションが、違和感を持たせなかったのだと思います。
一方、それだけでは足りないところがあるので、独自のリサーチも行いました。

AA

例えば、どんなものでしょうか

クー

映画の画面は大きく、マンガに描かれていない部分が現れます。それは独自に考えなければいけません。それを辰巳先生にひとつひとつ確認しました。例えば、隠れた場所に何があるのか、電車の色はどうなのかなどです。
その際に棚の手すりが大き過ぎるといったことなどの指摘を受けましたね。それと大阪弁もです。この時代にどんな大阪弁がしゃべられていたのか。これも課題でしたが、辰巳先生がアドバイスしてくれました。

 ■ 辰己作品が日本と世界でもっと広がって欲しい

AA


映画はカンヌやシッチェス(スペインの映画祭)に出品されていますが、ヨーロッパでの作品に対する評価はどうでしたか?

クー

非常に良かったです。実際に、ほとんどのヨーロッパの国の配給権がすでに販売済みです。映画を観た多くの人は、普段はアニメやマンガを観ていない人ですからそれがうれしかったです。
もともとこの映画は辰巳先生の優れた作品を世界に紹介することが目的だったので、この反響にはとても満足しています。

AA

日本のマンガを読む人たちにメッセージをお願いします。

クー

とにかく、辰己先生の本を沢山読んで欲しい。マンガファンの間で、もう一度辰己先生の作品を発見して欲しいと思っています。日本人の多くの人が辰己先生のことを忘れています。彼は、青年向けのマンガの柱となる偉大な才能なのです。
海外では、私は本屋に行った時に、辰己先生の本が手塚治虫先生の本と並んでいるととても誇らしく思うのです。

AA

最近は、海外での評価が日本に返って来るかたちで、辰己先生が注目されています。

クー

そうですね。多くの言語で作品が翻訳されています。特にヨーロッパには辰己先生の大きなファン層が存在しています。
私はこの映画がさらに多くの読者を生み出すことを願っています。特に日本でそれが起きて欲しいですね。

AA

本日はありがとうございました。




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