『マイマイ新子と千年の魔法』インタビュー
                 
片渕須直監督演出の魔法(2)
  
■ 防府はアニメに理想的な素材

アニメアニメ
(以下AA)

映画の中の自然風景ですが、長い話の中で、畑の中、それから水が出てくる風景、その部分が長くなっています。水の表現が非常にきれいですし、こうした表現はどういうふうに意識されたんですか。 

片渕須直監督(以下片渕)

どう意識したかというと、水を描くと我々が一番うまいんだという意識です(笑)。
すでに亡くなられていますが、アニメーターの村田耕一さんが前に『アリーテ姫』を観た時に、「水を描かせた君らが一番」と言ってくれたんですよ。それで、僕らは水にはすごく自信を持っていいんだなと思っています。

AA

一方で、その風景を描くためにロケハンがあるのですが、現実を写し取るとしても、現実とアニメーションは全く違うものです。正確に写し取れるものでは、そもそもないはずです。
そういったことがある一方で、さらに昭和30年代に話を戻さなければいけないというのもあります。そうした時に、どこまでリアリティーを追求すべきかについて監督はどう考えられていますか。
 

片渕

無限にリアリティーを追求出来ないことは分かっているんですよ。でも、手に入る分ぐらいはというところですね。どれぐらいまで手に入りそうかというのも、何となく見えますよね。
ただ、それが見えてきた時に、偶然存在しているものが、我々の想像をしているものとはちょっと違っていたりしますと、すごく面白い。

実はアニメーションは全部、頭の中でこしらえたことだから、思ったようにしか描けないんですよ。それ以上に本当に広がった世界を作るためには、本当の世の中にはある偶然も取り入れる必要があるのでないかなと思っています。

AA

映画を見ていて非常にきれいなので、監督の中で現実から少し理想化されたのかなと思っていたんです。先日のロケハンについての講演を聞いていたら、むしろ理想化ではなくて、昔はそうだったんだということに気付かされました。

片渕

そう思っていただけるとよいだろうなと思っています。たぶん理想化は前提としてあったんだと思うんですよ。ただ、その理想化をするのに必要な理想的な要素、風景が、ちゃんと防府の土地には存在していたということです。

ものすごい広い麦畑だとか、その上に連なる雲だとか山のかたちだとか、そういうものが理想化してほどよいものがちゃんと存在していたので、我々が題材として適切なものを得たという感じです。


(c)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

AA

ちょっと驚かされたのは、調査資料の量のすごさです。あれはいつもあの量なのですか?

片渕

知りたいという欲求は常にありますよね。それはものすごくあります。古本を買えばいいんだよと分かったのは『アリーテ姫』が終わった直後です。それと、いま副業でやっているのが、航空ジャーナリスト協会。

僕は飛行機が好きなんですが、『アリーテ姫』が終わったころぐらいから航空ヒストリアンみたいなこともやっているんです。
その中で飛行機の歴史は今までこんなふうに語られていたけど、本当は違うんだよ教えてくれた友人たちがいて、それは面白いなと思うようになりました。発見してそこから膨らませていく要素がたくさん見つかるものだなと思っているんです。

AA

資料そのものでなくて、資料から引き出されるインスピレーションでしょうか? 

片渕

そうですね。そういう資料が出来上がってくる過程には、我々がちょっと想像できないような過程とかもあったりして、それはものすごく得難いですよね。

例えば『マイマイ新子と千年の魔法』では、千年前の世界で、「我々の祖先は流れ星を追うてこの地に来た」って、多々良の人が言うじゃないですか。あの流れ星は、西暦700何年だかに、防府じゃなくて山口県のもうちょっと東のほうにある下松という町に落ちているんです。

流れ星は松の木に引っ掛かって、7日7晩輝いていましたという。多々良の祖先がそうやって流れ星を追いかけてきたという歴史自体は、本当にあります。それは普通に考えたら、そんなまゆつばな話って思ってしまうんですけど、でも何か気持ちのいい話だなと思います。

■ 作品は次の作品のステップにつながる

AA


先程、少し話に出ました『アリーテ姫』ですが、ファンタジーですね。それと最近は『BLACK LAGOON』のようなアクション的なものも作られています。今回は非常に穏やかというか、田園風景が中心です。
監督は作品にめりはりがあった方がいいと考えられていますか?それとも実は違っているように見えるけど、同じものなのかなとも思いました。

片渕

いろいろなことはやりたい感じはしますね。それと同時に、ひとつのことを考えたら、次のステップってあるわけなんです。
例えば『アリーテ姫』みたいなものを考えている中では、自己実現って何なんだろう。アリーテ姫という主人公は必ずしも自己実現に至っていないんですよね、自分ってこれぐらいの限界がある人間って分かったぐらいのところで終わっていて、あの後どうなるのかも全然分からなかったりしますよね。

その次に『BLACK LAGOON』をやった時には、自己実現ってみんなに訪れないんだよねってことだったんです。
例えば人生がひょっとしたら川の中で溺れているようなものだとしたら。溺れる者は藁をもつかむといって岸辺の草を一生懸命つかんで這い上がってみたら、向こう岸が自己実現の岸で、自分が上がったのは逆の側の岸だった、そういう人生って実はたくさんあるわけですよね。

子供はみんな幸せであって欲しいと思って、子供向けのアニメーションを作ろうと思っていたかつての自分もいるとしても、世の中では親に殴り殺されちゃう子供たちの話も、ニュースではたくさん見てしまうわけじゃないですか。
それは、どこかで折り合いをつけていかなきゃいけない。だけど、どう折り合いをつけていいか分からない。そうすると、むしろ自己実現に到達できなかった人たちの方を一度覗いてみたいというのが『BLACK LAGOON』だったりします。

それを描けたものだから、その次はもう少し最初に戻って、そういうものを自分の中で傍らに置きつつ、「でもやっぱり本来ありたい自分を目指していく子供たちって、見ていて気持ちいいよね」というのを、もう一回描こうと思ったのが『マイマイ新子』です。

AA
最後にあらためて映画のテーマは何だったんでしょうか。これは友情の物語だけではないように感じます。

片渕

途中で出てくる千年前の人たちの中に、清原元輔という人が、おじいさんが出て来ます。清原元輔は『宇治拾遺物語』とかに登場するんですが、そこでは自分の頭が、烏帽子が取れると実はつるっぱげなんです。馬から落ちかけて、烏帽子が取れちゃって、はげなのがみんなにばれて笑われたのを逆にネタにとって、みんなを笑わせるという人なんですよ。
その娘が諾子は清少納言なんですね。清少納言は中宮定子の心を和ませるために、ずっと女房をやるわけです。人を笑わせるために一生懸命だった人たちが千年前にいたというのを、作っている間に気が付いたわけです。

そうすると、映画のラストが見えてきて、新子と貴伊子は2人でお互いに笑い合うんだ。映画のテーマって初めに決めるべきものではないと思っています。作っている間に見えてきて、最後に残るものがテーマなんだなというのが僕の考えなんです。
そこで残ったのは自分が楽しむだけではなくて、人の心も和ませてお互いに和み合うみたいなそういう関係がものすごい大事だなと思います。

AA

 それが映画の全体の中に流れる、共感できるということにつながっているんですね。

片渕
そうですね。

AA

本日はどうもありがとうございました。

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映画『マイマイ新子と千年の魔法』
http://mai-mai.jp/


(c)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

11月21日(土)より全国ロードショー

配給: 松竹
アニメーション制作: マッドハウス

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