アニメ・マンガ評論は生き延びることが出来るのか?3
      日米評論家対談  藤津亮太×エド・チャベス
                    
 PART-2 「マンガ・アニメ評論はどこに向う?」- 1

 ■ 評論がやさしい日本 厳しいアメリカ

アニメアニメ
(以下AA)

これはお二方に聞きたかったんですけど、日本から見るとアメリカの批評は手厳しい意見が多いイメージがあって、日本の評論は優しいという印象があるのですが、それはどう考えます?

藤津亮太
(以下藤津)

それは大きすぎる質問ですね(苦笑)。
日本の批評・評論については一概にいうことはできませんが、僕の書く原稿は優しい方だと言われていますよね。なぜかというと、僕は「ダメな作品なら語らない方がいいだろう派」なので。
特にアニメや映画のように集団作業で制作しているものって、「この作品はダメだ」と言ってもその部分が次から直るわけではないですから。

アートや小説やマンガもそうですが、基本一人で創作しているものは、評論家なりが「これは違うと思う」と表明した時に相手に届く可能性があるわけですよね。
だけど、アニメとかは、作品がそのかたちになるまでに無数の人間が関わっているので、届きにくい。「あれは違う」と思っても届かないなら、僕は言っても無駄と思うんですね。
ダメな作品をダメと言い切るような原稿を読んですっきりした気分になりたいと思う人はいると思うんですけど、まあ、僕はわざわざかななくてもいいや、と。

たとえば僕は大友(克洋)さんの『スチームボーイ』はそんなに良かったとは思わないんだけど、その一方であれは間違いなく「大友克洋の映画」としての個性を持っているんですよ。それならば、『スチームボーイ』を軸にした大友克洋論として書けばいいかなと。
そいういうコンテクストを持ってきて、そう思ってみれば少なくとも興味を持って見ることは出来る。そういうスタンスを僕は決めていますね。

実際、アニメの製作者たちが一番気にしているのは、ブログや掲示板の感想、それにamazonのランキングだし。それが大衆芸術の大衆芸術たるゆえんだと思いますね。逆にアメリカは厳しい評論が多いんですか?

エド・チャベス(以下エド)
これは文化的なものですね。
アメリカ人はそういうのが好きなんじゃないかな。心の中で厳しいものを求めているんじゃないかと思うんです。

私は自身は、少し厳しく批評をしようと思っています。私は過去数年で、6000冊くらいマンガを買っていますが、アメリカでマンガは10ドルくらいと高い。こんなに高い本を薦めるんだから、これは買っても良いとかはっきり見せないといけないと思います。
マンガは長いものだと何十巻も続くものもあるので、すごいお金とエネルギーと時間を注ぎ込んでいるのです。実際にファンもいいものと悪いものを判断する基準を欲しがっています。 そうしたファンに対して、自分の文を読んでこれを買うか買わないかを分かって欲しい。分かってもらうために作品には厳しくあるし、自分の判断基準をはっきりしています。
これはアニメにも言えますが、私自身は評論を読む読者だけじゃなくて、クリエイターにも自分に与えてくれたものに対して同じ位の真剣さで返したいと思っています。それだけの情熱や真剣さを持って評論を書いています。

藤津

今ふと思ったんですが、日本の評論の背景には、文字の量が少ないというのがあるのかもしれません。
たとえば新聞の書評とかはすごく短い。アメリカのブックレビューならもっと長いと思うんですけど、日本だと1000文字いかないものが多いんですね。ましてアニメとかマンガの評論で長めの原稿は数えるくらいで、普通600字から1000字くらいのレビューが中心ですね。
これはダメだと言いたい時には、意を尽くす必要がありますよね。その意を尽くすスペースがそもそもない、ということはあるかもしれません。映画評は、日本では特に短いですよ。

エド

なぜ?

藤津
ホントにバイヤーズガイドさえあればいいということなんでしょう。星3つとか(笑)。
日本を代表する週刊誌といってもいい週刊文春(*13)でも映画欄は半ページでそこに4人の人達が星をつけて、一言コメントを寄せるだけ。

*13 文藝春秋社の発行する総合週刊誌。堅めのレポートも多い。

エド

私は大学で映画を勉強しているので、映画でさえ評論が少くないと聞くと腹が立ちます(笑)。
どうしてそんなに少ないんですか。

藤津

それこそ国民性の問題になってしまいますけれど、伝統的に一般向けの週刊誌や新聞ではそういうところにページを割かないですね。

 ■ 評論には星は必要ない

AA

さっき星の話が出ていましたが、エドさんは作品を批評する時に星は使うんですか?

エド

ない。全然ない。

AA
アメリカ人は星を使った採点が好きですよね。たぶん日本より多いと思う。

エド

確かにアメリカは10点方式で付けますけど、それでもレビューはとても長いですね。どんな雑誌にもかなり長いレビューがあります。

藤津

僕はやっぱり星や点数を付けるのがすきじゃなくて、そうじゃないから長い原稿を書くわけです。
仕事柄ベスト10企画みたいなのに呼ばれることがあるのですが、僕はそういう時は順位をつけず、順不同で出すようにしています。順位を点数に換算したいといわれた時は編集部にお任せして。あまりそういうのが好きじゃないので。

エド

私も同じですね。雑誌でやっていると編集から、毎年星つけてくれとか、点数つけてくれと言われるのですが、私も藤津さんと同じでベストを選ぶ時には順位を付けるのではなくこの10個が良かったと言って出します。

藤津

それはすごく共感しますね。

エド

これがオススメマンガです、アニメですと言って出します。自分の意見を共有したいだけで、どちらが良いかということを言いたいわけではありません。

藤津

作品Aと作品Bが2点差でこっちがいいとか、あんまり意味がないじゃないですか。

エド

その通り。クリエイターさんにもフェアじゃないように感じます。

AA
発表する媒体を書く場所は日米で違いはあるんでしょうか?藤津さんは雑誌やDVDのブックレットなどですよね。

藤津

でも、ブックレットでは自分の意見を書くのでなく編集兼ライターとして呼ばれているので、そこではあまり自分の個性は出ていないです。
当然、インタビューの仕方とかそういうところでは個性はあると思いますが。基本はそれは雇われ仕事としてやっているので。

それを除くと、僕の場合は、雑誌の仕事が主ですね。どうして僕がこの仕事をやる時にライターじゃなくて、アニメ評論家と名乗るかというと、世の中にあるアニメの評論っぽい仕事をできるだけ担当したいと思っていて、ならば評論家って名乗ったほうが有利だと思ったからです。
ライターと名乗っているとインタビューの仕事は来るんですね。この人に話を聞きたいから聞き役をやってくださいということで。
でも、その作品について思ったことを好きに書きたいんだ、と思った時にライターと名乗っているとなかなかバッターボックスに立てない。
自分が本当に評論家かどうかはどうでもよくて(笑)、この肩書きは自分が書きたい種類の原稿を書くためのアピールなんです。

エド

パブリッシャーウィークリーでの私の仕事も似ています。
評論が半分、残りの半分の仕事はインタビューです。自分としては批評の方が楽しい。「OTAKU USA」は自分が好きなことをやれるので楽しい。。


■ PRAT2 その2 アニメ・マンガ評論の行方
 
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