■ 2016年夏の話題作2016年夏の日本のカルチャーシーンと言えば、アプリゲーム『ポケモンGO』と実写映画『シン・ゴジラ』が大きな話題を呼んだ。同時期に公開された『君の名は。』は、作品としての強度は言うに及ばず、その想像力においても両作と強い共振を示していたように思う。『シン・ゴジラ』との関連はわかりやすい。ともに5年前の3 ・11が重要なモチーフとして導入されているからだ。それをどのていど主題的なものと見なすか/見なさないかという宗教戦争はさておき、インタビュー記事などからこれらが明確に意図された仕かけとわかる発言を拾うような瑣末な根拠づけに走るまでもなく、むしろこの両作を体験するうちに3・11をまったく連想しないことのほうがむずかしいだろう(その文脈で素直に読めば、『君の名は。』はたとえば、入れ替わりというフィクションを導入することで、東京とは無関係の遠くの地の大災害――それは1954年の初代『ゴジラ』と同様、地元の神事舞として伝承されていた――を、自らを事件として引き受け、それを忘れないようにするための物語とでもなるだろうか)。むしろここで重要なのは、3・11という現実をモチーフにすることが、新海誠の作家性をより際立たせたように見える点である。本稿ではこの問題を検討してみたい。また他方で、『君の名は。』から『ポケモンGO』を想起する人は、もしかしたらあまりいないのかもしれない。しかし、上記のような文脈で見たとき、この両作は共振する作品として読めるように思う。たとえば『君の名は。』で重要なモチーフ、時をつなぐ「組紐」。これはいわば、『ポケモンGO』における「モンスターボール」のようなものとしてなかったろうか【注03】。▼注03:およそ余談だが、『君の名は。』の主人公・立花瀧が、飛騨旅行中に着ていたマウンテンパーカの左腕にあるロゴマークが、『ポケモンGO』のトレーナー(プレイヤー)であれば思わずモンスターボールを連想してしまうデザインだった点は、本来的にはまったく指摘する必要はないにもかかわらず、本稿が発想された原点の一つとして指摘しておきたい。なのでもちろん、タイトルは半ば冗談ではあるのだが、物語も「君の名」を「ゲット」する話ではあるので、あながち間違ってはいないとも言える(かもしれない)。
世界の長編アニメーションの新しい景色を語るための言葉 「GEORAMA 2017-2018」/高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第11回 2018.1.13 Sat 13:00 アニメ批評家・高瀬司の月一連載です。様々なアニメを取り上げ…