藤津亮太の恋するアニメ 第20回 万葉の引用(後編)作・藤津亮太『言の葉の庭』のヒロイン、百香里をめぐってNと意見が微妙に対立した。Nは百香里を、お酒に溺れてしまう、アンバランスな人だといい、その弱さ、イタさを嫌いになれないという。でも、僕は「イタい」というほど、百香里をネガティブな印象を持っていないのだった。「じゃあ、Sはどういうふうに百香里を考えたの」Nに珍しく問い詰められて、僕は話し始めた。「まず、口から出た言葉がいつも、コミュニケーションのためとは限らない、というところから確認しようか」Nはわかったような、わからないような顔をしている。「つまり、独り言。それもため息みたいな、思わずこぼれてしまう言葉というのがあるんじゃないかと僕は思うわけ。意味ありげにつぶやいたと考えると、イタいのかもしれないけれど、あれは独り言だったと考えたらどうだろう」「でも、それがどうして万葉集の歌になるわけ?」「だからそこは、さっき言った通り、百香里が助けを求めるのが下手な、不器用な人だからなんだよ。すっと『助けて』っていえる人であれば、あんなにややこしいことにはならなかったと思うんだよ」「……その、『助けを求めるのが下手』っていうのが、ちょっとわかりにくいかな」Nにそういわれて、僕はちょっと考えた。「助けを求める時に、一番伝わるのは、助けてほしい人にわかるように『助けて』ということだよね」Nはうなづく。「で、次に伝わりやすいのは、助けてほしい人に『助けて』以外の言葉で言う、だよね。これは、ほのめかしているというより、自分でなんとかしなくちゃいけないという気持ちに縛られている人って『助けて』ってちゃんと言葉にできないんだよね。個人的には長男とか長女とかで『しっかりしてる』って言われていた人に多そうな気がする」Nは「ああ、そこまではわかる」といった顔で聞いている。「この『しっかりしてる』という言葉でがんじがらめになった人は、ついには、助けてほしいという人に対してなにも言えなくなっちゃうわけ。『助けてほしい』という気持ちと、『自分はしっかりしてるんだからそんなこと言っちゃいけない』というダブルバインドだね。だから、その気持ちをどこかで逃がすために、『助けて』とはほど遠い言葉を、誰にともなくいうことになる。……百香里は、この状態だったと思うんだよね」Nは、ちょっと考えた後に、つぶやいた。「そんなのまるで、空き瓶に手紙を入れて海にながすようなものじゃない。しかも、そこには『助けて』って書いてないなんて……」「そういう人もいると思うし、百香里はそういう人だったんじゃないかなぁ。元彼氏との電話にもそういう風情があったじゃない。思っていることを飲み込んでしまうような」そう僕はいって続けた。「『言の葉の庭』のおもしろいところは、その宛先もろくにかかれていない手紙を孝雄が受取っちゃうところなんだよね。しかも、当然ながら孝雄はそれをSOSとは受け取らなかったんだよね。むしろ、謎めいた出会いとして受け取ったことが、彼にとっても一つの救いになる。このひっくり返っているところが、『言の葉の庭』のおもしろいところだと思う」
庵野秀明監督はなぜ「シン・エヴァ」で“絵コンテ”をきらなかったのか?【藤津亮太のアニメの門V 第69回】 2021.4.2 Fri 18:15 アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第69回目は、庵…