「エンダーのゲーム」 SF古典がジュブナイル映画に生まれ変わった時 | アニメ!アニメ!

「エンダーのゲーム」 SF古典がジュブナイル映画に生まれ変わった時

数土直志:1月18日全国公開となった映画『エンダーのゲーム』、80年代の傑作SFがなぜいま映画化されたのか、その鍵は“ゲーム”という言葉にある。

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文: 数土直志

1月18日、映画『エンダーのゲーム』が全国公開となった。ハリウッドで破竹の勢いのライオンズゲート・サミットエンタテインメントが製作、ウォルト・ディズニーが配給をする大作だ。
本作の日本公開が決まった時に、邦題『エンダーのゲーム』にやや戸惑った。原題『Ender‘s Game』の直訳で、シンプルであるが豊富な予算を注ぎ込んだSF大作にしてはやや地味に感じたからだ。そのタイトルで本作の面白さは伝わるのだろうかという疑問だ。
しかし、映画を観た後では、そのタイトルが必然であったことが分かる。この映画は、まさに“エンダーのゲーム”でしかありえない。

『エンダーのゲーム』は、冒頭から結末まで一貫して“ゲーム”という概念が物語の中心を占める。それは主人公であるエンダーが息抜きに楽しむポータルゲーム、あるいはバトルスクールの授業の課題である戦闘のシュミレーションゲーム、ライバル達との駆け引きやハリソン・フォード演じるグラッフ大佐の新世代の兵士育成計画も戦略ゲームのひとつである。
長い間、実写化が望まれて実現しなかった『エンダーのゲーム』が、2010年代になり、ようやく映画制作にゴーサインが出たのは、この“ゲーム”という切り口を全面的に打ち出したからに違いない。つまり、様々なゲームが日常を取り囲む現代にこそ相応しい作品との理解だ。そこで1980年代の傑作SFは、2010年代に蘇る。

それは、エンダーを導くグラッフ大佐のエンダーに語る言葉に集約される。若い世代はゲームに熟知しており、その能力は大人を超えると話す場面だ。実はこれは制作者から受け手へのメッセージとも重なる。
つまり、日頃ゲームに接する機会が多い若者たちにこそ、『エンダーのゲーム』は楽しめる作品だと言っている。そう読み解いていくと、『エンダーのゲーム』は、例えば「ダークナイト」シリーズ、『パシフィック・リム』、『オブリビオン』といった代表的なSF映画とはまるで異なった作品であることが分かる。
主人公・エンダーは10代前半、彼はバトルスクール(舞台は学校だ!)での様々な障害を乗り越えて、そして勝利して行く。映画の構造は、ティーンエイジャーの鑑賞者の共感を誘い、子どもたちがエンダーと一緒になって戦っていくことである。だからこそ衝撃的なラストも一層輝きを増すのだ。

ティーンエイジャーを主人公にした、ティーンエイジャーのための物語は、日本ではマンガやアニメ、ライトノベルに近しい分野だ。日本では『エンダーのゲーム』は、SF古典の映画化と映りがちだ。実写、ハリウッドビジュアルのメカやVFXもそれを強化する。
しかし、本作も持つ雰囲気は、実際はマンガやアニメ、ライトノベルに似ている。『エンダーのゲーム』は、ディズニーが初めてコミックマーケットで企業出展したことで話題を呼んだ。さらに作品のプロモーションにポップカルチャーの若手の才能を起用する。一見、不思議に感じるこうした取り組みも、映画を観れば、その合理的な選択に納得する。

『エンダーのゲーム』
/http://disney-studio.jp/movies/ender/
《animeanime》
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