映画評 『アサルトガールズ』 | アニメ!アニメ!

映画評 『アサルトガールズ』

レビュー 実写

文:荒川直人(映画ライター)

 世界的なアニメの演出家として知られる押井守監督が8年ぶりに手がけた長編実写映画『アサルトガールズ』は、『アヴァロン』(01)の設定を踏襲して新たなゲームフィールドに戦いを挑んだ4人のプレイヤーの物語である。 『アヴァロン』では「すべての映画はアニメになる」と謳い、日本映画の枠を超えたデジタル映像の斬新さや、ポーランドで撮影してもなお強固な押井ワールドの世界観などが話題になったが、当時はまだオンラインゲームの認知度が低く、大半の観客にはどこか実感の乏しい題材でもあった。
 しかし、現在ではどうだろう。オンラインゲームで稼ぐ凄腕のプロゲーマーはリアルに実在し、「ネトゲ廃人」と呼ばれるゲームへ過度に熱中するプレイヤーの出現がニュースに躍ったこともある。より身近な例でも、ニンテンドーDSやPSPといった携帯ゲーム機のWi-Fi通信を使い、複数のプレイヤーが協力し合うパーティープレイの概念は、いまや当たり前である。カプコンのアクションゲーム『モンスターハンター』のブレイク以降、ゲーム機を手に喫茶店やファミレスに集う4人組の若者を見かけることが増え、それはすでに日常の1コマとさえ言える。
 となれば、ラスボス戦で煮詰まった4人のソロプレイヤーが一時的なパーティーを組むという本作の物語は、『モンハン』実写版と捉えるのが一番わかりやすいだろう。
 けれども、ここに登場するゲームは最近のオンラインゲームとは根本的に異なり、みんなで戦うことを基本とするコミュニケーションツールではなく、野望や欲望を満たす肉食系同士のガチンコ勝負という古典的なシステムを導入している。設定的な同時代性を手に入れながら、そうしたゲーム世代に共感を抱かせる構造を放棄しているのは、要するに監督の興味が最初から別のところにあるからだ。監督はオンラインゲームのもっともらしさよりも、戦う女優の存在感、それ一点に狙いを定めている。

 そもそも二時間弱という映画のフォーマットで描ける情報量は少なく、監督もかつて「ドラマ(キャラクター)を描くか、世界観を描くかの二者択一」と発言し、自身は積極的に「世界観」を選択する演出家だった。ところが、本作では「キャラクター」にカメラが向く。しかも主要な登場人物が三人の女優だなんて、まさかあの押井守が「萌え」に走るとはいったい誰が予想したであろう。趣味嗜好の違いはあるにせよ、『アサルトガールズ』とはそんな愉快な顔を内包する一作なのだ。
 さて、肝心の女優陣だが、若手の中でも特に活躍の目覚しい黒木メイサが演じるグレイに注目が集まるのは当然として、本作では意外なことに菊地凛子のルシファが大変魅力的で、『スカイ・クロラ The Sky Clawlers』(08)の声の出演からでは想像できないキュートさが印象に残る。(彼女の不思議な踊りを決定づけた川井憲次の音楽も素晴らしい)。
 サイレント時代の名女優リリアン・ギッシュの美しさに、思わずカメラがにじり寄って生まれたというクローズアップ誕生の逸話を持ち出すまでもなく、女優をカメラに収めたいという衝動こそが「映画」の原初的な力強さだ。それに加えて、銃や甲冑、爆発や格闘アクションなど、押井印のフェティッシュがたっぷりと詰め込まれ、いい意味で学生の撮った自主映画のような瑞々しさがある作品に仕上がった。もちろんそのディテールへのこだわりは、撮影の湯浅弘章、衣装の竹田団吾、VFXの佐藤敦紀ら、実力派スタッフによって支えられている点も見逃せない。

 ただ、キャラクターの内面に迫るドラマはほとんどなく、アクションも総量としてはあまり多くないため、過剰に期待しすぎても肩透かしに遭うだろう。本編が70分しかないのに相変わらずのダレ場はきっちり用意されているので、いつも通りの心構えは必要だ。
 果たしていいことなのか、そうでないのかわからないけれど、理性的な監督が生理的な映画を作りはじめたこの事実には、極論するなら従来の押井ワールドをリセットしてしまうほどの衝撃がある。本作で示された無邪気な演出家の想いは、この先どこへ向かうのだろうか。
 恍惚と不安、共に我にあり。

『アサルトガールズ』 /http://assault-girls.nifty.com/

◆荒川直人
1965年、北海道生まれ。プロデューサー。CD「K-PLEASURE Kenji Kawai Best of Movies」で楽曲解説を執筆後、ライターとしても活動。mixiで5年ほど続けた極私的な映画レビューを、現在アメブロにて公開中。

「荒川直人の週末シネマ」 /http://ameblo.jp/nippon1939/
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