アニメと米国ポップカルチャーの融合 | アニメ!アニメ!

アニメと米国ポップカルチャーの融合

レビュー そのほか

「ロボット・チキン」を取り上げるアニメエキスポ
 日本では夏というには少し早いが、5月は米国の夏シーズン始まりである。米国でも夏シーズンは、日本と同様に、学生や子供に向けた様々なイベントが開催される。
 そうしたひとつに全米最大のアニメイベントAnime Expoがある。このAnime Expoの催すメインイベントに奇妙なものがあるのが目を惹いた。アニメーション作品「ロボットチキン」の特集イベントである。

 「ロボットチキン」と言っても、多くの日本人は聞いたことがないに違いない。それもそのはずで、この作品は米国カートゥーンネットワークで放映される米国製の人気テレビアニメーションである。人気作品ではあるが、日本のアニメとマンガ文化の振興をミッションとするAnime Expoの場には本来は不似合いなものだ。
 しかし、Anime Expoが「ロボットチキン」を取り上げることに対する批判はあまり聞こえて来ない。Anime Expoは、昨年も非日本コンテンツである『トランスフォーマー』の先行上映会を行っている。米国コンテンツの導入は現在の新しいトレンドかもしれない。
 この動きは現在米国で人気と報道されることが多いアニメを取り巻く変化を端的に表している気がする。

アニメは米国ポップカルチャーと地続きに
 それは日本独自とされてきたアニメが、米国ポップカルチャー全体に取り込まれる動きである。これまで米国の日本アニメファンは、例えばピクサーのようなハリウッド大作アニメーションやアメリカンコミックスといった従来の米国のエンタテインメントのファンとあまり重ならないとされてきた。実際、私自身がこれまで何度か米国に訪れた現地の感覚もそれに近い。
 しかし、アニメの大衆化が進んでいるいま、そうした状況は変わって来ているようだ。アニメファンにも、「ロボットチキン」はアピールする。アニメと米国のポップカルチャーは地続きになっている。

 アニメは米国ではニッチ(隙間)市場のコンテンツとされる。隙間という状況は今も昔も変わらないのだが、その隙間の位置が微妙にずれ始めている。
 米国のサブカルチャー対日本のサブカルチャーといった図式から、アニメは米国のサブカルチャー全体のなかのカテゴリーのひとつに移ったのではないか。

パシフィックメディア・エキスポはなぜ失敗したのか
 Anime Expoが従来の方針を変える一方で、アメリカンコミックス・SFのイベントとして始まった全米最大のポップカルチャーイベントのコミコンインターナショナル(サンディエゴ・コミコン)では、アニメ・マンガの存在が大きくなりつつある。2006年から開催されているニューヨークコミコンは、さらにアニメ・マンガを強くアピールすることで大きな成功を収めた。
 参加者の関心が、双方に跨っているのか、それぞれ異なったファンから形成されるのかは判り難い。しかし、少なくとも従来のアメリカのポップカルチャーとアニメが共存をすることに多くの米国人は抵抗がない。

 さらに興味深いのは、2005年からロサンゼルスで開催されているパシフィックメディア・エキスポ(PMX)である。PMXはAnime Expoから分離して、アジアンカルチャー、ジャパニーズカルチャーをより広く紹介することを目標として始まった。そのなかには、アニメやマンガのほかに、プロレスやビジュアルバンド、香港や韓国映画などが含まれていた。
 しかし、大きな期待を背負って始まったPMXは十分な参加者を集めることが出来ずに、毎年縮小を続け、2008年は現在のところ開催の予定はない。PMXの売りとした日本文化、東アジア文化というテーマはファンからの賛同を集めなかった。これはアニメやマンガの人気が、日本やアジアという地域文化属性とあまり関係ないことを示している。

 むしろサンディエゴ・コミコンやニューヨーク・コミコンのように、自国の見慣れた文化の中に、アニメやマンガがあるほうが自然なのだ。つまり、アニメのアメリカン・ポップカルチャーのなかでのジャンル化である。
 アニメが区別されるのはそれが日本製であることでなく、文化のスタイルに過ぎない。ファンにしてみれば、それはたまたま日本製であったに過ぎない。こうした現象は日本のアニメがアメリカン・ポップカルチャーと融合する過程の出来事でないだろうか。

日本アニメが今後勝負するには
 こうした現象を取って日本アニメが、米国で受け入れられたと喜ぶ向きもあるかもしれない。しかし、ビジネス面で見れば、日本のアニメ企業にとっては今後より苦しい状況になる可能性が強い。
 日本の文化がクールと主張されることもあるが、それは日本的なものがクールなのであって「日本」そのものがクールなわけではない。つまり、それ風であれば、その作品やデザインが必ずしも日本オリジナルである必要はない。
 現在の日本が陥りがちな過ちは、日本のオリジナリティへの過信、それに対する過度の依存ではないだろうか。アニメスタイル、マンガスタイルは、どこの国の人にも生み出すことが出来る。アニメと米国ポップカルチャーの融合は、そうした事実に基づいている。

 こうした自覚なければ、日本は知らない間にアニメ・マンガ・ゲーム文化の辺境に押しやられることになるだろう。そして、日本だけでしか受け入れられないコンテンツを量産し続けることになる。
 では、日本のクリエイターや製作者はどうすればよいのだろうか。日本向けの作品だけを作り続けるのもひとつの考え方である。しかし、それではあまりにも寂びし過ぎるだろう。

 作品をグローバルに展開するためには、いかにも日本的な作品とは別にグローバルなニーズに対応したクリエイティブが必要になる。しかしそれは、自らのオリジナリティを捨てるわけでなはい。別のユーザーのニーズに応えるだけのことである。
 もともと日本のアニメは、様々な制約のなかでどれだけ自由な表現が出来るかを目指して発展してきた。ここで海外のニーズに応えることは、特段難しいことではないはずだ。そのなかで、今までの日本アニメとも海外作品とも違った魅力ある作品が生まれる可能性があるのでないだろうか。
[数土直志]
《animeanime》
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