蘇るバイストンウェルに勝算はあるのか | アニメ!アニメ!

蘇るバイストンウェルに勝算はあるのか

 富野由悠季監督の次回の新作アニメは、富野監督が長年に亘って描き続けてきたバイストンウェルを舞台にした『リーンの翼』である。『リーンの翼』は、1983年に富野由悠季自身の手で、小説として『月刊野生時代』に連載されたことがあった。しかし、今回のアニメはその

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 富野由悠季監督の次回の新作アニメは、富野監督が長年に亘って描き続けてきたバイストンウェルを舞台にした『リーンの翼』である。『リーンの翼』は、1983年に富野由悠季自身の手で、小説として『月刊野生時代』に連載されたことがあった。しかし、今回のアニメはその小説とは大きく異なるようだ。
 
 正直、富野監督がバイストンウェルを描くと聞いた時、またかと思った。富野由悠季は『聖戦士ダンバイン』からずっと、現実世界からバイストンウェルに行った若き戦士といった同じモチーフを何度も繰り返して用いている。そして、それらの作品はあまり一般的には受け入れられなかった。
 今にして思えば、富野監督の思い描くファンタジーと世間で一般に受け入れられているファンタジーには大きなずれがあった。つまり、初期の『ダンバイン』にしても、『リーンの翼』にしても、小道具としてのファンタジーは揃っていたが本質的にはファンタジーではなかった。設定は揃っていたが、肝心の物語が欠けていたからだ。
 例えば『ダンバイン』は、ファンタジーらしさを追求するあまり、作品を支える物語がなくなってしまっていた。皮肉なことに『ダンバイン』の物語が生き生きとし始め、名作となり得たのはファンタジーの設定を捨てて地球を舞台に変えた地上編のおかげである。『ダンバイン』は地上編になることで初めて、人間関係が浮き上がりドラマとして盛り上がったのだ。

 バイストンウェルという設定こそが物語の形成を邪魔をしたのは、『聖戦士ダンバイン』のあとに続いたバイストンウェルの小説シリーズ全てに共通した特徴でもある。それらの小説の印象は、悪くはないけれど心惹きつける魅力にどこかかける点に集約される。
 つまり、世界観作りに熱中し過ぎて物語が手薄になっていること、本来、ファンタジーを引っ張るはずの物語が手薄になったことで、物語が観念の世界で回ってしまったことである。人間には得意、不得意の分野があって、富野由悠季とファンタジーは根本的に相容れないというのが、その時の僕が下した結論である。
 
 それでは今回、富野監督がまた『バイストンウェル』を取り上げることは失敗なのだろうか。実は、そうではないと僕は思っている。それは2000年前後から明らかになってきた富野由悠季監督の作品における質の変化のためである。
 近年の富野監督の作品は80年代後半から90年代はじめにかけて見られた、キャラクターのとげとげしさが急激に薄れている。『∀ガンダム』のシリーズ全体に流れていた暖かさは今までの富野監督の作品には全く見られないものだった。
 また、『伝説巨神イデオン』とコンセプトがそっくりと指摘されていた『ブレンパワード』と『イデオン』の最大の違いは、『イデオン』が結局人間同士、イデと人間、全てがすれ違ってしまったのに対して、『ブレンパワード』の最終回はあらゆる対立が和解に向かっていったことである。
 それは90年代前半以前に見られた多くの作品と根本的に異なっている。そして、言うまでもなく劇場版『機動戦士Zガンダム-星を継ぐ者-』である。作品の見せ方を少しずらすだけで、全く異なった印象を与えることに成功している。『Zガンダム』のトゲトゲしさがなくなり、とても感情移入しやすくなっているのだ。

 近年の富野監督に見られる特徴は、判りやすさとか観る側からの共感という言葉に代表される。そこで新作『リーンの翼』である。この作品が、これまで読者・視聴者の感情移入を拒んできた「バイストンウェル」シリーズと大きく異なった作品になる可能性は高いのでないだろうか。そして、もしそれに成功すれば、富野監督の同じモチーフの繰り返しも今回で終止符が打たれるかもしれない。

/新作リーンの翼公式サイト 

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