『OTAKU展』展評 | アニメ!アニメ!

『OTAKU展』展評

イベント・レポート

 最初から最後まで違和感のある展覧会であった。それが、何か判らなかったのだが、最後になってようやく気づいた。この違和感はこの展覧会がそもそもおたく的視点を持つ人達によって企画・構成されていることに起因する。つまり、この展覧会はおたくという現象の社会批評でなく、おたく自身による自己主張である。
 そのうえで私の持つ違和感は、一般に差別されていると思われているおたくが、実は自ら差別されたがっているという発見にある。展覧会を通して主張されているのは、いかにおたくがおたく以外の人と異なり、自分達の世界を構築しているかである。そうした差異の強調にはある種の歪んだ選民意識すら漂っている。
 
 こうした差異の強調は、おたくを糾弾する人達のその理由と表裏の関係にある。つまり、この差異をネガティブに捕らえれば差別になるし、ポジティブに捕らえれば今回の展覧会のようになる。それは、展覧会の説明にある“いわゆる市場原理とは異質なファクターを持った空間原理に構成されている”“この都市の変容の新しさは、それが、国や大企業などの戦略的開発によるものでなく、おたくという「人格」の地理的規模の集中によって発生した”といった表現などに見て取ることが出来る。
 しかし、おたくが異なった存在であることを強調されるほど、また疑問も湧いてくる。おたくは果たして本当に特異な存在であるのだろうか。確かに、アニメ・ゲーム・マンガといった文化におけるオピニオンリーダーとしてのおたくの存在は計り知れない。だが、ファッションの世界にファッションリーダーがおり、美術の世界に目利きがいて、投資の世界に先行投資家がいるように、どの分野においてもその道に精通した人達はいる。そうした人達も含めておたくとするならおたくの社会的な存在意義も理解出来る。
 しかし、おたくの定義を極めて狭く取ったうえで、おたくは素晴らしいとすることには違和感を覚えざる得ない。つまり、おたくも社会を変えていく一構造であるが、それは様々な人間の表現の有様のひとつでしかなく、それは卑下すべきものでも特別視するものでもないからだ。だから、今回の展覧会はおたくの日常が切り取られて美術館の中に展示されるという刺激はあるものの、おたくが社会を変えるといった展覧会の趣旨にはどうも納得がいかない。

『おたく:人格=空間=都市』
東京都写真美術館 2005年2月22日から3月13日
主催:東京都、東京都写真美術館、独立行政法人国際交流協会

/おたく:人格=空間=都市 
/東京写真美術館 
《animeanime》
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