『逆襲のシャア』の逆襲 | アニメ!アニメ!

『逆襲のシャア』の逆襲

  先日読んでいた押井守氏の『すべての映画はアニメに変わる』の中に『シャアは富野作品の究極の悪役』という文章があった。その文章が僕の興味を惹いたのは、押井守氏と富野由悠季監督という組み合わせの意外感であった。押井氏は商業色の強い作品は嫌いなのではない

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  先日読んでいた押井守氏の『すべての映画はアニメに変わる』の中に『シャアは富野作品の究極の悪役』という文章があった。その文章が僕の興味を惹いたのは、押井守氏と富野由悠季監督という組み合わせの意外感であった。押井氏は商業色の強い作品は嫌いなのではないかと思っていたからだ。もうひとつ別の富野氏との対談でもそうだが、押井氏は意外にガンダムについて好意的あった。
 しかし、一番驚いたのは押井氏のこの言葉だ。
 = ガンダムは観ています。特に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)はかなりしつこく観ました。あれは特筆すべき作品ですね。=

 実はこの作品、僕の評価はかなり低いので、押井氏がわざわざこの作品に言及したのに驚いた。『逆襲のシャア』については、以前にも似たような経験がある。あるかたと話していた時に、話していて非常に頭のいい人だと判った。そして、うれしいことに感性もよく似ている。
 「やっぱ、ファーストガンダムは面白かった。」 うん、うん。OK!
 「イデオンは名作だよね。」OK!
 「ザンボット、ダイターン3は良かった。」OK!
 「∀(ターンエー)ガンダムも大傑作。」OK!
 「逆襲のシャアも面白かったよ。」 えっ?!...。

 正直、僕は富野監督の作品はかなり好きだが、手放しで全部好きなわけではない。特に、明確に作るべきでなかったと思っている作品も幾つかあって、そのひとつが『逆襲のシャア』なのだ。
 なぜ、この作品が評価出来ないかと言えば例えばキャラクター。富野監督が劇場作品を作る時にしばしば見られるのだが、不必要にキャラクターが多過ぎる点だ。わずか、2時間で全てのキャラクターの厚みを出すことは難しい。しかも、そのどのキャラクターもがヒステリックに怒鳴り、常に相手に罵っている。キャラクターは説明されないまま、次々と死んで行き、観ているほうは一体何が起こっているのか判らない。
 一体、今、死んだのは誰だっけ?という感じだ。

 だから、僕は少し前まで『逆襲のシャア』は、最大公約数的に、みんながあれは駄目だねと考えていると思っていた。ところが、この作品一部では非常に受けがいい。しかも、僕が尊敬しているような人の中にもそういった人が多い。むしろ、数あるガンダムシリーズの中でもベスト作品として挙げる人も少なくないのだ。
 そうした意見に耳を傾けると、この作品をシャアとアムロの物語、そこに焦点を合わせて高い評価しているようだ。ここが押さえられていれば、他の欠点は目をつぶることが出来るらしい。アムロとシャアの関係。人類に寛容になれないシャア。実は、僕はシャア・アズナブルというキャラクターも好きでない。嫌いというわけでないが、どうも、理解出来ない。それは、ファーストガンダムでもそうだったし、Zガンダムはもっと判らなかった。逆襲のシャアでは??である。もし、先の『シャアは富野作品の究極の悪役』文中で押井氏が述べるように、富野監督がシャアを使って言いたいことを言っているのであれば、僕は富野監督もまた理解していないのだろう。

 小説にしてもアートにしても、あるいはアニメでもいいが、昔、大嫌いだった作品が、年が経つとともに好きになる時がある。しかし、少なくとも、今の僕にはまだ、『逆襲のシャア』を好きだとか、面白いと受け取れる気持ちはない。いつか、僕でも『逆襲のシャア』を「結構、面白い作品だよ。」と言える時が来るのだろうか。そんな時、僕はどんな風に考えてこの作品を評価しているのだろうか。

/機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
《animeanime》
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